第6-5話 殺せるの?
「はーっ! 城は窮屈でいかんな。いつまでも、あの空気の中に閉じ込められていては、腐ってしまいそうだ」
そう言って、ユタは宙に深く腰かけ、頭の後ろで手を組む。空を飛ぶことすら容易いのだろう。
「いや、結構楽しんでるっぽくない?」
「ユタさんには、偉そうなのが向いていると思います。私なんて、何度、脱走を試みたことか」
「マナが脱走を? ──意外だな」
ユタが目を丸くして私の方を見る。確かに、ユタの前では、清く正しく美しい姿しか見せてこなかった。とはいえ、私の本質は、いい子では決してない。
「こう見えて、昔は意外と、悪さしてたみたいだよ」
「城の暮らしは、退屈でしたから。誘拐された方がましだ、なんて、考えていた時期もありましたね」
それを聞いたユタが少し笑った。とはいえ、誘拐など、一回しかされたことがない。もちろん、レックスのときのを含めて。
「実際は、マナが強すぎて犯罪集団をフルボッコにしちゃうっていうね。マナの部屋に遊びに行ったら、悪そうなやつらが倒れててさ、『処分しておいてください』とか言うんだよ? ほんと、びっくりだよね」
「余も似たようなことがあったな。誘拐されそうになった際、全力で抵抗した結果、余の方が怒られた」
「──それ、とてもよく分かります」
「変なところで共鳴しちゃった!?」
それから、色々なことを話した。
自由研究で、ノラニャーとネコの違いを調べたとき。ノラニャーはネコのエサを食べないとか。喧嘩をすると、いつもネコの方が勝つとか。なんやかんやで仲がいいとか。
モンスターを自宅で飼育することに関して、ユタが次期魔王であることもあり、当時は世の中が色々騒いでいた。だが、そのときに撮った写真の中に、ノラニャーの珍しい習性を写したものがいくつかあったため、今では貴重な資料として国に保管されている。
これは、モンスターと動物の関係を探究する魔法生物学において、歴史的な発見であった。要約すると、モンスターは動物を真似る習性があるということだそうだ。
モンスターは主に、初代魔王により産み出されたものだが、その全容は魔族の側でも掴みきれていないらしい。まあ、ここでこれ以上、詳しく話すようなことでもない。
「シーラって、どうなった?」
「私とレイがお世話をしていますよ。ネコと違ってそんなに毛が抜けないのでいいですね」
「そっかそっか、気になってたんだよねえ。まあ、マナがいるから心配はしてなかったけど」
「ノラニャーは、ネコに擬態した人魔族だ、なんて話も当時はあったな」
「シーラはちゃんとしたノラニャーだよっ!」
──少しずつ、明日が近づいてくる。こうしていられるのは、今だけだ。明日になれば、私たちはまた、憎み合う関係に戻るだろう。そしてそれは、きっと、このままの平和な形では、終わらない。
「──なぜ、オレたちは。いや、いつまで、こんなことを続けなければならないのだろうな」
ユタが月に手を伸ばしてそう言った。きっと、そこに手が届かないことを知っているからだ。
「私が女王で、あなたが魔王だからですよ」
「……女王には昔、世話になった。感謝してもしきれぬほどだ」
「昔の話です。そんなにぬるいことばかり仰っていないで、あなたはお父様の仇をとることだけ考えてください」
あえて、厳しい態度をとる。そうした方が、今後のお互いのためだから。私の方も、ユタの存在に支えられていた部分がないわけではない。
まなに頼まれてユタの面倒を見ていたのは、高校を卒業するまでの三年間。卒業間際は即位に関する業務が続き、ユタが十一になる頃にはほとんど顔を合わせることもなくなっていた。
ちょうどその頃、ボーリャが寿命を迎え、人間と魔族の内戦が起こり、魔王が亡くなった。きっと、ユタが私に抱く感情は、想像以上に複雑なものだろう。
そして、終戦後まもなくして、魔王の血筋を狙った事件が発生し、れなも命を落とした。発見時には、王城の一番高いところにその首は吊るされていたが、体の方はまだ見つかっていない。
ちなみに、エトスは魔王軍幹部の一人と相討ちになった。魔族は魔力が強いため、平均して個々が人類の三倍の兵力を持つと言われている。その幹部と一対一でやり合って勝利したのだから、戦果としては上々だ。生きて帰って来さえすれば、完璧だった。
多くの兵士を失った。以前の爆発事件のように、一人一人を弔いたかったが、そうしている時間はどこにもない。今、こうしている間にも、と考えはするけれど、一人弔えば、全員同じようにする必要が出てくる。それは、到底、無理な話だった。
ユタに個人的な情があるとはいえ、この内戦に関しては、私の私情だけでは決められない。こちらも、失ったものは多いのだ。
このまま、停戦を続けても、和平を結んでも、いずれ、国民たちの手によって争いが引き起こされる。下手に動けば、そこに介入できなくなる可能性もある。これ以上、犠牲を増やしたくはない。
「──やはり、余に魔王は向かぬようだ。……どうしたら父は、国のためにあそこまで捨てられたのか。余には理解できぬ」
「カムザゲスは、何にも捨てられてなかったよ」
そう、あかりが言った。魔王と手を組んでいたため、よく知っているのだろう。それに、以前、親しげに話しているところを私はこの目で見たのだ。
「あの人は、すっごく弱かったから、何も選べなかったんだよ。──まなちゃんのことは、さすがにもう知ってるよね?」
「ああ。白髪の女子として生まれ、虐待および拷問を受けていたということはな。死の間際になって初めて聞かされた。今思えば、父は余に、すべてを押しつけていったのだと分かるがな」
魔王カムザゲスが亡くなったのは五年前の話だ。それを聞いた当時、すべてを受け入れるには、ユタはまだ幼すぎた。そして月日だけが経った。
若くして魔王になること。逃げたまなを恨まないこと。魔王として、代々引き継がれてきたことを、今度はユタが魔王となって引き継ぐこと。そこには、人間たちの嫌われ役として君臨することが求められる。
──お前は恵まれているのだから、贅沢なことを言うな。
そう言われたのと同じだと、ユタは感じたことだろう。姉であるまなの境遇など聞かされれば、比較してしまうのも無理はない。そこで他人事だと思わないのは、彼の美点だが。
「──一回だけ、そんな魔王が、まなちゃんを殺した方が良かったのかもしれないって、言ったことがあるんだ。あんなに辛い目に合わせるくらいならいっそ、ってね。ほら、全然、強くないでしょ?」
「だが父は、すべてを知っていながらも、何もしなかったのだろう?」
「手、ぶるっぶるだったけどね。──オレが一体、どんな気持ちで! 何もせずに! とかなんとか。あははっ」
あかりは先代魔王の真似をしているようだったが、何も似ていなかった。その上、笑える要素が一つもなかったと思うのだが。
「……父も、人だったのだな。魔王になれば勝手に血が凍てつくものだと思っていたばかりに、そうなれない余が弱いのだろうと、そう思っていたが」
「先代の魔王は、素晴らしい方でしたよ。多少、臆病な印象があったのは否めませんが、自分の命を人々を守るために使ったのは、彼が初めてです。……私もそこだけは、計算外でしたから」
ヘントセレナを陥落させたら、降参してはくれないだろうかと、そう思っていた。そうすれば、残りの魔族たちを死なせることなく、この戦争を終わらせることができるから。
ただ、私はユタザバンエのもつ力に気がついていた。昔から、彼の魔力は段違いだった。今のユタであれば、私とあかりが組んだとしても、勝てるかどうか微妙なところだ。
おそらく、ユタザバンエ一人で、ルスファの人類を残らず滅ぼすことすら可能だろう。だから、カムザゲスはユタに魔族の未来を託したのだ。
「──人間の女王にそう言われるとはな。生前の父が、お前を敵ながら高く評価していたことを思い出す。この争いを終わらせるためには、お前の力が必要だと、そう言っていた」
「敵を正しく評価することも、また才能ですよ」
「あははっ。たまには、謙虚な姿勢の一つでも見せた方が、あかりも喜ぶのではないか?」
「え、僕? 何々、何の話? 全然聞いてなかった」
私は静かに、あかりの顔をじっと見つめてみる。
あかりは頭に疑問符を浮かべて、私の顔を見つめ返してくる。
そうして──先に、私の方が目をそらした。
「え、ん、どういう反応? よく分かんないけど、めちゃくちゃ可愛いね」
「うわぁ……」
「ユタくんまで? 僕、なんかした?」
「爆ぜろ」
「いや、ほんとに何したの、僕!? マナ、後で教えて?」
「嫌です」
「そう言わずにさあ……あれ、マナ、体調でも悪い? 顔が赤いような……べふっ」
「こっち見ないで」
あかりの顔を手で遮り、反対に向ける。いつまで経っても勝てそうにない。悔しい限りだが。
「甘いな……」
「すみません。取り乱しました」
「──ははっ、やっぱり、マナをからかうのって楽しいよね」
「……え? 演技なの?」
思わず、ユタも素が出ていた。私も正直、少しだけ、自信がなかったけれど。やはり、演技だと思った。最初から分かっていて、私の顔を見つめてきたのだ。
「そうだよ。この程度に騙されるなんて、ユタくんもまだまだだねえ」
「女王は分かっていたのか?」
「分かっていましたよ」
「分かっててあの反応な辺り、マナってだいぶ純情だよね」
「うるさい」
そんな私たちを見るユタは、羨ましそうで、寂しそうだった。これでユタが、平和的解決を望んでくれればと、そう思う。薄情なようだが、今の時代では、魔族が敗戦を宣言するのが、一番被害が少なくて済む。
きっと、あかりはすべて分かっているのだ。その上でユタに、こう問いかけているのだろう。
──君は、僕やマナを殺せるの?
と。
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