第3-11話 素直に言いたい

 そう、素直に言えたなら。この世界の何かが変わっていただろうか。いや、きっと、何も変わらなかっただろう。


「──あの人、あたしのお母さんかもしれないの」


 あかりは、黙って続きを促す。私は、その優しさに、甘える。


「あたし、お母さんが誰か知らなくて。顔も見たことないし、名前も知らない。ただ、あたしは、自分が魔王の娘だってことだけは、昔から知ってた」


 幼い頃のことは、ほとんど記憶にない。嫌なことも、楽しいことも、何もなかったから。それでも、自分が魔王城の牢屋のような部屋に押し込められていたのは、鮮明に覚えている。


「魔王には何人も側室がいて、たくさん子どもがいるわ。だから、確信はできないけれど、あの人の、髪色とか、顔立ちとか、雰囲気とか。……あたしを見る目とか。ユタのこととか、色々。なんとなく、そうなんじゃないかって。だから、別にあたしはお人好しなんかじゃないの」


 ユタを思いやったわけではない。ただ、自分の母親である可能性があるので、不安なだけだ。


 いや、私はほぼ確信していた。何か、そういう直感があった。


「なんで今まで黙ってたの?」

「……勇気がなかったのよ」


 あのとき、「なぜ、私にユタを任せるのか」と聞けていれば、はっきりしていたかもしれない。しかし、あのとき、あの瞬間。真っ直ぐ向けられた緑瞳に、私は尋ねる勇気を奪われてしまった。


「もしかして、一生、言わないの?」

「分からないわ。──その前に、二度と目が覚めなくなるかもしれないし。それに、そんなこと言ったら、みんな、困るでしょ」


 あかりは酷く、困った顔をしていた。続く言葉を探して、一緒に悩んで──。




 だから、私は。




「まなちゃん?」

「ごめんなさい、ぼーっとしてたわ。それで、何の話だった?」

「まなちゃんなりの考えがあるって言ってたじゃん? 僕で良ければ話くらいは聞くよ?」


 あかりの瞳は優しくて。それに、つい、甘えそうになってしまう。全部、打ち明けたら、きっと、一緒になって考えてくれるだろう。


 しかし、これは、私の問題だ。


 それに、私には、真実を誰かに言う勇気がなかった。


「いいえ。何でもないわ。本当に」

「──そっか」


 あかりも、それ以上の追及はしなかった。私は愛らしい、弟の頭を撫で、ため息を飲み込む。そう、これでいい。別に、言って、言えなくて、どうにかなるものでもない。


 病室の扉を眺める。マリーゼ・クレイアと、札が入れてある、その扉の向こうにいる人物を思う。


「あかり、ユタをお願いできる?」

「いいけど、どこに行くの?」

「今日は用事があって。あたしが予定を変えるのが嫌いだって、知ってるでしょ?」

「相変わらずだねえ……」


 いつもと変わらない表情で。いつもと変わらない声色で。いつもと変わらない調子で。私は、いつもと同じことを言う。


 用事があるなんて、嘘だったけれど。私には、母の顔を見る勇気もなかった。


***


 呼吸に集中しながら、早足で歩く。目的は、母親の病気を治すための、チア草だ。だが、一度登ったきりの山だ。誰か、同行者がいた方がいいだろう


 外に出ると、日はすでに空の真上まで昇っていた。じっとりとした暑さがまとわりつく。


 私は一度、宿舎へと戻ろうと、ル爺の車を探して、乗り込む。


「宿舎に戻って」

「いえそー」


 宿舎から車でここまで、一体、何分かかるのか。気がついたら病院の椅子で寝ていたので、まったく記憶にない。


「何しぃ戻っちば?」

「マナを呼びに行こうと思って」

「あの子ぁ、きょっさ、出かけっち言っちゃば。朝はやぁ出っちょん」

「え? てっきり、いつもみたいに寝てるのかと……」


 叩き起こして連れていこうと思っていたのだが、マナがいないとなると、誰を連れていくべきか。体力のある人か、山に慣れている人がいいのだけれど。


「どっけえ行きゆばっち?」

「チアリタン。でも、仕方ないわね、一人で行くしか──」

「そんだらぁ、ギルデ連るっつぇけ」

「ギルデ? 誰それ?」

「一階に住んっめん。ちばーねごおしゅんでーとなあ、むくせっけれねんどーみちっば」

「全然何言ってるか分かんないわね……」

「会いば分かるっち」


 そうして、私はギルデこと、ギルデルドを誘い、チアリタンへと向かった。

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