第4-8話 遡行の書を使いたい

 道が複雑すぎる。坂は多いし、道は真っ直ぐじゃないし、目印になるような高い建物もないし。頭の中で地図を開いてはみるが、地図で見るのと、実際歩くのとでは、全然違う。確かに、一人ではたどり着けなかったに違いない。


 そして、赤い壁に白い屋根という、これまた可愛らしい建物の前で、ヤバい人は立ち止まった。


「え、ここ?」

「入るぞ」


 ヤバい人の後についていくと、そこには、箱みたいな黒い物体と、高めの椅子以外、何も置いていなかった。絶えずクーラーが稼働しているのか、魔法かは分からないが、室内はとても涼しく、快適だ。


「てか、今どき暖炉って。雰囲気はいい感じだけどさ、使いづらくない?」

「いいんだよ。冬は大砲に火近づけりゃアあったまる」

「あ、大砲に火って近づけていいんだっけ?」

「本物にはつけンなよ……? はあ……あんなのが使われてるわけねエだろ。第一、デカすぎて飛ばねエよ」

「え、飛ばないの!? めちゃくちゃショックなんだけど……!?」


 僕は夢を砕かれて、落胆する。大きい大砲がドーンと飛んでいくのを見てみたかったのに。まさか、飛ばないとは。


 そうして、ろくな会話もしないまま、ヤバい人は、髪をかき上げ、


「そこに座れ」


 と、顎で指示した。僕は言われた通り、高めの椅子に座る。箱は机の代わりらしいが、膝の高さよりも下にある。生活しづらそうだ。


「それで、本と体の一部は持ってきたか?」

「髪の毛でも大丈夫?」

「ンアァ。その辺は爪の垢でもなんでもいい」

「いや、さすがにそれはちょっと」

「ものの例えだろ……。とっとと出せ」


 鞄から本と茶封筒を出し、机に置こう──としたが、低すぎて手が届かなかったので、立ち上がって机の真ん中に並べた。本当に不便だ。


「一つ、注意事項がある。絶対、過去の人物に関わるな。姿を見られるな。それから、魔法は禁止だ。今、かけてる魔法やら、持ってる魔法具やらがあれば置いてけ。荷物は全部没収だ」

「全然一つじゃないじゃん……」

「アアン? 誰が一つなんて言ったよ」

「君だよ!」

「服残してやるだけ感謝しろや」

「はいはいありがとう」

「あ、靴と靴下は置いてけ」

「裸足で行くの? え、痛くない? てか、なんで?」

「痛みなんて感じねエよ。殺されりゃア死ぬかもしれねえけどな。ハッハ!」

「ええ……?」

「とっととしろ。オレの気が変わってもしらねエぞ」


 仕方ないので、荷物をすべて外し、靴と靴下を脱ぐ。すると、きれいな足が出てきて、僕は見とれてしまった。自分の足だけど。


「念のため聞くが、この白髪か?」

「うん、それそれ」

「よっし、じゃあ、目つぶって、歯食いしばれエ……」

「おっと、殴る気満々じゃん」

「おめエは冗談も通じねエのか。つまんねエなア」


 そう言うと、ヤバい人は自分の指先をカッターでぴっと切った。僕が切られたわけではないが、


「いたっ、何やってんの?」

「ここからは企業秘密だ。ぜってエ外に漏らすンじゃねエぞ。分かったな?」

「おっけえ」

「椅子の上に立て」

「え?」


 困惑しながらも、僕は裸足で椅子の上に立つ。もたもたすると、また怒られそうだ。


 ヤバい人はノートの適当なページを開き、自分の血液を一滴、ノートに垂らした。すると、ノートから波紋が広がり、机全体が波のように揺れる。そして、そこに、髪の毛を吸い込ませる。


「なんか、ヤバい!」

「よし、ここに飛び込め。それから、オレが言ったこと、忘れるんじゃねエぞ」

「え、あの、僕、泳げないんですが……。保険入ってもいいですかね?」

「つべこべ言わずにとっとと行け!」

「あーばばばばば!!」


 なるほど、椅子は座るためではなく、机に飛び込むために使うのか。そして、靴は椅子に乗るために脱がせたのか。靴下は別に良かった気がする。


 そして、それに気がついたのは、酸欠で失った意識を取り戻した後だった。


***


「ここ、本当にどこ?」


 目が覚めて数分。僕は裸足で砂利の上を歩いていた。本当に痛くない。夢みたいだ。というより、多分、これは夢なのだろう。


「これ、魔法使わずに隠れるとか、無理じゃない? 僕、ドジだし、マヌケだし、肝心なとこでいつもダメダメだし──はあ、考えるのやめよ」


 見つからないよう気をつけて、それでも見つかったら、見つかったときだ。


「てか、まなちゃんどこ?」


 辺りにそれらしい人影はない。というよりも、よく見えない。僕は目が悪いのだ。当然、黒板など少しも見えてはいない。学校にいるとき以外は、コンタクトをつけているのだが、それも外せと言われた。


 これだけダメダメなのだから、視力くらい良くてもいいじゃないかと思うのだが、あいにく、ステータスは魔法に全振りされているらしい。この世界に来られたことだけが、せめてもの救いだ。


「今って、いつなんだろ……。いや、今は今だけど……まあいいや」


 周囲を見渡すと、木の板や鉄の柵が、バリケードのように点在していた。家屋は半壊しており、草の一本すら、残っていない。風が吹くと砂ぼこりが舞うほど、遮るものが少ない。


 そして、そんな窓も壁もないに等しいような家屋の中に、人が住んでいるようだった。


「まなちゃんはいないみたいだけど……」


 白髪がそもそも見当たらない。それに、仮にも魔王の娘がこんなところにいるとも思えない。


「ねえ、あなた。何してるの?」


 後ろから話しかけられ、僕は咄嗟に振り返る。ここに来てわずか数分。早速見つかってしまった。そこにいたのは、ピンクを薄めた髪に水色の瞳の女の子だった。なんとも、愛想がよく、可愛らしい。決して、ロリコンではない。断じて。アイラブマナオンリー。


「君こそ、ここで何を?」

「わたしが聞いてるんだけどなー。質問に答えてくれるかな?」


 たれ目がちな目や、水色の瞳、顔立ちも全くまなちゃんとは似ていなかった。間違いなく、別人だ。


「ええっと、君──」

「誤魔化すのはやめてくれる? 返答次第では、しかるべき措置をとらせてもらうからね?」

「いやあ、ちょっと、未来から来たんだよねえ」


 こうなったら、やけくそだ。映画で、未来から来たことを知られてはいけない、的なものはよく見かけるが、知ったことか。見つかってしまったのだし、これ以上、何をしたって怖くはない。


 そう思って、僕は正直に話したのだが、


「まだシラを切るんだ? むしろ、尊敬しちゃうなー。そんなに早死にしたいなんて、物好きだねー」

「信じてもらえなかった……!」

「こっちに来て。できる限り穏便に済ませてあげる」

「え、ほんと? じゃあ、行く行くー」


 そうして、少女は、どんどん、人気のない場所へと進んでいく。


「どこに行くの?」


 そう尋ねると、少女は立ち止まって、冷えきった水色の瞳で、こちらを睨んだ。


「持ち物、全部ここで置いていって?」


 カツアゲだ。こういう人には、謙虚な姿勢でお金を渡すと、一番、穏便に済むと、僕は思っているのだが、


「いやあ、あいにく、何も持ってないんだよねえ」


 僕はズボンのポケットを裏返す。置いていけと言われたので何もかも置いてきた。


「髪の毛を差し上げますって? ありがとう! あなた、意外と優しいんだね!」

「一言も言ってない!」


 少女は懐からナイフを取り出した。しかも、モンスター用ではないようだ。


「髪の毛ってお金になるんでしょ? 少しくらい、分けてくれるよね?」

「そのナイフは全部持ってく気じゃん!?」


 とはいえ、魔法が使えなければ僕なんてポンコツ以外の何者でもない。この少女にすらやられる自信がある。だが、髪の毛を渡すわけにはいかない──と、近くで爆発音がした。


「……!」


 少女は懐にナイフを戻すと、黒煙の上がる方へと駆け出した。


「……僕、もしかしてヤバいことやっちゃった?」


 少女が僕に出会わなければ、あの爆発に巻き込まれていただろう。それを、変えてしまったのだ。


 少女の後ろに続いて、僕は頑張って走る。すると、急に景色が宙に溶けて回り始め──。

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