第3-19話 制服を着たい

 さすがに、戸惑うこともなくなってきた制服の袖に腕を通す。


「お姉ちゃんは来なくていいわよ。お姉ちゃんのお母さんじゃないんだし」

「でも、まなのお母さんでしょ? 行かせてよ」

「──ありがとう」


 マナから借りた黒い鞄を持って、私はポストを確認する。今日は、れなから手紙が来ていなかった。


「出るわよ」


 鍵を閉めて階下に向かい、一番手前の二人部屋の扉をノックする。


「ユタ、起きてる?」


 少しして、内側から鍵が開かれると、隙間からユタが小さな顔を見せた。まだ眠そうに、目をこすっている。ここまで自分で起きてきただけでも上出来だ。


「準備、できてないでしょ。上がるわよ」

「うん……」


 私は昨日作っておいた朝ごはんを、温め直して机に並べる。ユタに食べさせている間に、くせのついたユタの髪を梳かし、着替えを用意する。


「ほら、歯、磨いて」

「自分でやったことないもん……」

「じゃあ、先に制服に着替えて、それから──」


 自分でも自分が何をしているのか分からず、混乱しながら。自身の要領の悪さを自覚しながら、それでも、行かなければならないと、私は準備を進めた。


「ル爺、よろしく」

「いえそー」


 車に乗り、会場へと向かう。後ろに私とユタとまゆが座り、助手席にはハイガルが座っていた。


「なんでハイガルまでいるわけ?」

「いたら悪い、か?」

「悪くはないけど……」


 ユタの母親、つまり、魔王の妻だ。なぜ、ハイガルが来るのだろうか。


「クレイアこそ、来てよかった、のか?」

「……正直、迷ったけれど、行かなかったら、後悔すると思って」


 会場は魔王城。普段は、魔族以外の出入りを禁じられているが、ユタの母親の友人などが参列する関係で、今は、実質、誰でも入れるようになっている。母は人間であり、友だちも数多くいたらしい。その分、警備は厳重になってはいるが。


「ユタ、誰か知ってる人とかいる?」

「ううん。知らない」


 ということは、先ほどから、こちらに視線が集まっているのは、相手が一方的にユタを知っているからだろう。私の髪色も目立っているかもしれないけれど。魔族にも人間にも、白髪の人はそういない。


「それにしても、すごい人数ね」

「ああ。マリーゼ様は、魔王の正妻だからな。おそらく、魔王本人も──」


 と、そのとき、会場がざわつき出した。全員の瞳が、入り口の方へと向けられる。


「騒がしいな。葬儀の場で騒げと教えられているのか?」


 重苦しい声。聞くだけで、肺に鉛を流し込まれたかのように、体が重くなる。足音が近づく度に、緊張感は増していく。その上、足音はこちらに向かってきて、私たちの前で止まった。魔王は、ユタを見下ろし、


「名乗れ」

「ユタザバンエ・チア・クレイア、です」

「次期魔王が、こんなにも小さい子どもだとはな、はっ、笑わせる。誰にでも殺せるではないか」

「まな、ユタくんが敬語使ってるよ! すごいね!」

「お姉ちゃん、さすがにちょっと黙ってて」


 いつもと変わらない調子のまゆみに、私は心臓の鼓動を速める。思わず、相手の一挙手一投足に集中してしまう。そんなことをしても無駄だとは分かっているのに。


 魔王はユタに手を伸ばす。それを見て、私はとっさに間に入った。


「……貴様」

「名乗れって? 人に名前を聞くときは、まず自分から名乗りなさいよ。それに、ユタもあたしも、この間会ったばっかでしょ。もう忘れたの?」


 そのプレッシャーは、普段のチアリターナよりも重く、濃厚なものだった。しかし、それでも抑えているようで、ドラゴンに本気で威圧されたことを思えば、大したことはなかった。周りの目にまで意識を割く余裕はなかったけれど。


「くくっ、正論だな。──余は、カムザゲス・チア・クレイア。魔王だ」


 その余裕で不適な笑みを、私は睨みつける。私とユタが母の遺体を見たときには、もういなかったが、魔王は母の最期を看取ったらしい。そして、蜂歌祭のときに、マナの声を盗み、私に押しつけた張本人だ。


「マナ・クレイアよ。忘れたとは言わせないわ」

「自分の子を、忘れてなどおらぬ。──特に、お前はな」


 私はまゆみの手を、ちゃんと握っていることを確認し、再度魔王を見上げる。


「お前の姉はどこにいる?」

「──」


 私はまゆみの顔を見、固く目を瞑り、長い沈黙を経て、声を絞り出す。


「……れなのことなら、知らない」

「意外だな。あいつはずいぶん、お前に目をかけていたと思ったが?」


 分かっていた。ずっと前から。れなが私の実の姉であることは。彼女は隠していたけれど、私と彼女は、何かと似ているところが多かったから。


「あたしはれなを、姉だとは思ってないわ。あたしの姉は……まゆみだけよ」


 私がまゆと目を合わせると、まゆは子どものように、嬉しそうに微笑んだ。魔王の目はまゆの方へ向けられたが、それ以上は何も言わなかった。


「あんた、忙しいんじゃないの?」

「父であり、魔王である余に、たいした口の利き方だな。くっくっくっ……。だが、忙しくはない。式のことはすべて、臣下たちに任せている」

「自分の妻の葬式くらい、自分でやったら?」


 それを聞くと、魔王は重苦しい声で、低く笑い始めた。まさに、魔王の笑いといった感じだ。


 いつまでも、この人と話し続ける必要はないと感じ、私はユタとまゆの手を引き、その場を離れようとする。そして、魔王の笑い声は高まっていき、


「ふはははは! ああ、まったく、その通りだ。……マナ」


 私は初めて名前で呼びかけられて、振り返る。


「何?」


 そうして、耳元でささやいた。


「お前は、あいつの子だ、確かにな。それから──ユタザバンエを、頼んだぞ。くっくっく……」


 それは、月を隠す黒い雲のように、不気味な笑みだった。


「なんだか、愉快なおじさんだったねー」

「は? 愉快? どこが?」

「──魔王に向かってよくその態度で、いられるな」


 ハイガルが心底感心した様子で、そう言った。


「別に? あんなの、殺す気だったら、次の瞬間には終わりよ。恐れるまでもないわね」

「って言うわりに、膝が笑ってるけど、な」

「うるさい」


 すると、そのとき、


「う、ぅあああん!」

「今泣くの!?」


 ユタが泣き始めた。そんなに怖かったのだろうか。私はユタを抱き締めて、背中をさする。


「よしよし、もう大丈夫だから──」


 周りの目が痛い。もう色々と、散々だ。


「お父様怖いし、まなは小さいし……、小さいし……、ママ死んじゃうし! ああああん!」

「小さいって二回言ったねー、あはは」

「あー、はいはい、よしよし。もう好きなだけ泣きなさいよ……」


 これだけ泣かれては、私が泣けなくなってしまうではないか。まあ、周りからユタを守らなければならないし、泣いている暇などないのだが。


 とにかく、今、この場にユタを独りにしなくて良かったと、そう思った。

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