第6節 八年後の願い

第6-1話 八年後の今

 ──二〇八九年。人間に対して、強い負の感情を抱いていたヘントセレナの魔族たちが、人間と魔族の間の停戦条約を破り、魔王の許諾なくして蜂起したことをきっかけに、ルスファ王国内戦が再発した。


 マナ・クラン・ゴールスファ女王率いる新王政はヘントセレナの侵略に成功したが、魔王カムザゲスが自らの命と引き替えに結界を張ったことにより、最低でも、五年は侵攻を妨げられる結果となった。そうして、この内戦は、一ヶ月で再び停戦状態となった。


 この戦いに勇者榎下朱里は参加せず、女王の力により魔王を退けることは叶ったものの、人類への被害は甚大なものとなった。


 第一王子エトスは、自ら戦場へと赴き、戦死。元女王ミレナは、魔王討伐後、元国王と同じ病を患い、病死した。榎下朱里については、五年経った二〇九四年現在も、いまだ、消息不明である。


 一方、魔族の国では、前魔王の血を引く者たちが相次いで殺害される事件が発生。いまだ、犯人は特定できておらず、この事件と同犯人と思われる者の手により、大賢者レナが死亡した。


 人間と魔族、二つの陣営は停戦状態にありながらも、溝を深めつつあり、最後の砦を失った魔族たちからは、齢十六になる新魔王の即位が期待されていた。


***


「やーい! 魔族魔族ー!」

「こっち見んな!」

「うわ、きったな!」


 私の瞳は赤かった。でも、それは、魔族の赤とは少し違う。魔族の赤は、もっと鮮やかな血の色をしているらしい。


 昔は仲の良かった友だちも、みんな離れていった。なぜ、こんなことになったのか分からない。


 ある日、一番仲のいい隣の家の子のお母さんが家に来て、私のお母さんにこう言っているのを聞いた。


「もう、うちの子と遊ばせないでください。赤い瞳なんて、穢らわしい。魔族の血でも入ってるんじゃないんですか?」


 お母さんはもう隣の子と遊ばないようにと言った。それでも、私たちはお母さんたちの目を盗んで一緒に遊んでいたけれど、あるとき、隣の家のお母さんに見つかってしまった。


「この子があなたといるのを見ていると、気が狂いそうになるの! もう二度と関わらないで!」


 その次の日、その子は遠くへ引っ越してしまった。


 私はお母さんに気づかれないように、こっそり泣いた。お父さんはチョウヘイとやらでメイヨのセンシをトゲタらしい。だから私も、魔族が憎かった。お父さんと同じ、この赤い瞳が嫌いだった。


 私は人間なのに。魔族とはなんの関係もないのに。どうして。


 石がこつんこつんと投げられる。周りの大人には相談しなかった。言ったところで、私のせいだと言われるに違いなかったから。そして、お母さんにこれ以上、迷惑をかけたくなかったから。


 家の白い壁にも、魔族とか、出てけとか、穢れた血とか、そんなことを書かれる。だからせめて、私は上手くやれていると、お母さんに思わせたかった。


 それに、やり返したら、何を言われるか分からない。だから、耐えるしかない。耐えていれば、今日の分はそのうち終わる。



 いつまで耐えればいいのだろう。



 ──そのとき、私の前にフードを被った人が立ちはだかった。私に背を向けていて、顔は見えなかったが、フードを取ると、そこから、色の抜け落ちたような長い白髪が現れた。


「う、うわあっ!?」

「ひぃっ、こ、殺される……」

「うわーん! ママー!」


 情けなく泣き始めるいじめっ子たちに、私は何事かと目を白黒させる。すると、


「死にたくないなら、早くここから立ち去りなさい」


 女性がそう言い放ったのを聞いて、三人は足をもつれさせながら、どこかへと走り去った。


 私はお礼を言わなければと、声と勇気を振り絞る。


「あ、あの──!」

「お礼は結構よ。全部、あたしのせいだから。それに──」


 そうして、彼女は振り返った。


 ──その瞳の色は、見間違うはずがない、恨むべき魔族の赤だった。


「あ、ぁ……」


 私は思わず後ずさる。すると、彼女は、


「ごめんなさい」


 と、一言、呟いてフードを被り、どこかへと歩き始める。


 このままでいいのだろうか。魔族とはいえ、彼女が私を助けてくれたのは、事実ではないのか。


 しかし、彼女の赤い瞳を見た瞬間、私には彼女が、魔族であるという事実しか考えられなくなっていた。


 ──全部、魔族のせいだ。魔族のせいで、私はこんな目に合っているんだ。お父さんが死んだのも魔族のせいだ。


 私は何も悪いことはしていないのに。


 結局は、私も、他の皆と何も変わらない。皆が魔族を恨み、憎しみを抱き、恐れ、ただの赤い瞳ですら軽蔑しているのと同じだ。


 私も、何も悪いことをしていないであろう彼女を傷つけた。だが、許そうという気にはなれなかった。

 

 そうして、私はついに、二度と、彼女にお礼を言うことができなかった。


***


「少し、お休みになってはいかがですか?」


 目の前に湯気の立つ紅茶が置かれる。ちらと見ると、中性的な顔立ちの女性が、心配そうに私の顔を見つめていた。


 私はカップを手に取り、くるくると回し、その香りを味わって、一口啜る。相変わらず、味は分からないが、淹れ方の違いくらいは判別できる。


「冷めないうちに飲みます」


「──そうですか。では、失礼いたします」


 静寂に包まれた自室で、私は書類とにらめっこする。全部デジタル化してくれればいいのに、重要書類は書き換えを防ぐため手書きにしろというのだから、億劫で仕方がない。


 印鑑だってデータ化されている時代だというのに、なぜこんなに手間のかかることをしなければならないのだろうか。


 とはいえ、文句ばかり言っていても、手は進まない。


 宰相でも雇えば、今よりは仕事も減るのだろうが、私より優秀な頭脳を持つものなど、この世にそうはいない。だとすれば、自分でやる方がいい。


 確か、三日ほど寝ていない気がするが、体も頭もまだ動く。問題はない。これでも、戦後処理に追われていた頃よりはまだましで、ヘントセレナ付近の復興も一年のうちに終わらせて、だいぶ落ち着いてきた。


 ただ、最後の砦を陥落させたことと、昨今の魔王の血筋が根絶やしにされている事件、それから、魔王カムザゲスが張った五年の結界が解かれたことにより、人類は勝利を半ば確信していた。


 そして、人間たちは、魔族をより軽蔑するようになった。前回、仕掛けてきたのがあちら側だということも、原因の一つだ。


 だが、そもそも、ヘントセレナが蜂起した原因は──、


「──はあ」


 ──目の焦点が合わなくなってきた。少し、目眩がする。

 私は目頭を押さえて上を向いた。


 やはり、レイの言う通り、少し休んだ方がいいのかもしれない。紅茶を飲みきったら、数分だけでも仮眠を取ろうと心に決め、私は再び机に向かう。


 ふと、一通の封筒が目に入った。私はその中身を再度確認する。


 ──四月二日、魔王城にて、ユタザバンエ様の魔王即位のパーティーが行われます。この日限りは人間と魔族の壁を取り払い、貴重な時間を共有いたしましょう。当日はこの封筒をお持ちください。スケジュールは以下の通りです。


 そんな内容が書かれていた。人間と魔族を並べて書くときに、相手の種族を先に書くのは礼儀の一つだが、それが守られているのを見る限り、敵意はないのだろう。


 とはいえ、人間の女王である私が招待されるのは、ただの社交辞令であり、本来、行く必要はない。私の即位のときにも、先代魔王は顔を出さなかった。昔から、そういう関係を続けてきたのだ。


 その上、先代魔王を追い詰めたのは私だ。直接の死因は結界を張ったことによるものだが、魔族たちが私を快く思わないだろうことは容易に想像がつく。


 ただ、即位する人物と個人的に面識があるため、どうするべきかと、私は悩んでいた。

 個人的な気持ちとしては行きたいのだが、却って迷惑になるかもしれないし、即位を祝うだけなら、わざわざパーティーに出席する必要もない。


 ──そもそも、出席する時間などあるのだろうか。


「──それに、私の誕生日と被っていますが……まあ、分身にお願いすれば、行けなくもないですね」


 こちらのパーティーに分身を出席させるのもどうかとは思うが、ニコニコ笑って座っていればいいだけなので、おそらく大丈夫だろう。他国の王たちの相手もする必要があるが、それくらいは分身にもできる。


 それに、普段から、書類整理と現地調査を平行して行いたいときなどに、分身はよく使うので、慣れている。数年前は特に、使う機会が多かった。


 というのも、戦後まもなくなどは、一ヶ月では暴れ足りなかったと言わんばかりに各地で小競り合いが起きたのだ。


 基本的には大きな争いに発展する前に兵士たちに対応させていたが、大きくなりすぎたものは、私自ら現地に赴き、解消していた。


 ルスファは、大陸一つが一つの国なのだ。元々、紛争の火種など、どれだけでもあった。


 しかし、それまではなんとか抑えていたものが、魔族との内戦が起きたことにより爆発したのだろう。


 当時は、今が契機と言わんばかりの荒れようだった。最低限とはいえ、よく一年で復興まで漕ぎつけられたものだと思う。


 だが、復興を終えたとしても、問題は山積みで、すでに私一人では手が足りていない。


 その上、頼れるもの全部に頼っても、足りない。


「やはり、休んでいる暇はありませんね」


 私は仮眠の予定を無かったことにして、業務へと戻った。


 ──それから、一時間ほどが経ち、私は深い眠りについていた。


「まったく、無理をしすぎですよ、姫様」


 レイは睡眠薬入りの紅茶のカップを片づけて、その証拠を消した。


***


~あとがき的な追記~


前話までは、二〇八六年です。ここからは、八年後の、二〇九四年の話となります。

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