第3-12話 チアリタンに登りたい
電車で三時間ほど揺られて、そこからさらに数十分歩いて。チアリタンの麓に着く頃には、すっかり辺りも暗くなり、星が瞬いていた。
「本当にチア草なんてものが、存在するのかい?」
「あるわ、絶対に」
見たことがあるわけではない。ただ、れながそう言うのだからあるはずだと、確信しているだけだ。
「そもそも、まだ登り始めたばっかでしょ。何言ってんの」
「そうは言うけれど、もう山に入って百歩も歩いているんだよ?」
「ふざけるのは顔だけにしてくれる?」
「顔もふざけているつもりはないんだけどね!?」
文句を言いながらもついてきているのは、ギルデこと、ギルデルドだ。
赤サンゴのように鮮やかな髪に、海藻みたいな瞳。目鼻立ちの整った顔をしており、体格は普通。だが、なぜか、ワカメみたいにひょろひょろした印象を受ける。ワカメは美味しいけれど。
ちなみに、ギルデは、チアリタンには十回ほど登ったことがあるらしい。ただ、今日はゲームのイベントがあるとかで、行きたくないと、かなり渋った。結局、無理やり連れ出したのだけれど。
今は猛烈に後悔している。なぜなら、体力が有り余っているからか、うるさすぎるからだ。
「ギャー! クモー!」
「ギャー!! ちっさい虫がいっぱいぃいい!!」
「ギャー!!! ギィヤアアア!!!」
「うるさい! 黙りなさい! 崖から突き落とすわよ!」
「高いところ無理無理ぃぃいやああ!!」
私は口封じの薬でも使ってやろうと考えて、そこに肩掛け鞄がないことに気がつく。燃えて消滅したのを、買いに行っていなかった。
「あんた、よくそれで山に登れるわね……」
「ぜ、全然、余裕だよ。このくらい──」
そのとき、葉の擦れる音がして、ギルデはすっ転ぶ。
「こ、これは、ビビっているわけじゃないよ。断じて。ただ、僕は、そう、驚いただけだ」
「あっそ。まあいいけど……なんか、暑くない?」
「そう言われると、そんな気もするね」
私は転んだギルデに左手を差し出し、少し考えて、あることを思い出す。
「そういえば、全国のギルドに出されてる依頼で、チアリタンにヒートロックが出現したってやつがあったわね。ちょっと、ノアのギルドに出てる依頼を調べてくれる?」
「分かった」
立ち上がったギルデは、空を指でなぞり、慣れた様子で眺める。ヒートロックとは、発火する岩のモンスターだ。身の危険を感じると急速に体温を上げ、周りの樹木に火をつける。
山火事の原因はだいたいこいつだと言われており、地面に埋めたり、別の場所に運んだり、水をかけるといった対応がなされる。こういうモンスター関連の問題は、たいてい、ギルドの管轄だ。
それにしても、調べるだけなのに、やけに時間がかかっている。
「イベントとやらもついでに、とか考えてるなら、スマホぶち壊すわよ」
「ぐぬっ……!? だ、だけど、そんなに時間はかからないよ?」
「そんなにって? どのくらい?」
「ええっと……一時間おきに十分くらいくだされば──」
「はっ倒すわよ。早く調べなさい」
「はひひぃ……! あ、あった。受諾済みになっているようだね」
だとすると──と、考えていたとき、山頂の方が赤く光るのが見えた。受諾したギルドのパーティーが、ヒートロックの鎮静化に失敗したのだろうか。
「何かあったのかもしれないわ、急ぎましょう!」
そうして走りだそうとして、私はギルデに右腕を掴まれ、足を止める。
「何?」
「山火事はすぐに燃え広がる。危険だ。逃げよう」
「でも……」
あそこには、チア草が生えているかもしれないのだ。それが、すべて燃えてしまったら、ユタの母を助けることはできなくなってしまう。
「まなさん、駄目だ。自分の命を軽く考えては」
「あそこにチア草があるかもしれない……あれしか、お母さんを救う方法はないの!」
「少なくとも僕にとっては、目の前にいる君の命の方が大事だ。行かせるわけにはいかない」
ギルデは正しかった。あの様子では、山頂付近の植物は、すぐに、すべて燃えてしまうだろう。それに、山火事が危険だということは、体験したことがなくても、知識として持っている。そこに、目の前の光景も合わさって、どれほど危険か、分からないはずはない。
それでも、私はギルデの手を振り払う。
「まなさん──」
「来ないで。たとえ、戻れなくなったとしても、あたしはチア草を探すわ」
「いいや。なんとしてでも、君をこの先に行かせるわけにはいかない」
ギルデは坂の上に立ちはだかる。やはり、連れてくるべきではなかった。
「どいて」
「行かせない」
そうこうしている間にも、火は水が流れるような勢いで麓に近づいてくる。他の登山客も山を走り下ってきていた。その人混みに紛れ込むことも考えたが、ギルデルド以外にもお節介な人がいる可能性は否定できない。
仕方ないと、私は腰に吊るしているナイフを引き抜く。
「それは、モンスター用の……」
右手の平を切り、手のひらをギルデルドに向ける。当然、魔族である私の手からは血が流れる。
「何をしているんだ!」
そしてその刃を、自分の首に当てる。
「これ以上、引き留めるなら、あたしはここで首を切るわよ。死んでも死ななくても、助けられないなら同じだから。──でも、見たところ、あんたはあたしを守らないと、まずいことになるんでしょ?」
ただの善意というには、いささか、意志が強すぎる。そもそも、先ほど出会ったばかりの相手だ。他人の命より、自分の命を優先して逃げるべきだろう。どうせ、たいして魔法が使えるわけでもないのだから。
「それは──」
「あんたはね、いいやつなのよ。だから、あたしを止めることはできないわ」
「……分かった」
やっと、諦めてくれたかと、ナイフを首筋に向け、自分を人質にしつつ、ギルデルドを睨みつけながら、山頂に向かおうとすると、
「僕も行こう」
「は? ……どういう風の吹き回し」
「君を一人にするわけにはいかないんだ」
私は警戒しながら先へと急いで走る。ギルデルドはその後ろからついてくるが、本当に引き留めるつもりはないらしい。それを確認し、人目につかない茂みに入ると、私は鞄から救急セットを取り出し、ガーゼで傷口を強く押さえて止血する。
「いたた……」
「本当に無茶をするね、まなさんは……。君の周りの人は、さぞ、大変な思いをしていると思うよ」
「嫌ならあたしから離れていけばいいだけでしょ。ほら、探すわよ。手伝いなさい」
あっという間に、辺りは火の海と化した。やっと閉じた傷口を押さえながら、私たちは火の中へと飛び込んでいく。はっきり言って、無茶、無策、無謀。見つけることなど不可能に近い。
そもそも、あるかどうかも分からない。無駄死にに行くのと、何ら変わらない。
「まなさん、やっぱりやめないかい?」
「あんたの魔法で火を消しながら進むわよ。それから、煙も吹き飛ばして」
「冗談であってくれ……」
ギルデは、あかりやマナのように強い魔法使いではない。とはいえ、あれは次元が違うので、比べられない。
どちらにしても、ノア学園に在籍している以上、平均よりは魔法が使えるはずだ。それらを駆使して、なんとか、山頂までたどり着きたいところだが。
「あんた、魔法強いの?」
「魔法実技は単位を落としたんだ。ははは」
「それ、笑い事じゃないでしょ……」
無理にでもマナを探して連れてくるべきだったと、私は後悔した。いや、マナなら、私を火の中になんて、連れて行かなかっただろう。
もし、ここに一人だったら、私は痛みに耐え、体の動く限り登り、そして──どうなっていたのだろうか。まあいいけれど。
それからしばらく山を登る。足が低温火傷の痛みを訴え、赤くなっていたが、仕方がない。それよりも、酸素が薄いことの方が問題だ。
単位を落としたと言っていたギルデだが、へばることなく、ずっと魔法を行使し続けているようだった。使い方が下手なだけで、体力だけはあるのかもしれない。誰かと同じで。
「ん、まなさん、あれ……」
私はギルデに釣られて立ち止まる。そして、黒い影が視界に入ると同時に、かすかに、うなり声のようなものが聞こえた。
「……すごく面倒なことになったわね」
「え、あれって、あの──」
大きな黒い何かが、重い体躯を揺らしながら歩いてくる。人の臭いを嗅ぎ分け、近づいてくる。近くで見ると、焦げ茶色の大きな動物だった。まだこちらには気づいていないようだが──、
「クマね……」
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