第3-20話 ずっと一緒にいたい

 時間とともに、人がまばらになっていく。終わりの気配が近づいていた。私は、ユタの母──マリーゼの子どもだと公言できない。理由はいくつかある。


 魔王の娘で白髪の女は、処刑しなければならない。また、正妻の子というのは、何かと狙われやすい。そういった理由だ。


 そのため、ユタとまゆをハイガルに預けると、私は魔王と防音部屋で話をしていた。二人きりで会っていることが露見すると、そこから足がつく可能性があるからだ。別に、なにも悪いことはしていないのだけれど。


「ユタをそっちで預かりたい? 冗談でしょ」

「こんなにつまらぬ冗談があるか。あれは、あんなに幼くとも、次期魔王だ。正妻が亡くなったということが魔族全員の知るところとなった今、ユタザバンエを狙うものは確実に増える。これまではマリーゼがユタザバンエを守っていたが、その代わりがお前に務まるとも思えん」

「今まで、ずっと何もしてこなかったくせに、急に父親ぶるわけ?」


 何もしていないという点では、私も人のことは言えないけれど。ユタを守れるというのなら、母のことも守れたのではないかと、そう思わずにはいられない。とはいえ、本当に治りようのない病であることは、私が一番よく知っている。


「──くっくっく。それも一理ある。それなら」


 と、魔王は人差し指を立て、裏のありそうな笑みを浮かべる。


「一日でよい。こちらで預からせてはくれぬか?」

「……話が通じないわね」


 私は眉間のシワを指で伸ばし、腰に手を当てて言う。


「あのね。言うことが三つあるわ。まず、ユタの意見を聞かずに決めようとしないで。転校なんて話になったら、今の友だちと離れることになるでしょ? 引っ越す必要がないなら、それに越したことはないわ。次に、なんで一日だけ? その後は全部あたしに押しつけるってこと? あたし、高校生なんだけど? 自分のことで手一杯だわ。むしろ、あたしの面倒も見てもらいたいくらいよ。……最後に、あたしだけじゃユタを守れないし、面倒を見切れない。それは、事実よ。正論すぎて、言葉も出ないわ。帝王学? とか、社交界のマナーとかも、教えられるとは思わないし。あたしが大人だったとしても、力不足でしょうね。はい、以上」


 私は三つ黙って聞いていた魔王の反応を待つ。表情は、絶えず不気味な笑みに包まれていて、恐ろしい──というより、父親として、気持ち悪い。


「ユタザバンエの意思は尊重しよう。また、しばらくの間、こちらで面倒を見る。人を寄越そう。教育もそいつにさせる。それから」


 魔王はつらつらと述べていき、そこで一度、言葉を区切り、表情を崩した。


「──ユタザバンエを守れるのは、お前だけだ。だから、俺もマリーゼも、お前に頼むのだ」


 切実だった。その言葉だけは、不敵な笑みにも、不気味な雰囲気にも覆われていなかった。すべてを取り払って、初めて素直に話してくれているような気がした。


「なんであたしに……」

「いずれ、分かる日が来るだろう。そのとき、ユタザバンエが道を踏み外しそうになったら、お前が手を引いてやってくれ」

「……それだけ、ユタを大切にしてる風なわりには、さっき、ユタに名乗れとか言ってなかった? 名前忘れたの?」

「あれはだな。ユタザバンエ、ユタザバンエ……どうにも、覚えづらい。魔王らしさという点では、満点だが。くっくっく……」

「その気持ち悪い笑い方、やめなさいよ……」


 そうして話していると、緑のフードを被った、背の小さな人物が、ノックして入ってきた。その人物は耳打ちするわけでもなく、ただ魔王の顔をじっと見つめる。念話、または、思念伝達という魔法だろう。


「そうか。……すまない、マナ。どうしても外せない用ができたのでな」

「──別に。あんたの顔なんて、これ以上、見たくないわ」

「くくっ、そうか。お前の姉に、よろしく頼む」

「……ええ」


 私は言いたい言葉をのみ込んで、去り行く魔王の背中を見送った。次に会えるのはいつかも知らないけれど、もう一度会いたいとは、少しも思わなかった。


 ──まゆがこんなことになった、その元凶だからだ。到底、許すことはできない。


 そうして、私も部屋を出て、まゆたちの元へと向かっていた。


「はあ。れなによろしくって言われても、いつ会えるかも分かんないし──」


 そのとき、背後から肩を叩かれて、私は咄嗟に振り向く。そこには、深くフードを被った女性が立っていた。


「れな?」

「ぴんぽーん。せーかい」


 そう言って、れなは私に紙切れを手渡す。今日は手紙が届かないと思っていたが、まさか、手渡しだとは。私は、半分に折られた紙切れを開き、中身を読む。


 ──まなちゃへ

 やっほ、まなちゃ、思ったより元気そうで何よりだよー、うんうん。ってことで、改めて自己紹介。れなは、レナ・クレイア。そう、れなは、まなちゃの姉でしたー! いえい!


 このイライラする感じが、まさしく、それだ。言った通り、短めに収めてくれてはいるが。


 私は顔を上げるより先に、問いかける。


「やっぱり、そうだったのね」

「うん、そーだよ。だから、あたしはまなちゃのことが大好きだし、まなちゃには頼ってほしいと思ってる」

「……じゃあ、どうして、あのとき、助けてくれなかったの」


 れなは寂しそうに笑って、謝った。


「ごめんね」


 私は話題を変える。


「チア草でしか救えないって。この世に存在しないってこと、知ってたんでしょ」

「うん、知ってたよ」

「最初から、お母さんのことは諦めろって、そういう意味だったの?」

「──お母さんは、チア草でも見つからない限り、治せなかった。だから、あたしは、まなちゃに、お母さんとの時間を大切にしてほしかったの」


 私は。


「結局、最後まで、自分じゃ気づけなかったわ。……最初から、そうやって教えてくれれば良かったのに。あんたが教えてくれさえすれば、あたしはお母さんとちゃんと話してたわ。あのときだって、あたしたちを助けに来てくれなかった。いつだって、あんたがやることは、あたしに対する嫌がらせにしかならないのよ」


 そう、心にもないことを言ってしまった。それ以上は怖くて、何も言えなかった。れなを傷つけることしか言えない気がしたから。


「ごめんね、まなちゃ。本当に、ごめんなさい」


 れなはフードを外し、赤い瞳をさらすと、頭を低く下げて謝った。エメラルドのように綺麗な緑の髪が、背中から滑り落ちる。そんなことをしたって、何にもならないと、知っているはずなのに。そんなことをしてほしいわけじゃないのに。


 ただ、抱きしめて、慰めてほしかった。ずっと側にいてほしかった。それだけなのに。彼女はいつも、私がいてほしいときに、そこにいてくれない。


 私は、それを見ているのも苦しくて、何も言わずに踵を返した。それが、最後に見たれなの姿だった。


 その日以来、手紙はもう、届かなかった。

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