第6-2話 魔王ユタザバンエ・チア・クレイア

 朝から着飾る億劫さには、相変わらず慣れない。とうに腰を下回った髪の毛などは、昨日から手入れされており、寝るときにでさえも人がついていた。とはいえ、誰かにやってもらえるだけ、私は幸せなのだろう。


 そうして、諸々の準備を済ませた私は、側近の運転する車に乗り込んだ。科学技術の進歩により、最近の車は魔法を使わなくても空を飛ぶものが主流になったので、移動が楽にできて便利だ。あの田舎で有名だったトレリアンでさえ、この数年の間に飛躍的な進歩を遂げ、今や一家に一台と言われるほどに飛行自動車は普及している。


 そうして、数年前なら考えられないような時間で、あっという間に魔王城に着いた。側近はロータリーで私を車から降ろし、魔王城の案内人に私を任せると、また空へと飛び上がった。どこかに駐車して、その後は静かに見守ってくれるつもりなのだろう。


 城の前にかかる橋の両側には、一面、満開の桜が並んでおり、来訪者を出迎えているようだった。魔王城に足を運ぶのは、実に、八年ぶりだろうか。停戦を結ぶときも、トレリアンに使いを来させたので、長らく立ち入っていない。


 受付を済ませ、私は適当な椅子に座る。魔族の集まりの中にただ一人、人間の女王がいるのだ。話しかけてくる者もいなければ、私から話しかけたとしても、困らせてしまうだけだろう。私としてはユタの姿さえ見られれば満足なので、他の者と積極的に関わることはしなかった。


 ──もしかして、と思ったのだが、やはり、ここにもいないらしい。もちろん、あの白髪の少女のことだ。


「静粛にお願いします」


 開始の時を知らせたのは、まだ幼い少女の声だった。宝石のようなピンクの瞳に、燃えるような青髪。そして、何より、その頬の青いダイヤ模様に、見覚えがあった。あのときの、さたたんとやらだ。


 その後どうなったのか、少し気にかかってはいたが、この状況から推測するに、通例に従い魔王に仕えているらしい。


「この場の司会を務めさせていただきます、ナーア・ウーベルデンと申します。よろしくお願いします」


 そんな無難なあいさつから、パーティーは始まった。段取りよりも、盛り上がることを重視する魔族には、長い祝辞をする慣習などもないらしく、早々と、新魔王の挨拶に移行する。長い祝辞に慣れている私としては、少し物足りない気もするけれど。


 そして、壇上に現れたのは、純黒の髪をきっちりと固め、スーツに身を包んだ、背の高い少年だった。父親そっくりの不敵な笑みを湛えている。一目見て、すぐに分かった。


「余は、ユタザバンエ・チア・クレイアである。控えおろう」


 透き通る声だった。その一言で、一同は頭を垂れる。私も遅れず、それに続く。


「面を上げよ。──ふむ。前から一度、やってみたかったのだが、こうして実際にやってみると、なかなか壮観だな」


 それが冗談だと思ったのか、場の雰囲気が少し和らぐ。私はそれが本心であることを知っていたが、本人も冗談に聞こえるように言ったのだろう。


「五年前、父が戦死し、結界を残してくれたからこそ、余は今、ここにいる。感謝してもしきれぬほどだ。幼くして親を失った余を世話してくれた者たちにも感謝する。とまあ、言いたいことは山ほどあるが……こうして、退屈な話ばかり続けていてもつまらぬだろう? 聞きたい者は、後で個人的に聞きに来るがよい。いくらでも聞かせてやる。それから、今日は、少しばかり羽目を外そうが、余も責めたりはせぬ。存分に楽しむがよい」


 それでも、まだ緊張の方が強い。すると、言葉だけではなかなか、理解してもらえないと判断したのだろう。ユタはこんなことを言い出した。


「そうだな……余の角を触りたいと申す者がいるならば、喜んで差し出そう。どうだ?」


 恐れ多いのか、誰もが顔を見合わせるばかりで、動こうとはしない。そんな嫌な静寂の中、一人だけ手が挙がった。周囲の視線はその人物に集まる。


 その人物は、フードを被っていた。顔はよく見えない──いや、認識できないと言った方が正確か。生前、れなが愛用していたのも同じ効果を持つフードだった。


 そして、その人物には角がなかった。魔族が中心の集まりなので、すべての魔族が角と尻尾を出している。つまり、おそらくは人間だ。魔族たちも私と同じことを思ったのか、会場内がざわつく。


 魔王の即位を祝うパーティーに参加する人間という怪しげな存在から、私は目を離さないようにする。


「ほう、とんだ、命知らずがいたものだ。──触るがよい。ただし、感電しても余は責任を取らぬぞ」


 その人物は屈んだユタの角を、これでもかというくらい撫でると、無言で席に戻った。なんだったのだろうか……。


「──さあ! 騒げ、愚民ども! 今日は無礼講だ! たいていのことは見逃そう!」


 わっ──。と会場が湧き、一気に騒々しい場となった。先のくだりで緊張がほぐれたことが私には不思議で仕方がないのだが。むしろ、あの愚かな人物の生死について案ずるあまり、余計に委縮してもいいくらいだ。とはいえ、結果良ければすべて良し。


 司会のナーアと名乗った少女は、壇上でうろうろしていたが、やがて、しっかりと頭を下げ、壇を降りた。後のプログラムがあったのだろうが、それを全部無かったことにしたらしい。相変わらず、ユタはやりたい放題らしい。


 他者との交流以外に、催しの時間までは特にすることもない。その上、催しといっても、参加を強制するようなものもない。極端な話、もう帰ってもいいということだ。分身に任せているこちらの誕生日パーティーは息が詰まって仕方がないというのに、この差はなんなのだろうか。


 ──まあ、あんなことを言ったせいで、ユタ魔王は小さい子に角を叩いたり、引っ張られたりしていたが、それでも、気にしている素振りはまったくない。


 ともあれ、今はユタと接触するのは無理そうだと判断し、私は足早に会場を出ようとしていた先のフードの人物の手を掴む。振り向いたその瞳は黒色で、明らかに、魔族ではない。


「あなたは、誰ですか?」


 その人物は、一度、魔族たちに囲まれるユタに視線を向けると、フードを深く被り直し、私に腕を掴まれたまま、無言で会場の外へと出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る