第4-11話 わたしを責めたい
まなの脱走を手伝った。それが、魔王との契約だったから。──ああ、やっぱり、魔王なんて、ろくでもない。
全身が痛んだ。アザだらけになっていた。手枷がはめられていて、動くこともできなかった。生きるための大博打。この数年、今までのが全部、嘘だったかのように、平和に生きられた。だが、あの子を脱走させた瞬間に、これだ。
「あの子が逃げたと、魔王様に知られたら、殺される! 全部、お前のせいだ!」
「わたしは、魔王に頼まれて──」
「口答えするなあっ!」
「っ!」
鞭が肩に当たった。突き抜けるような痛みが襲ってくる。目の前のやつは、追いつめられて、何も考えられなくなっているらしい。──ただ、それは大きな間違いだった。
魔王は、まなを閉じ込めるように頼んではいないし、まなが八歳になる前に、脱走させるよう、わたしに頼んだのだ。しかし、臣下たちは、魔王が閉じ込めるように命令したと信じきっている。なぜ、そんなすれ違いが起きているのか。
それは、魔王が弱いからだ。彼は、自分の立場を気にするあまり、本当のことが言えなかったらしい。昔も今も。
白髪に赤目の女の子の魔族は、忌むべき存在とされており、生まれてすぐに殺すことになっているそうだ。魔王は殺す必要はないと考えた。臣下たちも、同じ思いだった。
だが、臣下たちは、魔王の本心など、少しも考えなかった。てっきり、殺すとばかり思っていたのだ。
そこで、妥協案として、まなを幽閉することにしたらしい。笑える話だ。なぜ誰も、気づかないのか。みんなが恐れる「魔王」など、存在しないのだと。
「貴様、何を笑っている──」
「ここには、馬鹿しかいないんだなーって」
「ふざけるな!」
「ふざけてるのはそっちでしょ!?」
「うるさいうるさいうるさい!」
痛い痛い痛い。なんで、わたしがこんな目に合わなければならないのだろう。──そうか。きっと、今までのツケが回ってきたのだ。人のものを盗んで、汚く生きてきたくせに、のうのうとしていたから。
今まで重ねた罪と、過ぎた幸せの分、一気に仕打ちがやってきたのだ。そうとでも思わないと、あまりにも、この痛みが理不尽で、壊れてしまいそうだった。でも、この痛みが自分だけのもので、良かった──、
「まゆみ!」
聞き覚えのある声に、わたしははっと顔を上げる。なんで、どうして、ここに、あの子が。髪が短くなっていた。だが、そんなこと、今はどうでもいい。
「まゆみをここから出してあげて。お願いします。私はもう、逃げたりしませんから」
「入れ!」
まなは突き飛ばされて、牢の中に戻ってくる。そして、わたしと同じように、枷をつけられた。
「まなに何するの。ねえ、やめて!」
「死ね! お前さえいなければ良かったんだ! お前が、あのとき、すぐに殺されていれば! 生まれてこなければ!」
無我夢中で鞭を振るう彼には、きっと、誰の声も届いていない。恐怖に支配されているのだ。そんな恐怖、どこにも存在しないというのに。
「やめてよ! まなに何もしないで!」
「うるさい!」
横凪ぎに払われた鞭が、目に当たった。これまでとは比べ物にならない痛みだ。うっすら、目を開けると、視界に赤色が広がる。──このままでは、いずれ殺される。
「まゆみに何をしたの……?」
「これは、お前の脱走を手伝った罰だ。お前のせいで、彼女はこんな目に合っているんだ」
そう言うと、男は下劣な笑みを浮かべてナイフを取り出し、わたしの腕を薄く切った。全身の毛穴が開き、心臓が急に鼓動を速めるような、冷たい痛みに、思わず叫びそうになるのを、歯を食いしばって耐える。──まなが隣にいたから。
「彼女を助けたいのなら、一つだけ方法がある」
男はまなに向かってそう言った。
「その方法は……?」
「願いだ。お前の願いを魔王に譲渡すると、そう強く望め。それが条件だ」
「分かった、分かったから!」
まなが閉じ込められた話には、続きがある。幽閉するにしても、殺さない理由が必要だった。
だから、魔王は、こう言ったそうだ。
「──八歳だ。八歳になれば、願いの魔法が使えるようになる。その願いを以て、前線を押し上げる」
そのためにまなは生かされていると、みんな本気で思っているのだ。
魔法を信じるものの願いは、魔法になる。だから、魔法が使えないまなは、魔法のことも、願いの魔法なんてものがあることすら、おそらく、知らない。おとぎ話で読んだことくらいはあるかもしれないが、聡い少女だ。信じてはいないだろう。
そして、魔法を信じない者には、願いを使うことはできない。──魔王から聞いた話だ。もちろん、私にも使えない。魔法の理不尽さは嫌というほど知っているが、あんなもの、死んでも使いたくないと思っているからだ。
「早くしろ!」
ナイフが、わたしの腕を貫いた。鋭い痛みが全身を突き抜ける。
「ぐあぁぁっっ!」
「まゆみ!」
痛い。辛い。耐えられない。わたしはこうも、痛みに弱かったのか。今まで、本当の痛みも知らずに生きてきたのだろう。自分だけが辛い思いをしていると勘違いしていた。だからこれは、その罰なのだ。
──まなを、逃がしてあげることもできなかった。
そうして、わたしは意識を失った。人間である私の傷は治るのが遅く、まなの傷は、比較的、すぐに治った。
一体、どれほど、そんなことが繰り返されただろう。全員があの男のようになっているわけではなかったが、皆、わたしたちの体の傷を認知しながらも、気づかないふりをしていた。手枷は、外してもらえなかった。
「まゆみ……? まゆみ! しっかりして!」
「──あ、まな。ごめん、ぼーっとしてた。えへへ」
何が、どうして、わたしは笑っているのだろうか。決まっている。まなを、安心させるためだ。しっかりしないと。わたしがまなを、守らないと──。
「ごめんなさい、まゆ、許して、ごめんなさい……っ」
繰り返し、謝罪の声が聞こえた。このままじゃ、ダメだ。何か言わないと。──まなは悪くない、そう言おう。
「まな。願いの魔法なんて、きっと存在しないんだよ。これはね、罰なの。わたしは今まで、たくさん悪いことをしてきたから、それを償わないといけないんだ」
わたしの意思とは無関係に、そんな言葉が口から漏れた。わたしを庇おうとするまなに、そんなことしなくてもいいと、そう言いたかったのだろうか。いや、わたしはそんなに綺麗な人間じゃない。
ただ、自分を責めたかっただけかもしれない。そして、それを、まなに否定してもらいたかったのだろう。そして、願いなど存在しないのだと、そう思わなければ、もう、無理だったのかもしれない。
ずっと、耐えてきた。願いの魔法が存在することを、まなに隠した。この世界に魔法が存在することを伝えなかった。まなが何を命令されているのか、伝えなかった。
まなの願いは、まなのために使われるべきだ。魔法なんてもの、人を傷つける以外、何の役にも立たないということを、わたしはよく知っている。
「そんなの、知らない! まゆは私に優しくしてくれた! なのに、どうしてこんな目に合わないといけないの!?」
「まな……」
その思いやりが、何より苦しかった。こんなに、誰かに思われて、大切にされて、本当にわたしを守ってくれようとする人なんて、いなかった。
──物心ついたばかりの頃、わたしは両親を殺された。あの日のことは、鮮明に覚えている。一番、古い記憶だ。
気がつくと、わたしはあの場所にいた。周りは誰も、面倒を見てはくれなかった。だから、真似することだけ覚えた。
そうして、汚く汚く生きてきた。皆は違った。わたしだけが、汚かった。意地汚かった。あのとき、生きることを諦めていれば、こんな目にも合わなかった。
あのとき、誰の首も切れなかった。何をしてでも生きる覚悟なんて、わたしには始めからなかったのだから。他人でも、極悪人でも、生きるためでも、人を殺すことなど、できるはずがなかった。
願いの魔法──。なんでも願いを叶えてくれる。素敵な魔法。わたしは魔法が嫌いだ。わたしの居場所を奪った。あの日、両親を殺したのも、魔法だった。風の刃が、首をはねた。そして魔法は──わたしを、まなと出会わせてくれた。
牢屋の扉が開く。光が部屋に射し込んだ。守らないと、まなを。自分の痛みには耐えられても、まなが傷つく痛みには、どうしても、耐えられない。
生まれて始めて。心から、愛せると思った。まるで、妹のような存在だった。
でも、もう限界だ。体の震えが止まらない。思考が停止していく。何もかも、どうでもいい。
「──死にたい」
もしも、本当に願いが存在するのなら。
どうか、わたしを殺してほしい。
できることなら。まなの記憶からも消してほしい。
そして、わたしは始めから、存在しなかったことにしてほしい。
後悔しか残らなかった。わたしがいたから、みんな不幸になった。誰も、幸せにできなかった。
わたしなんて、いない方がよかった。
「これ以上、傷つけないで!」
まなの叫びが耳を突いた。わたしを必要としてくれる声だった。生きてほしいと、願う声だった。
──だから、わたしは、生きたいと、願ってしまった。
ずいぶんと、欲張りな願いだった。死にたい。生きたい。そうして、わたしは、自分の異変に気がついた。少しして、まなは、わたしに抱きついて、
「死ぬなんて言わないで……」
そう、涙をこぼした。その涙が、わたしの胸を──すり抜けていったのが見えた。
「走れ走れ走れーッッ!!!!」
まなは、わたしの手を引いて走った。引かれている気はしなかったが、体はまなに吸い寄せられるように動いた。
きっとすぐに、わたしは死ぬだろう。そう思った。だから、できるだけ遠くへ、まなを連れていこうと思った。まなを背負った。重くなかった。どこまでもいけそうだった。
「ねえ! ねえってば! もう誰も追ってきてない って!」
まなに言われて、わたしは気がつく。ここは、どこだろう。本当に、ずいぶん、遠くまできてしまった。疲れを感じないからだ。
「あれ、走り過ぎちゃった?」
立ち止まったわたしの背中から降り、まなは地べたに座り込んだ。
「はぁ、疲れた……」
「なんでまなが疲れてるの?」
「それは……まあ、色々と」
わたしはまなの表情が暗いことに気がついた。なぜだろうか。分からない。だが、その理由を聞きたいとは思わなかった。なんとなく、嫌な予感がした。しかし、聞かずとも、まなはその理由を明かした。
「あのさ──あなた、誰だっけ」
わたしが何かを責めるとしたら、運命でも、国でも、世界でも、他人でも、魔法でもない。
このとき、消えたいと願った、わたし自身だけだ。
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