第4-7話 ヘントセレナに行きたい

 土曜日の昼。僕はヘントセレナに向けて、空を飛んだ。飛行機より早く飛んだり、渡り鳥に紛れたり。マナに言われたことも忘れて、寄り道しながら目的の場所へと向かう。大きな湖を渡っていると、遠くに陸が見えてきた。


「この辺りかな、ヘントセレナって」


 まるで、絵本から飛び出してきたみたいな都市だった。パステルカラーの外壁に白や黄色、ピンクの屋根、水色の柵。レンガの道路で作られた、曲がりくねった道。土地は坂が多いようで、坂にも建物が建っている。


 ヘントセレナとその一つ手前の都市を隔てる、大きな湖。その湖が、とても大きく綺麗で、振り返ると、陸があるはずの方向には、地平線が見えた。今は、この湖がルスファという国を二分しているのだ。


「可愛い……!」


 僕は空から降りて、大まかな地図から、細かい地図へと切り替える。目印は大砲らしいが、こんなにファンシーな雰囲気の都市に大砲など、果たしてあるのだろうか。


 そう思いつつも、湖沿いにあると書かれているため、僕は湖の周りを歩いて探す。写真を撮って回りたいところだが、寄り道はなしと言われているので、大人しく従う。


「えーっと。大砲、大砲……あった。てか、でかっ!」


 大きすぎて気がつかなかったが、間違いなく、目の前に大砲があった。その大砲は、全長十メートルはありそうで、人が中に住めそうだ。


「うわあ、やばい、カッコいい!」


 勝手に触っては怒られるだろうかと思いつつ、こっそり、手を伸ばし、べたべた触る。


「すべすべ、ピカピカだあ……!」


 磨き抜かれた本体が、自分の存在を主張するかのように、太陽を反射していた。これぞ、ロマンだ。


「写真撮ってマナたちに見せよっと」


 ぱしゃりぱしゃりと、この大砲と、ここから見える家、それから地平線などを撮影し、満足したところで、スマホをしまう。そのとき、がたんと大砲が揺れ、僕は素直に驚いた。


「るっせエな……」


 すると、大砲の中から人が出てきた。手には枕を握っている。どうやら、この中で寝ていたらしい。いや、寝れそうだとは思ったけれど、さすがの僕でも本当に人がいるとは思わなかった。


「えっと、すみません?」

「そんなのは謝罪って言わねエンだよ。頭を地面に埋めて謝るのだけが謝罪ってンだよ」

「土下座の上位互換!?」


 地面に頭を埋めたら大抵の人間は息ができなくて死ぬと思う。それとも、この人は地底人か何かなのだろうか。


「いいから、とっとと謝罪しろや──アアン?」


 目の前のヤバい人は、急に僕の顔をじろじろと眺め始めた。


「おめエ、よく見ると可愛いじゃねエか……」

「ありがとう! でも、僕、男だよ?」

「死にさらせエ!!」

「あぶなっ!?」


 地面が陥没するほどのパンチを、僕は全力で避ける。回避だけは得意でよかった。


「見た目で人を判断するのが悪い! それと、初対面の人に手を上げるとか、印象最悪だから!」

「ンなこたア知るかよ。こちとら、無理やり起こされて、寝起きに男の面拝まされてイラついてンだ」

「まあまあ、見た目はほぼ女子みたいなもんだからさ。見といて損はないと思うよ?」

「まあ、確かにな……ってなるわけねエだろ!」


 再び拳が飛んでくる。もちろん、僕は避ける。当たったら痛そうだし。


「ほら、イライラしてもいいことないよ。カルシウムだっけ? なんか足りてないんじゃない?」

「おめエ、オレに殺されに来たのか? アアン!?」

「いや、さすがに、こんなところまで殺されに来る趣味はないって。僕、遡行職人を探しててさ。知らない?」


 そう尋ねると、ヤバい人は怒りを鎮め、心底面倒といった様子でため息を残し、大砲の中に帰っていった。


「ええ、答えてくれないの……?」


 地面に開いた二つの穴は塞いでおいた。そういえば、マナが言っていた。ここの人たちは人間に対して良い感情を持っていないと。だから、あそこまで機嫌が悪かったのだろうか。きっと、そうに違いない。僕は何も悪くない。


「ねえ、ちょっと、出てきてよー。何か知ってるんでしょ?」


 大砲をがたがたと揺すり、ノックしてみる。先ほどの反応は、間違いなく、何か知っている。


「っるせエ!! 少し待ってろっつったろ!!」

「──いや、聞いてないけど!?」


 少し待てと言われて、三十分ほど、湖に石を投げて遊んでいた。当然、水切りなんて、人生で一度も成功したことはなく、ぼちゃんぼちゃんと、その辺の石ころたちはすべて、湖の底に沈んでいった。


「何が楽しいんだろ、これ」

「おめエ、へっっったくそだな」

「はいはい、そうですか。じゃあ、君がやってみてよ」


 すると、ヤバい人は僕から石を奪い取り、水平に投げた。石がタタッと水面を走る。


「うわあ、ヤバい! ねね、どうやってやるの!?」

「アア? ンなもん、適当に投げるだけだろ」

「それでできたら苦労しないって……」


 そうして、僕は湖に投げてしまった石たちを覗き込む。すまない、走らせてやれなくて──と、静まりつつある水面に、背後に立つ人物が映り、僕は咄嗟に振り返る。


 そこには、パーマのかかった金髪をかき上げ、バッチリメイクした、赤い瞳の女性がいた。


「誰!?」

「おめエ、さっき自己紹介しただろ。何度も言わせるンじゃねエよ」

「あ、さっきの人だ! いや、自己紹介は聞いてないけどね!?」


 その低い声は間違いなく、目の前の人物のものだった。見た目の美しさと、声の低さのアンバランスな感じが、むしろ、いい。


「君、めちゃくちゃ美人じゃん! ねね、そのメイク、どこの使ってるの?」

「アア? 口説いてンのかてめエ?」

「いや、悪いけど、僕には心に決めた人が……って、なんで着替えてきたの?」

「なんでって、そりゃおめエ、人と話すときは着替えるもンだろ普通。知らねエのか?」

「君に常識があるとは知らなかったなあ」

「マジでイラつく野郎だな」


 色んな意味でヤバい人は、髪をとくようにかき上げ、僕を見下すようにして睨みつけてきた。仕草が艶っぽい。


「うん、よく言われる。それで、遡行職人のとこにでも連れてってくれるの?」

「はっ。よくとぼけたなおめエ。現実見ろや」


 なんとなく、察してはいた。待ち合わせが大砲であり、大砲にはこの人しかいなかったからだ。


「オレがその遡行職人とやらだ。それでおめエ、何しに来た?」

「遡行職人って、めちゃくちゃカッコいいよね! 何それ、どうやってなるの? いつなったの? どこでやるの? どうやってやるの? 世界に何人くらいいるの? 君ってなんでそんなに可愛いの? 歳いくつ? ねね、教えて?」

「だアー! っるっせエ! ンなこと聞くために来たのか! 湖に投げ飛ばすぞ!」

「ええー、いいじゃん別にい。ちょっとくらい教えてくれたってさあ、ねえ? 減るもんじゃないでしょ?」


 結局、ヤバい水切りの人は、何も教えてくれなかった。


「とっととしろ、行くぞ」

「え? 行くって、どこに?」

「店だよ。こんなあっちイとこでやってられっか」

「大砲で寝るくらいなら、お店で寝ればいいんじゃない?」

「アアン? おめエらが店を見つけられねエから、分かりやすいとこにいてやってンだろ!?」

「ある意味、全然分かりやすくなかったけど!?」


 こうして、僕はヤバい人に連れられて、店なるものへと向かった。

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