第3-18話 大切なものを守りたい

 今、病院へ向かわなければ、もう二度と、母には会えないかもしれない。向かったところで、間に合わないかもしれない。間に合ったとしても、会話することはできないかもしれない。


 ずっと、目を背けてきた現実が、一気に重くのしかかった。それでも、優先すべきものは、決まっていた。


「──ユタが、どこにいるか、探して」

「本当に、それで、いいんだな」

「ええ。お母さんに、ユタをよろしくって、言われてるの。それに──あたしの、弟だから」


 この一週間。ユタの面倒は、ル爺が見ているはずだ。だが、ル爺もああ見えて暇ではないから、ずっとは一緒にいられないだろう。それに、あれ以来、ユタとは一度もちゃんと顔を合わせていない。


「ずっと、一人にしちゃったから。今、ユタは宿舎にいる?」

「少し、待て。──いや、宿舎にはいない。ここから一番近い病院にも、いない。ル爺の家にも、いない」

「……まさか、チアリタン?」


 ユタは、母親を救うために手段を選ばないところがある。そして、私と同じように救う手立てを探しているだろうから、可能性は十分にある。


「チアリタン? ああ、ミーザスにある山か」

「探せる?」

「余裕だ」


 そう言って、ハイガルはにやりと笑った。


 ここからミーザスまでは電車で三時間かかる。あかりが王都に連れ去られたマナを探せなかったことを考えると、ハイガルの魔力探知はかなり優秀だ。普通は白黒にしか映らないが、色すら見えているのではないかと思えるほどに。


「……いたぞ。チアリターナと一緒にいるな」

「え、何、チアリターナと知り合いなの?」

「まあな。むしろ、同じことをお前に聞きたいが、そんなことを言ってる時間も、惜しいだろ」

「そうね。でも、この時間にチアリタンなんて、すぐには行けないわ」


 それなら、病院に行く方が……いや、この時間に病院も厳しい。


 本当に、私は今まで何をやっていたのだろう。後悔ばかりが、次から次へと湧いてくる。


「あんた、空は飛べる?」

「クレイアと一緒だと何も見えない」

「そうよね。それなら、あかりを叩き起こして……いや、でも──」


 さすがに、なんでもかんでも、二人に頼ってばかりだ。これ以上、迷惑をかけたくはない。


「そう簡単には変わらない、か」

「え?」


 ハイガルが手笛を吹くと、一羽の黒いカラスが飛んできて、彼の肩に着地した。よく見ると、普通のカラスとは違い、羽に三日月型の白い模様がついている。


「カラス──いいえ、ルナンティアね」

「俺のルナンティアだ。名前はルーク」


 ハイガルがルークの頭を撫でると、ルークは地面へと場所を変え──巨大化した。むしろ、こちらが元のサイズだ。


「乗れ」

「……それ、本気で言ってんの?」

「急ぐぞ」



 ──空を飛ぶというのは、こんな感じなのか。



「気持ちいいわね──」


 重力も疲労も、体にまとわりついていた色んなものを空に置き去りにして、体はうんと軽く感じられる。どこまでも飛んでいけそうで、この感覚に身を任せているうちに、取り返しのつかないところまで飛んでしまいそうな怖さもある。だが、いつまでも飛んでいたい。そんな心地だった。


「──着くぞ」


 そうして、チアリタンまでは一瞬だった。ルークは洞窟の近くに上手く場所を見つけて着地した。


「ありがとう」

「ああ。ここで、待っている。行ってこい」


 ルークの頭を撫で、私は洞窟へと走る。


「静粛に。足音が騒がしい」


 冷たい声に足音を咎められ、私は息まで凍りつくような思いをする。前に会ったときとは雰囲気が違う。震える足が止まらないように、私は一歩一歩、無理やり動かす。


「チアリターナ。久しぶりね」


 声が震えているのが分かった。相手はドラゴンだ。本気を出されれば、一瞬で塵になる。以前は気さくに接していたが、本来、いかに恐ろしい存在であるかが、やっと分かった。


「──恐怖の中でも、目をそらさぬその姿勢だけは、認めてやろう」


 瞬間、重たい威圧感のようなものがなくなり、私は、はっと息を吐き出し、肺を動かす。


「ユタは、ここにいるんでしょ?」

「それがなんじゃ?」

「謝りたくて。独りにしちゃったことを」


 ゆっくりと差し出された尻尾の中で、ユタはぐっすり眠っていた。


「ずっと、泣いておった。ユタには、母親しかおらぬからな」

「なんで、母親と二人で暮らしてるわけ?」

「魔王が恐れておるからじゃ」

「ユタを?」


 チアリターナはそれには答えなかった。


「ドラゴンはモンスターじゃ。つまり、魔王により産み出された存在。その力により、魔王は子を守ろうとした。そうして、代々、魔王はドラゴンを生み出してきた」

「えっと……」

「よいから、聞け。本来なら、妾にユタの面倒を見る必要はない。ただ、ユタを守るべきドラゴンを、今の魔王は産み出しておらぬ」

「なんで?」

「ちっとは自分で考えよ。──妾も、そろそろ、あるべきところへ戻らねばならぬ。しかし、そうなれば、ユタは本当に一人になってしまう」

「……だから、お母さんは、ユタをよろしくって言ったのね」


 ユタは次期魔王だ。しかし、いや、だからこそ、彼を守れる人はそういない。実際は、たった八歳の少年だというのに。


「あの母親が、そんなことを言ったのか?」

「ええ。それが何か?」

「いや、何も、じゃ。……マリーゼも、成長したのう」


 私にはよく聞き取れなかったが、チアリターナは続ける。


「そちは、ユタの姉じゃ。そのことに、間違いはない。──じゃが、本当にそちは、ユタを守れるのか?」


 問いかけは、言葉の平易さに対して、あまりにも重い。私には、魔法が使えない。ここに、こうして来られたのも、私の力ではない。ユタに本気で逃げられたら、私は捕まえられない。圧倒的に、力が足りない。


「ユタを守るということは、他を切り捨てるということにもなり得る」

「──いいえ、違うわね」


 私はチアリターナを見上げる。その双眸に挑むようにして、私は告げる。


「一生に一人守れればいい方? それは、あんたが今まで見てきた人たちのことを言ってるの? だとしたら、あたしには関係ないわ。──他の人にできなくても、あたしはやる。ユタも、それ以外も、全部守ってみせる」

「口だけなら、なんとでも言える」

「いいえ。必ず、証明してみせるわ」


 まゆのことさえ、なんとかできたなら。きっと、このドラゴンは、私の言葉を信じてくれるだろう。八年、ずっと、まゆのために生きてきたのだ。これからユタを守ることだって、できるはずだ。


 チアリターナは、一度も目をそらさず、真正面から私を見据えていた。


「その言葉、信じるぞ?」

「ええ。──任せて」


 私はチアリターナからユタを受け取り、頬に涙の跡があるのに気がつく。普段はギャーギャーうるさいのに、最近は泣いてばかりいる。


「ごめんなさい。独りにして」


 私は小さな体を抱き締める。いつまでも、こうしてここにいるわけにはいかない。ただ、一つだけ、聞いておきたいことがあった。


「あんた、本当に死ぬの?」

「もう、千年ほど生きておるからのう。そろそろ、ポックリ逝くのではないか?」

「ポックリって──」

「まあ、ユタが成長するのを見たいしの。もう数十年ばかり生きてやってもよいがな」

「あ、そう……」


 数十年も生きていられるだろうかと、私は自分の方を心配しながら、洞窟の外へと足を向ける。


「──母親の元へ向かうのか」

「ええ。そのつもりだけど」

「そうか。……気をつけての」


 洞窟を出ると、チアリターナの咆哮が聞こえた。その衝撃だけで、吹き飛ばされそうになる。一体、なんだったのだろうか。


「ハイガル。病院に向かって」

「……」

「ハイガル?」

「クレイア。落ち着いて、聞いて、くれ」


 嫌な予感がした。その先を聞きたくなかった。それでも、聴覚は、続く言葉を聞き逃さないよう、聞こえる音に集中していた。



「たった今、お前の母親は、亡くなったそうだ」

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