第3-17話 賢くなりたい
「最近、楽しいか?」
変なことを言うなと思いつつ、私は正直に答える。
「いいえ、別に。普通ね」
「そうか」
眉間を揉みながら、私は地面を見つめる。そうして、ぼんやりと、またいつものことを考えていると、
「何か話して、くれないか? 音がないと、いるかどうか分からない、から」
「──ごめんなさい。確かにそうね。最近、考え事をして、ぼーっとすることが多くて」
「考え事?」
「ええ。でも、人に話すようなことじゃないし」
「聞かせて、くれないか?」
「いいえ。それは、できないわ」
「どうして?」
「巻き込みたくないから」
そればかりが事実ではなかったが、それしか言わなかった。痛む頭を押さえていると、
「クレイアは、俺の目が見えないことを、迷惑だと思うか?」
「全然?」
多少ぶつかったり、追いていかれそうになったりするが、たいした問題でもない。言えばいいだけの話だし。少しマイペースなところはあるのだろうが。
「あんたはあたしが見えなくて、迷惑だと思う?」
「考えたことも、なかったな。ただ、申し訳ない、とは思う。こうして、出歩くだけでも、心配をかけているのは、分かっているんだ。──いや、本当は、分かっていないのかも、しれない。だが、一人でも大丈夫だと、証明できたら、きっと、安心して、もらえるんじゃないかって。そうやって、余計な心配を、させているんだろうな」
相手がどれだけ心配しているかなんて、結局、される側には分からないのだ。
「──あたしも、魔法が使えないせいで、色んな人に迷惑をかけてる。気を使わせてるのも事実だし。あんたの視力は知らないけど、あたしは、使おうと思えば、魔法だって使えるわ。ただ、そうしないだけでね。だから、あたしが全部、悪いの。でも、誰もそんなこと言わないし、きっと、そこまで思ってないわ。特に、あたしみたいに、外から見て分かりづらいものだと尚更、普段は気にもしないでしょうね」
こんなことを言われても、誰も嬉しくないだろうし、余計に気を使わせるだけだからと、今まで、誰にも言ったことはなかった。
ただ。蜂歌祭であかりに言われた、悪気のないあの一言に、自分が思う以上に傷ついたのも、事実だった。──どうせ、魔法が使えない。と。
だから、それを誰かに、分かってほしかったのかもしれない。
「クレイアは、いいやつだな。俺は、いかにして、迷惑をかけるかばかり、考えている」
「あはは、何それっ」
私が笑うと、ハイガルは満足そうに私の方を見た。見えていないのは分かっていたが、なんとなく目が合ったような気がして、私はその茶色の瞳から、目をそらした。
「……分かってるわよ。誰も、迷惑なんて思わないって。本当は、あたしが嫌なだけだから」
なんと言われようと、母のことを相談する気はなかった。私が諦めない限り、どうにもならないのだから。それしか方法はないと、分かっているのだから。
「トンカラ、一つ食べた、だろ?」
「ええ」
「話せ」
「……たった一つでしょ」
「ああ、その通り。たった、一つだな」
ハイガルは、私がどれだけ真面目で融通が効かないか、知っているかのように、そう言った。たった数分話しただけなのに、まるで、私のことがよく分かっているかのように。
たった一つだ。そう、たった一つ。
つい、何も考えずにもらってしまったのだ。
「新しいの買ってあげるわよ」
「あのとき、あの瞬間のトンカラは、もう二度と、戻って、こない……」
「あんたね……」
寂しそうに月を見上げ、ハイガルはそう言った。その目に夜空がどう映っているのかは、分からない。そんなに惜しかったのだろうか。
「仕方ないわ。迂闊にもらったあたしのミスだから。話してあげる」
「ありがとう」
「ええ、どういたしまして」
むしろ、私が感謝すべきなのだろう。ただ、その遠回しな優しさに、私は感謝を伝えなかった。
私は、息を大きく吸い込み、緊張しながら、すべてを打ち明けた。生き別れの母親と思われる人物に出会ったこと、もうすぐ病気で亡くなることなど。順を追って話していった。
「それから、結構経つのか?」
「そうね。お母さんが倒れたのが一週間くらい前かしら」
そこから、少し沈黙があり、ハイガルは口を開く。
「お前……超絶面倒だな」
「えっ──」
「一週間だぞ? その間考えてるだけなんて、時間の無駄だ。というか、うじうじして、鬱陶しい」
「だって、どうしようもないから……!」
「馬鹿なのか?」
「ばっ!?」
私は顔を引きつらせ、怒りを膨れ上がらせていく。
「あたしは、ちゃんと悩んで──っ!」
「それと、何もしてなかったのと、何が違うんだ?」
「……っ」
私は何もしていなかったと言われた。つまりそういうことだ。湧いてくるのは、彼への怒りではない。喪失感だ。言われて気づいたそれが、限りなく事実に近いと、脳が理解したから。
後から、大きな羞恥と後悔と、それから、愚かな自分自身に対する怒りが湧いてきた。言われるまで気がつかなかった自分自身に。
「母親の病気は、本当に治らない、のか?」
「……ええ。絶対に、治せない。もう、いつ亡くなっても、おかしくないそうよ」
「今、その母親はどこに、いるんだ?」
「……多分、病院だとは思うけれど」
ハイガルは手探りで、宙を──いや、私を探しているようだった。私は、さまようその手を掴む。すると、ハイガルは手を強く、両手で握ってきた。
「お前は本当に馬鹿だ! いつ死んでもおかしくないなら、どうしてこんなところに、いる!」
「……どうしてって」
「まだ、生きてるんだろう。なぜ、その時間を大切に、しない」
私はそこまで言われて、やっと、理解した。生かすことばかりに必死になりすぎて、何も見えなくなっていた。
こうして悩むことができるのは、母が生きている間だけなのだ。自分が子どもだと言わないとか、救うことを諦めるとか、そんなのは、全部、母が死んでしまえば、すべて、終わってしまうのだ。そんなことを悩むよりも、もっと、大事なことがあるのに。
諦める強さが私にはなかったのだ。
「どうする、クレイア。お前が決めることだ」
今、病院へ向かわなければ、もう二度と、母には会えないかもしれない。向かったところで、間に合わないかもしれない。間に合ったとしても、会話することはできないかもしれない。
ずっと、目を背けてきた現実が、一気に重くのしかかった。それでも、優先すべきものは、決まっていた。
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