第2-36話 本心を聞きたい

「どれくらい立ち回れそう?」

「三秒、持つかな?」

「どうすんのこれ……」

「ダイジョーブ。──そろそろ、来るから」


 何が、と聞くより先に、女性たちの意識が私たちから離れたのを感じとる。その視線の先には、──エレベーターがあった。


 ──二十八階です。


 アナウンスが外の廊下に響くほど、静かだった。そして、ちーんと扉が開く。


「はー、やっと着いた。全部の階で止まるから、遅くなっちゃったじゃん。──いや、よく考えたら、ヒーローって遅れてやって来るものだよね。ってことは、もしかして、僕、今、最高にカッコいいんじゃない!?」


 ──緊張感というやつを、すべてぶち壊して、琥珀髪の少年はエレベーターの中から現れた。


「……はあ。さすがね、あかり」

「れなでも、もうちょっと、カッコつける自信あるなー」

「ダサいですね、あかりさん」

「あかりさんじゃないですかー。お久しぶりですねー」

「え、何その反応、やる気なくすんだけど……。それから、セレーネにルナか。久しぶり。元気そうで何よりだよっ──!?」


 扉の警備を放棄し、真面目そうな女性はあかりに挑みかかる。彼女が使っているのは、等身の細い剣──レイピアだ。


「相変わらずだね、セレーネ……! ほんっとに、融通が利かないなあ!」


 目で追えないほど高速の刺突が連続して放たれる。それを、あかりは巨大な氷の盾で防ぐ。


「私も混ぜてくださーい。えーいっ」

「ルナは重いって……ばっ!」


 こちらは、巨大なハンマーを、まるで木刀でも扱うかのように、軽やかに振りかぶり、手加減抜きに振り下ろす。その攻撃には見た目以上の重さがありそうだが、それをあかりは、なんと、風圧で受け止め、押し返した。


 そうしている間に、同じところばかり突かれて、氷の盾があっという間に貫通する。直後、あかりは、それより分厚い氷を張って防ぐ。


「あかりって、本当に勇者なのね……」

「そりゃー、一年か二年、お城の特別な訓練を受け続けてればね。もともと、あかりんの魔法の才能だけは世界一だからねん。──だから、二人も、あかりんと魔法では、戦わないの」


 確かに、二人は魔法を使っていない。その上、避ければいいレイピアをいちいち盾で防いでいるし、軌道をずらして、衝撃を受け流せばいいハンマーを、押し返している。魔法のごり押しだ。技術も何もあったものではなく、あるのは反応速度だけだが、その光景に、私は目を奪われる。


「まなちゃ、今のうちに」

「え、ええ」


 私は扉を開ける直前、振り返って声を上げる。


「あかり、頑張りなさいよ!」

「そっちもねっ!」


 あかりの返事だけ聞き届け、私はノックをして扉を開ける。ノックする必要もないかと思ったが、一応、礼儀として。


 目の前の部屋には、珍しく、着飾った格好のマナがいた。髪の毛は編み込みと三編みを駆使してまとめられており、服は、ふんだんに宝石をあしらったドレス。ちょうど、向こうを向いていたマナが、扉の開いた音に気がついて、振り返る。


 そして、驚きを隠すこともできない様子で瞳孔を見開き、安心したような笑みを浮かべる。──まるで、親を見つけた迷子の子どものように、その手を引かれるのを待ち望んでいたかのように、甘えた笑みを浮かべていた。


「甘えんじゃないわよ!」


 私はそう激昂していた。ぴしゃりと、雷に打たれたように表情を歪めるマナに、私は一歩ずつ歩みを進める。


「式の最中ですよ。何事です──」

「下がりなさい」

「女王様!? し、しかし……」

「式は中断してください。彼女たちがここに足を踏み入れることを、許可します。そして、──私はまだ、女王ではありませんよ」


 非常識な私たちが咎められず、常識のある誰かの方が責められた。そんな勝手が許されるところを見ていると、本当に女王なのだという気がしてくる。──いや、まだ、そうではないのか。


 私は昂る感情を抑え、マナの顔を拝む。さすが、マナは表情を取り繕うのに慣れている。先ほどまでの締まりのない表情は、影も残らず消えていた。


「ずいぶんと、騙してくれたじゃない。王女様?」

「その件に関しては、私は悪くないと思います」

「まったく、その通りよ。そんなことはどうでもいいの。──あんた、なんで逃げなかったの?」


 マナはいつものポーカーフェイスで、表情を悟らせない。ただ、ゆっくりと、口を開く。


「私が女王を辞退すれば、国中が困ることになります。そして、それは、この国を見捨て、平和な未来を手放すことにもなります」

「──それで?」

「私が女王になることは、国民の総意です。それを背負っている以上、勝手に放棄することはできません」

「じゃあ、なんで、逃げたのよ?」

「それは──」


 マナの視線が、私から少し外れたのを、私は見逃さなかった。その視線は、確かに、この扉の向こうにいる人物を求めていて。


「あかりに手を引かれたから? 一緒に逃げようとでも言われた? あんたの覚悟がその程度なら……じゃあ、なんで今は逃げないのよ!」

「……分かりません」

「分からないって──」


 戻ってきてくれるのを、待っていた。きっと、私たちを選んでくれるだろうと思っていた。


 ふるふると力なく頭を垂れるマナに、私は言葉を続けようとして、れなに肩を叩かれ、冷静さを取り戻していく。


 一体、何のためにここまで来たのか。それを、忘れてはいけない。決して、責めに来たわけではないのだ。ただ、本当はどうしたいのか、その本音を、マナの口から聞きに来たのだ。


 その目的を果たす役割を、れなが代わる。


「お姫ちゃん。もしかしたら、お姫ちゃんは、誰かに言われて、ここから逃げたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でもね、その行動の責任を追うのは、お姫ちゃんなんだよ。──それに、誰かに言われたんだとしても、それを拒むことだってできたはずなの。だから、この先、何があっても、それはすべて、お姫ちゃんの選択の結果だよ」


 それは、なんと、甘美な嘘だろうか。


 起こることすべてが自分の選択によって決まるなんてこと、あるはずがない。手足を縛られれば動けないし、足の速さにも人それぞれ、個性がある。そして、殺されれば、人は死ぬ。生まれる場所を、育つ環境を、私たちは選べない。選択の自由を奪われながら、私たちは生きていく。


 マナが王女としてこの世に生まれたことすらも、マナの責任だというのなら、一体、どれほど楽だっただろう。責める相手が、自分一人でいいのだから。


 ──それでも今、この言葉を受けとめて、どう行動するか決めるのは、間違いなく、マナの意思だ。


「……私は、自らの選択で逃げたのでしょうか」

「そうだよ。そして今、お姫ちゃんは、れなやまなちゃ、それから、あかりんのことも。ここにいるみんなのことも。この国の人たちのことも。なにも考えなくていい。だって、それによって、一番苦しむのは、お姫ちゃんだから」


 れなの嘘を支えにして、マナが悔いのない、本心からの選択をできたのなら、それは嘘ではなく、彼女の宝物になる。


「──まなさん」

「何?」

「私に、もう一歩分だけ、勇気をください」

「本当に、甘っちょろいわね。──あんたが選んだ方が正しいわ。これでいい?」


 その言葉に、れなが少しだけ動揺を見せる。しかし、その正体が何であるかは、分からなかったけれど。


「まなさん」

「何?」

「愛してます」

「……あっそ」


 普通はお礼だろうに。愛の告白は、感謝の代わりにはならない。そして、マナの視線は相も変わらず、扉の外で揺れる琥珀髪を捉えていた。


「静粛に」


 マナの短い一言で、場は静寂に包まれる。その声量と、透き通るような声に、私は背筋を正されるような心地がした。


 扉の外の戦いも、音を立てまいとするかのようにぴたりと止まり、マナの発言に注目する。そして、彼女は、小さく口を開いた。


「私は──女王になります」

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