第5節 霊解放と青髪少年
第5-1話 何もなかったふりをしたい
見慣れた部屋。窓の向こうには、青空が広がっていて、空には大きな白い雲が浮かんでいた。窓に射し込む太陽の光が眩しくて、私は目を細める。
「暑いわね……」
「クーラーつけたら?」
「いいえ、電気代がもったいないし……まだいけるわ」
「あはは、バカだねー」
「うっさいわね……」
怒ると暑くなるし、そんな元気もない。窓を開け、部屋の真ん中でロウソクに火をつけ、そして、ベランダに水をまいた。それからカーテンを閉めると、部屋はすっかり、暗くなる。どうやら、着ていたのは暗いところで光るタイプの服だったらしく、虹色に発光していた。ミラーボールにでもなった気分だ。まあいいけれど。
床に横になって天井を見上げ、腕をまくって、傷を眺める。そして、そこに書かれた文字を読む。
「まゆみ」
「何、まな?」
「宿題、終わったの?」
「うん、終わったよー」
「あんなに、嫌がってたのに?」
「まなが教えてくれたおかげだよ、ありがとー」
「そう、よね。そうだったわね」
なんとなく、変な心地がして、落ち着かない。傷をなぞっても、痛みに頼っても、安心できなかった。
「お姉ちゃん、しばらくいない間、どこ行ってたんだっけ」
「色んなところを旅してたよー。私、空飛べるから! 海も渡ったりして」
「なんで急に?」
「ん? なんとなくだよ? 行きたかったから、それだけ」
「……そう」
まゆが帰ってきた日から、なんとなく、落ち着かなかった。なぜかは分からないけれど、どうしても、不安で仕方なかった。心に穴が空いたみたいで、耐え難い苦痛だった。蜂歌祭で、白い手に招かれたときのような。
「──そういえば、そろそろ、霊解放の時期ね」
霊解放とは、簡単に言えば、亡くなったご先祖様が帰ってくる期間のことだ。この時期になると、行き交う人の中にも幽霊が増えてくる。まあ、見えるからこそそう思うだけで、ほとんどの人には見えないようだが。
「お母さんのお墓参り、行くの?」
私は少し考える。お墓の場所は魔王に教えてもらったが、母は、果たして、帰ってくるだろうか。せっかく、自分は見えるのだから、会いたい気持ちは強いが、
「……いいえ。れなに会うかもしれないし。それに今は、お父さんの顔も、見たくないから」
「そっかー」
まゆを、こんな風にした、その責任が彼らにはある。だから、私は二人を許すわけにはいかない。
「さあ、そろそろ始めないとね」
「何やるの?」
「魔法陣の解析」
「まほーじん?」
私は箱の中に入れてある球を取り出して、机に置く。クマの目に埋めてあった義眼だ。裏には魔法陣が描かれている。
「強い魔法使いは、その人固有の魔法陣を持ってたりするの」
「へー」
「魔法陣を使うと、より強い魔法が使えるようになるわ。生き物を操るとか、自分の分身を生み出すとか、相手の魔力を奪うとか、時を操るとか、そういうやつね」
「へー」
チアリタンで私たちを襲ってきたクマは、操られていたのだろう。だから、山火事からも逃げなかった。いや、逃げられなかったのだ。子グマが挟まれていたことも理由の一つには挙げられるが。
そして、操られていたということは、操る人がいたということ。誰かが、何らかの理由で、クマを操っていたのだ。
「魔法陣は形ごとに、その人の人格とか、個性とかを表してるの。だから、解体することで個人を特定できるのよ」
「へー……すやすや」
「聞いたなら、少しは興味持ちなさいよ……」
以前、私が魔法を使えないからと、三人でお金を出し合って、インスタントカメラなるものを買った。シャッターを押すと、すぐに現像されて写真が出てくるという、素晴らしいアイテムだ。私はそれで眼球の裏を撮影した。
そして、出てきた写真を見ながら、それをノートに書き写し、魔法陣の本を持ってきて、適合する形を探す。魔法陣はこうした形の組み合わせで、色々なことを表しているのだ。
ただ、その解体は困難を極める。
「解体手順は、まず、性別から。見分け方は、えーっと……、四角の下に十の形があれば女──そもそも、どっちが上? それに、四角ってどの四角よ。小さいのも入れたらたくさんあるんだけど……」
すでに心が折れそうだ。だが、また誰か狙われるかもしれないし、犯人くらいは調べておかなくてはならない。業者に頼もうにも、お金がないし、それに、
「明らかにあたしを狙ってたわよね……」
ギルデも巻き添えを食らってはいたが、目的はおそらく、私一人だっただろう。となると、あらかじめ、私が山に入ることを知っていた可能性が高い。つまり、私にチアリタンに行くよう仕向けた人物が犯人である可能性が高いが──、
「まだ断定はできないわね」
それからしばらく、魔法陣とにらめっこをしていた。しかし、やはり、知識を持っているのと、実際に使うのとでは違う。まったく、わけが分からない。
「だああぁっ……! これは、一度、誰か専門の人に教えてもらわないと無理ね」
さて、どうしたものか、と、いくつかアテに見当をつける。
そのとき、扉がノックされた。私はなんとなく、出る気になれず、居留守をしようと心に決める。
「まなちゃーん? あれ、もしかして、いない──」
「いえ、気配を感じます。この中にいるはずです」
「それなら……いや、気配って何?」
「まなさんのリズムの呼吸と鼓動が聞こえます」
「え、何それ怖……」
「は? 怖すぎるんだけど……?」
私はあかりと同じ感想を抱いた。
鍵などかかっていなかったかのように、扉は外から開かれ、あっさりと見つかってしまった。
「ほら、やっぱり立てこもりです」
「立てこもりってか居留守……いや、あっつ! 暗いしなんか光ってるし! なんで電気もクーラーつけないのさ!?」
「電気代がもったいないでしょ。あたしのお金じゃないんだから」
「それでまなさんに何かあったら、どうするんですか?」
「ちゃんと水分も塩分も摂ってるし、問題ないわ。あとはじっとしてればいいのよ」
「めちゃくちゃ汗かいてるけど?」
「暑いんだから、汗くらい出るわよ」
「あかりさんの部屋に避難しましょう」
そうして、マナは私の元まで歩いてきて、──一瞬、動きを止める。
「どうかした?」
マナは私の右腕を掴み、抱き寄せる。袖を捲ったまま、戻し忘れていた。腕にはまだ新しい傷ばかりが浮かんでいる。その腕を、淡い光が包み──それを私は、反射的に払いのけた。
「──っ」
魔法で治らないことくらい、理解しているが、それでも、治る可能性があるということを知った以上、ただ、ひたすらに、恐ろしかった。
マナが私を思ってくれたことくらい分かっている。けれど、まゆを忘れてしまったら、思い出すことはできないのだから。私は、まゆのためだけに生きてきたのだから。
「ごめんなさい、つい」
「……いえ、私の方こそ、軽率でした」
なぜかは分からないが、マナとあかりは私の傷を見ても、何も聞かなかった。どうせ、説明したところで意味はないのだが、その手間が省けて助かる。隠す必要もないし。
「まな、どうかしたの?」
「いいえ。なんでもないわ」
私はベッドの上にいたまゆが起きて、こちらを覗く気配がして、腕を隠した。まゆとお風呂に一緒に入らないのも、まゆに傷を見られたくないからだ。拷問を受けていたときのトラウマを呼び起こすかもしれない。自分を責めるかもしれない。そして、何より、やめるよう説得されるのが怖かった。
「まなさん、行きましょう」
マナは傷のない左腕を掴み、ロウソクを吹き消して、私を引っ張っていった。
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