第2-53話 あたしは願いたい

「これなら、なんとか……」


 意識を集中させ、爆弾を分解していく。凝った爆弾ではないが、威力は先日見た通り。壁に挟まれていることもあり、爆発すれば、一瞬で辺りは火の海と化すだろう。被害は想像もつかない。逃げ場はないと考えていい。


 だが、爆弾はこれ一つとも限らないのだ。


「ねえ、あんた。あのおじさん、他に怪しいことしてなかった?」


 その少年は、首を何度も縦に振り、声を震わせながら、懸命に伝える。


「大きな穴のあるところの兵士さんに、落とし物って言って、同じリュック渡してた」

「大きな穴……それって、あっちの?」


 私が城に続く方を指差すと、少年は首を振り、外に続く方を指差した。


「外──? もしかして……」


 私は爆弾を完全に解除する。もうまもなく、蜂歌祭は始まる。配置された兵士は壁沿いに、等間隔に並んでいる。見える範囲だけでも、兵士たち全員の傍らに、同じような鞄が置かれているのが分かった。


 確か、あのときも、爆弾は、普通の人には見えなかったはずだ。それならば、不審物かもしれないと、中を確認したところで、意味はない。フェイクしか目に映らないのだから。


「あかり! 兵士の近くにあるリュック、あれ全部爆弾よ!」

「ええ!? いや、どうすんの!?」

「リュックを引き上げて、ここに集めて!」

「怖いから嫌だよ! 死ぬじゃん!」

「いいから早くしなさい!」


 あかりは渋々、しかし、急ぎ、刹那のうちに爆弾を集めてくる。私はそれを、腕に通し、背負い、抱えて、全部持つ。


「どうするの?」

「あたしを結界の外まで飛ばして!」

「正気!?」

「あんたが人混みを制御しながら爆発の影響も防げるっていうなら話は別だけど?」

「無理、発射!」


 肩掛け鞄の紐を掴み、私は空へと打ち上げられた。


 結界は、内外への魔法や、その他の影響を打ち消す効果がある。また、空や地面からの人の出入りを禁止するものでもある。ただ、私にとっては何もないに等しい。


 城に視線を向け、その天辺よりも空に近づいたのを確認して、爆弾を四方に投げ飛ばす。──という算段だったのだが、速度があまりにも速く、状況の理解ができないまま、私の手や肩から、鞄はするりと抜けていく。


 そして、自分の鞄もまた、放り出された。


「あっ」


 手を伸ばすが、空中で移動などできるはずもなく、なすすべなく鞄も彼方に吹っ飛ぶ。そして、──轟音とともに、爆発した。


 目が焼けそうなほどの光に思わず目を瞑ったが、体に衝撃や熱を受けなかったことから、爆発前に結界の中に入っていたのだろうと予想はついた。ひとまず、助かった。


 だが、徐々に理解してくる。


「鞄ー!!」


 落ちる。確信した。鞄は先の爆発で、跡形もなく、消え去った。掴まるものがなければ、あかりに私を受け止めることはできない。どちらにせよ、この落下速度だ。腕で自分の重さを支えきれるとも思えない。


 ──今までの、色々な記憶がよみがえる。まゆと過ごしてきたあの日々が。ここで死ぬまいと、脳が必死に生きる術を探しているかのようだ。そうか、これが、走馬灯というやつか。




『死にたい』


 薄っぺらいそんな言葉も、この状況で彼女の口から紡がれるとしたら、それは、本気で本当なのだろう。


 そして、それは、真実になる。そう、私の勘は告げていた。


『──これ以上、傷つけないで!』


 だから、相反する祈りを、願いを、望みを。私は彼女の身に宿した。


 そのとき、まるで、祈りが通じたかのように、手枷が外れた。そして、私たちは逃げた。


 ──それが、地獄の始まりだった。




 私は自分を助ける方法を、一つだけ、思いついた。いや、思い出した。──そして、まだ、やり残したことがあるということも。それは、自分の命と引き換えにしても、果たさなければならないことだ。


 私は、ギリギリまで地面を待つ。命と、願いと。どちらが大事かなんて、考える必要もない。


「まなちゃん!」


 珍しく、酷く焦ったような顔で、あかりは私に手を伸ばしていた。そんなものでは、到底、受け止めきれないに決まっている。なぜ、そこまでしようとするのか、私には、分からない。


 私は、まゆの姿を探して、見つけた。やけに、ゆったりとした鮮明な視界の中で、まゆはどこかが、しくしくと痛んでいるかのような、そんな顔をしていた。──だから、私の覚悟は決まった。


 それは、願うこと。人生に一度だけ使える、なんでも願いが叶う魔法。願いの魔法を使って、まゆみを幸せにすること。


 それだけが、私の望みであり、生きる意味であり、希望だ。


 私の人生は、すべて、あの日の罪滅ぼしでできている。


「──」


 願おう。そう決意して、私は口を開いた。


 しかし、なんと言いかけたのか、自分でも分からなかった。その言葉が自分の耳に届く前に、頬が下から吹く風に撫でられたのを感じたからだ。


 ──直後、私の体は、風のクッションに優しく受け止められていた。


「まなちゃん、大丈夫!?」

「……」


 一体、何が起こったのだろうか。屋上にゆっくりと横たえられた私は、姿勢を起こして、辺りを見渡す。以前、木から落ちたときに感じたのと、同じ感覚だった。ということは──と、思考がそこでせき止めれる。


 歌が聞こえたのだ。すべてを忘れるような、歌が。


 時すら、彼女の歌に配慮して、止まってしまったかのように、それ以外の、一切の音が聞こえない。


 五感すべてに釘を打たれたかのように、彼女の歌しか聴こえない。彼女しか目に映らない。彼女しか感じない。


 気温も、呼吸も、心臓の鼓動さえも忘れる。全身の疲れも、痛みも──と、そこで、私は我に返る。ふと横を見ると、まゆは、寝転がって、うっとりと、聞き入っているらしかった。少年も、寝ているかのようだった。あかりは、まるで死んだかのようだった。


 眼下、混乱の生じていた通りは、すっかり静かになり、人々は立ち方を忘れ──否。自分に足が生えているか、どんな生物であったかさえ忘れたかのように、歌を聞くだけの細胞の集合体と化していた。


「むしろ、怖いわね……」


 何かを呟くことも躊躇われるほどだった。人々が倒れているのを見ると、毒ガスでも撒かれたのかと勘違いしてしまう。


 マナの歌しか聴こえないので、気をしっかり持っていないと、すぐに魅入られてしまう。私は、右腕を擦りながら、状況の把握をする。これだけ誰も動いていないと、動く影は非常に目立つ。


 そう、この状況下において、門に向かっていく人影があった。倒れる人々を容赦なく踏みつけて、中心までの最短ルートを駆けていく。風でもまとっているかのように、速い。


 私は、傍らに倒れるあかりの髪の毛を引っ張る。


「あかり、正気に戻って!」


 なかなか動こうとしない。私も理性を保つのでやっとなほどの美声だ。歌が終わるまで待つしかないのだろうか。しかし、それでは、刺客にマナの元へ行くのを許してしまう。


「あかり! マナが危ないの!」


 それでも彼は、反応しない。屋上から飛び降りて追うことも考えたが、現実的に考えて、無理だ。


 仕方ないと、私はあかりの腕を掴んで揺する。瞬間、あかりのとろんとした虚ろな瞳が、現実を映して見開かれる。私はすぐに、手を離した。


「──おお、さすがアイちゃん、人を殺せる歌声だねえ……」

「マナが危ないわ、急いで!」

「おっけー!」


 大事なことだけは理解が早いらしく、あかりは低く飛んで、真っ直ぐにマナの元へと向かった。


 私はまゆの手を揺すってみたが、起きる気配はない。それに、ここは建物の屋上で、中に入る扉は鍵がしまっている。隣の屋根はここより数階分低く、とても降りられそうにない。


「あたしって、やっぱり、何もできないのね──」


 小さな呟きは、美しい歌声によってかき消され、誰の耳にも届かなかった。

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