第6-6話 油断

 月明かりが眩しくなってきた。そろそろ、ユタは魔王城へ戻る時間だ。


「……戦争のない時代が待ち遠しいな」

「来ますよ、絶対に」

「うんうん。なんとかなるって!」


 どれだけ私たちの仲が良くても、戦いは終わらない。長年に渡る、復讐の歴史が果たされるその日まで。


 血で血を洗うような戦争に、意味などないのかもしれない。それでも、何も失わずに終わらせることなど、今さらできない。


「どのみち、明日になれば、余は死ぬがな」

「そういえばそう書いてあったね。まなちゃんに背中でも刺されたりして?」

「そんな怪我ごときで、死ぬはずはあるまい?」

「いや、背中刺されたら普通、死ぬと思う」


 魔法で治せる、と言いたいところだが、気絶する可能性も考えれば確実とは言いがたい。


 そして、ユタは親指を突きだし、自分の首を切るような仕草をした。


「首でも切らない限り、死ねないだろうな。まあ、魔力で無意識に防御しているから、そう簡単には切れぬと思うが」

「まなちゃんに首切られるってこと? え、まなちゃん、闇落ちしたの?」

「明日、会ってみてのお楽しみというやつだな」

「私たちも立ち会いましょうか?」

「ふむ、なかなか魅力的な提案だが、城には、二人の命を狙う輩も多い。今日だけは手を出すなと言ってあるが、それを過ぎれば危険だ。あまり、魔族に被害を出したくはないから、できれば遠慮してほしい」

「僕たちが返り討ちにする前提なんだねえ」

「魔族はあかりと違って優しいからな。殺すのにためらいもある」

「僕だって気持ちはためらってるよ」

「とてもそうは思えぬが──と。そろそろ、本当に帰らねばなるまいな。……二人とも、お元気で」

「そちらも、体調には気をつけてくださいね」

「ユタくん、またねー」


 ユタは子どものように笑って、城の方角へと去っていった。瞬間移動もできるだろうが、飛んで帰るらしい。これで、私たちは敵同士に戻る。切り替えなければならない。


「──さて。マナはこれからどうするの?」

「城へ帰りたいですね。一日分溜まった業務たちが、私を待っているので」

「うわお、大変そうだねえ……」

「あかりさんは、魔王城へと向かわれるのでしょうか?」

「そうそう、まなちゃんを探してるからね。さすがマナ」

「──行かないでください」


 私はあかりの手を掴んだ。ずっと、引き留めてしまわないようにと考えていたのに、どうしても、抑えきれなかった。


「マナ──。僕は、まだ、君を選べない」

「いつまで、待てばいいんですか。……もう、八年も待っていたんですよ」


 また溢れそうな涙を、ぐっと堪えて、私はあかりの顔を見上げる。あかりは、驚いた顔をして、それから、私の伸びた髪に指を通した。


「そっか。そんなに経つんだ──」


 あかりはしばらく、私の顔を正面から見据えていたが、やがて、ゆっくりと口を開いた。


「マナ。もう、待っててほしいなんて言わない。だからさ……幸せになってよ? マナなら、僕じゃなくても、いくらでも──」

「嫌です」

「マナ──」

「こんなに待たせておいて、今さら、そんなことが許されるとお思いですか。責任を取ってください」

「ごめん」


 私は腕に力を込める。二度と、離さないように。あの日、見送ったことを、何度も何度も、後悔したから。


「許しません。どうしても行くというのなら、私を、本気で振りきってください。もう、私のことなんて、なんとも思っていないって、言ってください。そうじゃないなら──もう、どこにも、行かないで」


 みんな、私の前から消えていく。父も母もエトスも、先立った。ハイガルが亡くなって、まながユタを私に任せて、あかりが私に、待っていてほしいと言って、去った。


 私は、強くあろうと誓った。自分で、女王になると決めたのだ。他の誰の責任にもできない。何があろうとも、私には、国を守る義務がある。守りたいとそう思う。


 そして、いない両親に代わって、弟や妹たちの面倒を見る、責任がある。だから、葬式でも、涙の一滴も見せなかった。式が終われば、すぐに公務へと戻り、戦後の復興や支援に尽力した。泣いている暇などなかった。


 それでも、私は強くなど、なれていなかった。あかりの顔を見ていたら、今まで抑えてきたものがすべて、溢れだしたかのように、涙が止まらなくなった。


 あかりは困ったように頬をかいて、優しく、私の手を掴み、


「マナ、離して──」

「嫌です」


 私は頭を振って、あかりの頼みを拒否する。そして、引き剥がされそうな手に、さらに力を込める。


「ははっ。マナって、そんなにわがままだったっけ?」

「あなたが私をこんな風にしたんです」

「──そっか、ごめんね」


 思いっきり、振り払ってほしい。それで、あかりのことは、諦める。まなのことも、忘れる。あのかけがえのない日々のすべてを、なかったことにする。


 それから、隣国の王子とでも婚姻して、後継となる家族を築いて、国のためによりいっそう尽くすのだ。余計なものは、すべて、切り捨てて。


 私が一方的に、彼を必要としているだけで、きっと、彼には私が必要ないのだと。そう、はっきり示してくれさえすれば──



「マナ、愛してる」



 私は思わず、手を離した。そうして、瞬きのうちに、彼は姿を消した。



 私はまだ、柔らかい感触の残る唇を、指でなぞり、やっと理解した。



 それが、初めてのキスだった。



 ──本当に、どこまでも、最低なやつだ。心の底から、呪った。あんなに、私を苦しめる人は、他にいない。いつまで、縛られ続ければいいのだろうか。


 それでも、どうしても、嫌いになれない。待ち続けたい。身寄りのない彼の、帰ってくる場所でありたい。


 嫌いなところはたくさんあっても、好きになれるところは少ない。だから、嫌いだ。──嫌いになりたい。こんな思いをするくらいなら、ずっと、忘れたままでいたかった。


「……馬鹿」


 ──しばらくして、私の護衛をしていた人物が現れ、肩に上着をかける。


「マナ様、いつまでもこんなところにいては、風邪を引いてしまいますよ」

「引きません。一度も引いたことがないんですから」


 まだ涙声だったが、彼はそこには言及しなかった。


「──ギルデルド。今夜だけでいいです。お休みをいただけませんか」

「構いませんよ、マナ様。いつ頃、お迎えに上がりましょうか?」

「いえ。自分で帰らせてください」

「分かりました。くれぐれも、お体を大事になさってください」


 そうして、ギルデルドは深々とお辞儀をすると、車に乗ってその場を去った。


 私は地上に降りて、ふらふらと歩いた。

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