第2-23話 そうじゃないと信じたい

「やっちゃった……」


 壁に手をつき、呼吸を整えながら、私は頭を抱える。


「まな、元気出して?」

「元はと言えばお姉ちゃんがっ……いいえ。励ましてくれてありがと。はあ……」


 まあ、こんな言い争いはしょっちゅうなのだが、人前で騒ぐというのが、まずかった。あまり、目立ってはいけないと思っていたのに、結果がこれでは話にならない。


「白髪に赤目だし、きっと、覚えられたわよね……」

「両方、珍しいもんねー」

「それから……迷ったわね、完全に」


 その場から離れることばかり優先していたため、道を見ずに走ってしまった。我ながら、成長がないと思う。


「前のときはあかりくんとマナちゃんが来てくれたんだよね?」

「そうね。今回は期待できなさそうだけど」


 目の前に壁があるということは、疑うまでもない。壁沿いに歩けば、そのうち知っている道に出るのは確実だ。ただ、約束の時間までにたどり着けるかと言われると、話は別だ。 目的地から遠ざかる方向に進んだ場合、一周するのに三時間ほどかかるかもしれない。


「もちろん、私は覚えてないよ!」

「さすがお姉ちゃん。自信だけは一流ね」

「わーい! やったー!」


 誉めたつもりはないのだが。楽しそうなまゆに、私は毒気を抜かれる。


「とりあえず、歩いてみるしかないわね……」


 そして、三十分ほど歩き、猛烈に後悔した。ますます、道が分からない。碁盤の目のようになっているノアとは違い、トレリアンは同心円状の道になっている。とりあえず城を目指そうと、そちらを目指したはいいが、そもそも、屋台が城からどの方角に位置しているかもよく知らなかった。先に、地図を見ておくべきだったと、後悔する。まあ、後悔なんて後からしかこないものだけれど。


 そして、今、私は城を目前にしている。


「近くでみると、やっぱり大きいわね……」

「お城なんだから大きいに決まってるでしょー? 私でも分かるよー」

「圧倒されてるの」


 きょろきょろと辺りを見渡し、近くに人が立っているのを見つけ、私は声をかける。


「すみません、雲が食べられる屋台に行きたいんですけど、知りませんか?」

「はい。雲が食べられるかどうかは分かりませんが、ここから外側に二十二本目の通りが一周、屋台をやっています」

「ありがとうございます」


 そして、お礼を言い終わってから気がつく。その人が、城の門を守る門番であることに。


「どうかされましたか?」

「い、いいえ。ただ、ここが城門だって気づかなくて。あんまり大きいから……」

「そうでしたか。現在、城は封鎖されていますが、蜂歌祭、楽しんでいってくださいね」

「はい、ありがとうございます……」


 ここにマナがいるのだと、私は城を見上げた。


 そして、一番、 重要な門を任せられている二人の門番の片割れの、すごく普通に見える人に頭を下げた。色々といけないことをしているので、過敏に反応してしまった。


 それから、少し急いで、言われた通り、二十二本外側に進むと、横にぽつぽつと見覚えのある屋台が見えた。私は鞄から懐中時計を取り出し、時間ギリギリであることを確認する。


「宝石、雲……あったわ!」


 少し急いで、私はその間の道を進んだ。


 ──進むにつれて、だんだんと、薄暗くなってきたように感じた。太陽が落ちたわけでも、日が当たらないわけでもなく、何かが、どんよりと暗くなった感じだ。


「嫌な感じね……」


 それでもなお、進むと、視界の端が光ったように感じられた。ふと、私は光源の方に目をやる。その暗闇から、白い綺麗な手が私を招くのが見えて、それについていこうと──、


「まな。そっちはダメ」


 まゆの声に私は足を止め、正面の影と後ろのまゆを見比べる。


「……でも、あの子、あたしを呼んでる」

「ダメだよ。マナちゃんを助けるんでしょ?」

「そう、だけど」


 私は少しずつ離れていく白い影を目で追う。その影が、とても寂しそうに見えて。どこか、見覚えがあるようで。それを黙って見送るのは、酷く、心がかきむしられるようで。それは、とても、堪えられそうにないほどの痛みで。


「待って、行かないで……」

「まな、行っちゃダメ! まな!」


 必死にひき止めようとする、軽い体を引きずり、私はその影に向かって、手を伸ばす。


 どんな声でも言葉でも、去っていく彼女を引き留めることはできない。あの手を掴むしか、留める方法はないのだと、すぐに分かった。


「まな、お願い、戻って!」

「でも……!」


 少しずつ、離れていく。手の届かないところへ行ってしまう。今しかないと、分かっているのに、彼女が誰なのか。どうして私を呼んでいるのか。何も、何も、分からない。ただ、胸がざわつく。離れるほど、心に開いた穴が、こじ開けられるように苦しい。


 まゆの手を振り払うことは、とても簡単だ。そうして走り出せば、まだ、間に合う。


「あたし、あの子のところに行かないと!」

「あっ! まな──!」


 彼女が待っていてくれる。あと一歩で、手が届く。追いつく。


「もう、一人にしないから──」


 そうして、光の手が導く方へと、一歩、踏み出そうと──頭に何かが直撃し、体が後ろに引かれ、私は尻もちをつく。


「──え? う、ぁ……」


 そして、あと一歩のところに、大きな穴が開いていることに気がついた。それに気づいた途端、力が抜けて、私は言葉を失う。


「まな! 大丈夫!?」


 先ほどのものは、まゆが投げたのかという考えが一瞬、頭をよぎる。しかし、すぐにそれは違うと分かった。


「まなちゃん。ちゃんと足元見て歩かないと、危ないよ?」

「あかり……。それに、このリンゴ」

「おいおい、2号。目がどっかイってたぞ。正気に戻ったか?」


 レックスがリンゴを投げ、あかりが引いてくれたということか。


「でも、あかり、人に触るのダメじゃなかった?」

「ちょっと、言わないでよ。考えないようにしてるんだから。……いや、やっぱ、無理。うええっ……」


 そこにあった穴に、あかりは胃の中身を吐き出していた。背中をさするわけにもいかないのが、なんとももどかしい。


「あかりはノーコンだからなぁ。遠くから意識を覚まさせるっていうのは、あかりには無理だったってことよ。嬢ちゃん、魔法効かねえみたいだし」

「別に、レックスが私を殴って、後ろに引けばよかったんじゃ……?」

「高いところが無理なんだよ! 察してくれよ!」

「あんなとこに住んでるのに!?」

「克服しようとしてんだよ! くっそ、こんなに離れてるのに、膝が震えてやがる……」


 あかりは、高いところは平気なようだ。よく考えたら、彼は空も普通に飛ぶのだった。


「大丈夫?」

「ううん、死にそう」

「元気そうで何よりだわ」

「まなちゃんこそ……!」


 本当に顔色が悪く、心配ではあるが、軽口を叩けるうちは、まだ大丈夫だろう。私は、私を見上げるまゆに笑みを向ける。


「お姉ちゃん。止めてくれてありがとう。あと少しで、取り返しがつかなくなってたわ」

「……」


 すると、まゆは私の腰にぴったりと抱きついてきた。


「そんなに怖かったの?」

「うん。すごく、怖かった」

「そっか。ごめんね、お姉ちゃん」


 抱きつく力を強めるまゆから視線を外し、私は手が去っていった方へと目をやる。薄暗さもなくなり、そこには、普通の通路が続くだけだった。

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