第3節 家族と命の石

第3-1話 管理人さんに会いたい

 王都での冒険も、ずいぶん昔のことに感じられるようになってきた、今日この頃。うるさいくらいにセミが鳴いていた。


 私はいつものように学校へ行く準備をしていた。クーラーをつけなくても、朝なので、まだそこまで暑くはない。


「この宿舎って、他にどんな人が住んでるんだろうね?」

「は? 知らないけど?」


 朝の支度をしていると、不意に、まゆがそんなことを言い出した。朝の忙しいときに言われたので、頭に入ってこない。


「えー? わたしは気になるけどなー。まだ管理人さんにも会ってないよね?」

「そうね」


 三日徹夜でゲームをしていた、ということ以外、何も情報がない。挨拶用にクッキーの缶を買ってあるのだが、かれこれ、二ヶ月経っている。あかりとマナに頼んで消化するしかなさそうだ。


「まあ、会ったときでいいでしょ」


 姿見で変なところがないことを確認し、ほんのり赤みがかった、高めのサイドテールを撫でる。そして、鞄を持って、まゆと一緒に部屋を出た。


 施錠を確認していると、隣の部屋の扉が開き、隣人が姿を見せた。朝も早いというのに、その琥珀色の髪は綺麗にまとめられている。その少年は、私たちを見かけるなり、手を振ってきた。


「あ、おはよーっ。んー、眠い!」


 あかりは朝だからか、眠そうにあくびをし、うんと伸びをする。


「あかりくん、おはよー!」

「おはよう、あかり」

「相変わらず、早いねえ?」

「朝は勉強するって決めてるから」

「んー、真面目だねえ」

「そういうあかりは、なんでこんなに早いの?」


 あかりはいつも、朝が早い方だが、今日は特に早い。何かあるのだろうか。


「今日、アイちゃん日直でさー。起こさないといけないんだよね」

「ふーん。まあ、頑張って」

「いやいやいや。手伝ってくれるよね、ね? ほら、あれとかあれとかさ、僕がいなかったらどうなってたことか……。ねえ?」


 あれというのは、ノラニャーから地図を取り返してもらったときや、王都での話だろうか。確かに、あかりの力なくしては、解決するのが難しい事件だったが、どうにも、恩着せがましい。お世話になっているのは事実だけれど。


「仕方ないわね。お姉ちゃ──」


 気がつくと、まゆが消えていた。どうやら、逃げたらしい。まゆにも手伝わせようと思っていたのだが。


「……それで、部屋には入れるわけ?」

「鍵は僕、持ってるから」

「この宿舎、本当に大丈夫なの……?」


 あかりは躊躇いなく、マナの部屋の鍵と扉を開ける。すると、いつか、片付けたはずの部屋が、本当に床が見えないくらい、散らかっていた。私はもう、二度と、この部屋の片づけは手伝わないと、心に誓った。


「アイちゃん、入るよー」

「お邪魔しまーす……」


 恐る恐る足を踏み入れると、床に桃色の毛玉が転がっているのが見えた。


「うわあっ!?」


 ピンク色の怪しい物体かと思い、私は思わず飛びのく。よく見ると、そこから先にはちゃんと人の体が生えていた。


「また床で寝てるし。アイちゃん、起きてー、風邪引くよ」

「おやすみ、なさい……」

「まなちゃんが来てくれたよ。起きなくていいの?」


 瞬間、桃色の毛玉がもぞっと動き、隙間から黄色の瞳がちらちらと光る。


「まなさん……?」

「え、ええ。マナ・クレイアだけど」


 その声を聞くと、マナはがばっと起き上がり、三秒で支度を済ませ、背後から抱きつき、私の頭に顎をのせた。


 ──魔法というやつは、本当に無駄に便利だ。


「背が縮むからやめなさい」

「ちょうどいい高さなので、伸びないでください」

「いいえ。なんと言われようと、あたしはまだ伸びるつもりだから。せめて、百四十は超えるからっ!」


 マナを手で押しのけ、私は階下へと進む。二人は後ろからついてきた。まあ、同じ学校に登校するのだから、当然と言えばそうなのだが。


「マナは朝ごはん、まだでしょ?」

「トンビニでトンビアイスを買っていきます」

「アイスはご飯じゃないわよ」

「トンビアイスは完全食ですよ」

「え、そうなの?」


 あかりの顔を見ると、さあ、という顔をされた。一階ロビーの椅子に座るまゆに救いを求めるが、二度寝していた。聞いたところで知っているとも思えないけれど。


 そして、その向こうに、大きなキノコ──ではなく、見覚えのない人影があった。


「誰?」

「ああ、まなちゃん、ルジさんと会ったことなかったっけ?」

「宿舎メティスの管理人の方です」


 そう紹介されて、私は改めて、入り口横の椅子に座る人物を見る。


「あの人が、三日間徹夜でゲームした上に、鍵と契約の諸々をマナに任せた人ね──」


 頭が普通の人間の倍ほどあり、体は子どものように小さい。髪はほとんどが白髪で、顔はシワだらけの老人だ。私はその前まで歩いていって声をかける。


「マナ・クレイアです。こっちで寝てるのは、姉のまゆみ。三ヶ月ほど前からお世話になってるわ」


 そうして、相手からの返答を待っていると──、


「ぽっころー」


 私の頭には疑問符が浮かぶ。そして、


「わそはルジっづで。ル爺っちば呼でっこ」

「は?」

「は? ってっ。言いたいことは分かるけど、頑張って聞き取ってあげて?」

「無理ね」

「即答!」


 じゃああかりは分かるのかと問いたいところだが、分かりきった返答のために問う気にはならない。なんとなく、分かるような気もするが──いや、やはり、分からない。


「ル爺さんはたいそう長生きなんだそうです。それで、昔の言葉が抜けないとか」

「古典レベルなの?」

「なまっちばひぃっとるけん、そげじゃわかれんち」

「……は?」

「訛りも入っているから、それだけじゃ分からない、ということみたいですね」

「そう。これからはマナに翻訳してもらうことにするわ」

「お望みとあらば、承ります」

「ぽっころー」


 またしても、謎言語を話し始めたので、マナの方を見る。


「ぽっころです」

「何、ぽっころって」

「言いたい気分になったら言う言葉です」

「なるほどね」

「そこは納得できるんだ……」


 あかりが何か言いたそうな顔をしていたが、それには追及せず、私はまゆを起こして扉へと向かう。今日はずいぶん、時間を取られた。そろそろ行かないと、勉強する時間がなくなってしまう。


「ばっつう──」

「あの、続きは帰ってきてからでいいですか?」

「──いえそー」


 ほのぼのとしたル爺の様子を気にしながら、立ったまま眠そうにしているまゆを起こし、学校へ向かおうとすると、誰かにぶつかった。いくつかのことを同時にやろうとしたため、注意力が散漫になっていたらしい。私は一歩下がって、その顔を見上げる。


「ごめんなさい、よそ見してたわ」

「……いや、こっちこそ、悪いな」


 その声には、聞き覚えがあった。私は顔を見上げる。


「──あんた、この間も会ったわよね?」

「え? ……ああ、あのときの」


 確か、宿舎の玄関の扉を同時に開けたのだ。基本的に出会った人の顔など覚えていないが、なぜか、そのサファイアのように艶やかな青髪と、マホガニーのような茶色の瞳には、覚えがあった。


「ハイガル、だったかしら?」

「ああ、そうだが……」

「あたしはマナ・クレイア。こっちはまゆみ。四月から上の階に住んでるわ。詳しい自己紹介はまた今度するわね、今日は急いでるから。それじゃあ」

「お、おう……」


 私が一気にまくし立てたからか、ハイガルは要領を得ない様子で、ぺこっと頭を下げると、踵を返し、部屋がある通路の方に歩いていった。


 それにしても、同い年くらいに見えたが──、


「行きましょう、まなさん」

「──ええ」


 今日は予定より大幅に遅れているからと、私は先を急ぐことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る