第5-7話 リュックを開けたい
「榎下朱里 死去……?」
私は手をついたまま、壁をなぞりながら、さらに進んでいく。
「……マナ・クラン・ゴールスファ 死去」
あまり怪しい動きをすると、見えていることが気づかれるかもしれない。マナはともかく、れなや魔王は信頼していないので、あまり情報を与えたくない。私は適当な場所にリュックを下ろし、壁を背もたれにして座る。
──私は、今まで、死人と話していたとでも言うのだろうか。いや、他の人にも見えているからそれはないはずだ。
「家族のところに帰る、オッケーです! お供え物を確認する、オッケーです! 人にとりつく、これは、ダメです。とりつくのはやめてください──」
れなは、ツアーガイドのようなことをやっていた。静かなので、嫌でも聞こえてくる。ただ、大したことは言っていない。この時期の霊に悪いやつは少ないので、まあ、大丈夫だろう。
「それと、二十五日から、魔族の方の解放日となります。それまでには、帰るようにしてください。そのまま現世に残ると成仏できると言う方がたまにいますが、できませんので。だいたい、悪霊になって、消滅させられることになりますので、必ず帰ってくるようにしてください。消されると、痛いですからねー。ちゃんと手続きをして、成仏してくださいねー」
説明を聞き終えた瞬間、霊たちが壁をすり抜け、一斉に飛び出していった。
「本当に見えているのか?」
「うん、バッチリだよん」
魔王とれなの会話を聞くまで、普通は見えないのだということを忘れていた。悪い霊はれなが祓っているようだし、ヤバそうなのが何体も見えるが、まあ、放っておいても大丈夫だろう。
私はリュックの上から、まゆを撫でるつもりで、その表面を撫でる。まゆは手以外、触ることもできないのだが、そこにいるのは確かなのだ。それなのに、
「──」
毎年毎年、この時期になると、必ず、まゆの幽霊が見える。まゆは魔族ではない。人間だ。そして今、私の目の前にいる。
無表情で、ただ、そこに立って、私に冷たい視線を向けていた。それでも、まゆは、今、リュックの中にいるはずなのだ。開けて確認して──いや、見つかってはいけないから、確認はしない。その勇気がない。
「まなさん、終わりましたー」
そう言って、マナが走って向かってくる。そこに立つ、まゆには気づかずに。
マナがすり抜けても、目の前のまゆは、何も感じていない様子だった。それどころか、動くこともしなかった。
「まなさん、どうかしたんですか?」
まゆとマナの姿が重なる。まるでまゆが死んで幽霊になってしまったかのように。そして、先ほどの記述のことを思い返すと、マナも、もう死んでいるのではないかと、怖くなる。
「まなさん?」
「……いいえ、何でもないわ」
マナは、座っている私に屈んで、頭を撫でる。そして、くっついてくる。その馴染んできた温かさに、少しずつ、心が落ち着くのを感じる。マナは私を持ち上げて膝の上に座らせて、私の目を塞ぎ、優しく頭を撫で続ける。
「大丈夫、大丈夫ですよ」
そんな風に声をかけ続けてくれた。温かい体温が、マナの命を証明していた。それでも、リュックを開けることは、私にはできなかった。
今年のまゆの幽霊は、いつもより、はっきり見えた。
──本当に、まゆは生きているのだろうかと、疑問に思わずにはいられないほどに。
***
それから、私は眠ってしまったらしい。目が覚めると、温かく、柔らかい感触に包まれていることに気がついた。マナが頭を撫でていたらしい。
「ごめんなさい、寝ちゃって……」
「寝顔が可愛かったから、許します」
「──そう。ありがと」
私は微笑を浮かべ、マナから離れて辺りを見渡す。もう、まゆの姿は見えなかった。吹き抜けになっている天井を見上げるが、霊の姿は見えなかった。
「二人は?」
「まなさんのお母様を探すそうです。ここでは見つけられなかったそうですが、もしかしたら、ユタさんの方に会いに行ったかもしれないと、れなさんが仰っていました」
「そう」
私はマナから降りて、立ち上がり、体を伸ばす。そして、リュックを背負い、上がりかけた袖を直した。
「霊解放って、これで終わり?」
「はい。後は報告して帰るだけですよ」
「そう。じゃあ、帰りましょうか」
「忘れ物には注意してくださいね。時計塔は、中にいる人が全員外に出たら、自動で施錠されるので、ここには戻ってこられませんから」
「ええ、大丈夫よ。──マナ? 行かないの?」
「……足が、しびれました」
「……ごめんなさい、本当に」
しかし、マナは足のしびれにも対応できるらしく、何もないかのように、すぐに立ち上がった。それから、外に出ようとしていた私に、
「……まなさん!」
叫んだ。私は少し驚いて、マナの顔を見つめる。珍しく、真剣な様子だった。
「何?」
「少し、お付き合いいただけますか?」
「ええ、構わないわ」
私はマナに連れられるまま、魔法で最上階まで上がる。天井の窓からの光が暖かく、眩しい。
「ここから、始まっているんです」
「何が?」
「時計塔が刻む歴史です」
マナはその付近を指で上から下になぞった。すると、歯車が噛み合って回るような音がして、なぞった付近の壁がわずかに開いた。指数本程度しか入らないような隙間だ。
そこには、分厚い、一冊の白い装丁の本が収納されていた。マナは指で本を傾けて、取り出す。
「何、その本?」
私が問いかけると、マナは何も答えずに、本をぎゅっと抱きしめた。すごく辛そうで、でも、どこか嬉しそうで。辛酸を舐めているようにも、愛を育んでいるようにも見えた。そして何より、寂寥を感じた。言葉では表しきれない複雑な感情が、その顔には表れていた。
「──これは、未来の日記です。これから起こることが書かれています」
「未来が?」
マナは、黙ってうなずく。そして、その本の表紙を手でなぞった。
「まなさん、この本を、持っていてくれませんか」
「え、あたし? 未来が書かれてるようなものを?」
「はい。まなさんに」
「なんでまた……。ここにあるってことは、国宝とか、そういうレベルのものじゃないの?」
すると、マナはゆっくりと、首を横に振った。
「これは、そんなにたいしたものではありません。ただ、ここに置いてあるだけです。──警備という点において、この塔を超えるものはないでしょう。でも、この先、この本を取り出す機会は、きっと、やってこない」
「だから、あたしを呼んだの?」
マナはそれには答えず、本を私に差し出した。
「受け取ってくださいませんか?」
「受け取って、あたしが管理しておくってこと?」
「管理、ですか……そうですね。お願いします。それから、ここには、未来が書かれているので決して開けてはいけません──八年後までは」
「八年?」
「それより先の未来は、ここには書かれていないんです。だから、すべてが過去になったとき、この本を読んでください」
私はマナの表情があまりにも真剣だったので、思わず、悩んでしまった。本当に、私が受け取ってもいいのだろうかと、悩み、そして──、その本を受け取る。
「ありがとうございます」
私は躊躇いつつも、リュックを開ける。そこには、寝息も立てず、死んだように眠るまゆの姿があった。私はそれに安心して、白い本をリュックにしまう。
「帰りましょう」
「はい」
一階まで降ろしてもらって、私たちは城へと報告に向かった。扉を出ると視界が光に包まれ、振り返ると、そこに時計塔はなかった。
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