第2-44話 内緒話がしたい
てくてくと歩く女王は可愛らしいが、その佇まいには、毅然とした、立派なものを感じる。その背中は私より数段先を行っているもののそれに見えて、憧憬を抱く程だった。長生きすることの多いモンスターと、たかだか、齢十六の小娘では、格が違うのも当然と言えよう。
「ハニーナ様って、可愛いねえ」
「あんたね……。あの方、軽く百年は生きてるわよ」
「ええっ!? あんなに小さいのに!?」
「モンスターを体の大きさで判断するのはやめた方がいいわ」
その説明は、私も三回以上したと思うのだが、本当にあかりは物覚えが悪い。というよりも、おそらく、覚える気がないのだろう。言われてみると、聞いた気がしたのだろう。驚き方はわざとらしかった。
そうして、私たちは案内された木の椅子に座る。長テーブルに四人横並びで、対面にハニーナがいる形だ。
「どうぞ、ハチミツ茶です」
「ありがとうございます」
「──甘っ。おいしっ。おかわりある?」
一口だけ口を付けるトイスの横で、あかりはがぶがぶ飲んでいた。頭をひっぱたいてやりたいところだが、席が離れているので手が届かない。
「……」
一方で、まなは苦いものでも飲んでいるかのような顔をしていた。正確には、甘すぎるとでも言いたげだった。
私も一口だけ啜る。そうこうしているうちに、トイスによる説明が行われていく。脅迫状のことは隠したまま。本来なら、こんなところで出歩いているべきではないのだろうが、自分の身くらい自分で守れると自負している。誘拐されたのは、本当に運が悪いというか、もはや、運命だ。
「えっと、ややこしいお話ですね?」
「申し訳ありません」
両手でコップを握るハニーナがこちらを一瞥する。そして、
「ボイスネクターは女王の歌声からしか作れません。どんなに美しい声を持っていたとしても、本物の女王と偽物の女王では、品質に差が出ます」
「では、女王が音痴だった場合は?」
「本物ではあるけれど、失敗作、という扱いになります」
「どう対応すべきでしょうか」
「そうですね……。うーん、うーん」
腕を組んで、頬を膨らませ、ハニーナは首を傾げ、左右に揺れる。
「どちらにせよ、マナ様は声が出ないんですよね?」
私が首肯くと、ハニーナは、「それなら」と、前置きして、
「失敗作のまま提出していただくしかないかと。明日になれば、私は契約により、一時的に自らの意思を失います。そのときに、本物の女王でない方の歌声を聞けば、おそらく、本能が判断して、この針でぶちっと、やってしまいます。そうなったら……私とマナ様と……ふ、二人とも……」
「泣いちゃった!?」
「泣いてません!」
肩をぷるぷると震わせて、どこからどう見ても、泣いているようにしか見えない。とはいえ──、
「ハニーナが死ぬなら、あんたも迂闊には歌えないわね」
つまり、そういうことだ。ミツバチは一度刺したら死ぬと言われているが、あれは、針がノコギリの歯のようになっていて、引き抜けないからだとか。
それでも無理に引き抜こうとして、腹部に穴が空いて死ぬらしい。まな以外と繋がったまま死ぬなんて、未練しか残らないだろう。
「──あんた今、すっごく馬鹿なこと考えなかった?」
私は笑顔で誤魔化しておいた。冗談はさておき、こんなに怖がっているモンスターを、国のためとはいえ、運命共同体にするわけにもいかない。昔から、天は私に味方してくれない。
「ちなみに、失敗作を提出したら、どうなるの?」
あかりは敬語アレルギーなので、エトスなど、よっぽど怖い人の前以外では敬語が使えない。エトスが怖いかどうかは微妙なところだが、あかりの中ではかなり上の方に位置しているらしい。
「ボイスネクターは、私たちが魔法植物を成長させるときの、養分となるものです。ネクターの栄養がそのまま、この先三百年の植物の成長に関わります」
「それって、あの女王様のお経と同じ味の野菜とか果物ができるってこと? 無味ってこと?」
はて、お経とは一体何だろうか。尋ねるとしても、今はそのタイミングではないだろう。
「お母様の歌は、あれはあれで味があると、俺は思うんだが……」
トイスは昔、あの国歌を聞いてよく眠っていた。退屈で寝たのかと思っていたが、意外と好ましく思っていたのかもしれない。とはいえ、あの歌に何かしらの味があったとしても、皆が喜ぶものかと言われるとまた別の話だ。あまり、母を悪く言いたくはないが、あんなものを世に出しては、王族の恥として語り継がれるだろう。
「その人が女王かどうかって、何で判断してるわけ?」
まなが上からの態度でそう尋ねる。高位の存在に対する彼女の態度としては、非常に珍しい。しっかりと、記憶しておこう。
「私にも、よく分かりません。本能、としか。──私よりも、そちらのお二人の方が、もしかしたらお詳しいのではないでしょうか?」
女王の判断基準には、すぐに、見当がついた。ただ、女王になる儀式と、王になる儀式は異なり、儀式に直接関わるものしかその秘密は知らない。私も王になる儀式の方はよく分からない。
つまり、この場で、ハニーナの本能が女王を判断する基準を知っているのは、私だけだ。
「トイスは知ってるの?」
「いや。俺も知らない。姉さんは知ってるだろうが──」
口外禁止、と私は書いて差し出した。
「でも、それさえあれば、女王に即位しなくても本能が反応することはないってわけね」
「はい、そうです」
「それで、マナ、できるわけ?」
まなに尋ねられて、私は少し考える。王位継承の際には、ドラゴンの血を飲むのだ。
儀式の最後に血を飲む、なんていうのはよくある話だが、これが、とんでもなくまずい。女王に即位する者が飲む際は、芳醇なワインのような味に変わるそうだが、それ以外の人が無理やり飲もうとすると、間違いなく、吐く。まあ、私も昔、飲もうとしたことがあるわけだが、それ以来、味覚が愚かになってしまった。
とはいえ、飲んだ血液が、全身を巡るわけでもあるまい。おそらく、魔法の効能によるものだとは思うが、──果たして、それは、肉体に作用するのか、魂に作用するのか。
「アイちゃんがそんなに悩むなんて珍しいね?」
珍しいのだろうか。いや、あかりが言うのだから、そうなのだろう。私自身はいつも悩んでばかりだと思っているけれど。
──ハニーナと二人で話をさせてもらえますか?
そう書いて、三人には退出してもらった。知られたくない話だったからだ。
「……どうして、教えてあげないんですか?」
その問いかけに私は何も答えず、代わりに、黄色の瞳で小さなハニーナを見つめる。
「確かに、思いやりも大切ですよね。でも、それが相手のためになっているかどうか、きちんと考えないとダメですよ」
ツインテールを揺らして、ハニーナは私に微笑みかける。私は叱られて拗ねた子どものように、彼女から目をそらし、小さいくせに。と綴って見せたが、ハニーナには笑顔でかわされた。
「それで、何が聞きたいですか?」
私は、持ってきたメモ帳に魔法でペンを走らせ、ハニーナに見せる。
──私は、女王ですか?
そう尋ねると、彼女は微笑を湛えた。
「私は死にません。大丈夫ですよ」
それこそ、私が欲しい答えだった。
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