第2-12話 安全に飛びたい
「はあ、はあ──」
壁に階段がついているのかと思いきや、そんな親切なものは設置されていなかった。つまり、壁を上るのに空を飛ぶしかなかった。私は再び、鞄に掴まり、まゆを片手で引っ張って、空の旅をした。二回目も全く楽しくなかった。というのも、途中、自然の風に吹かれて落ちかけたのだ。
「しし、死ぬかぁぁとお、思ったわぁぁ」
全身の震えが止まらなかったが、そんな様子を見て、あかりとまゆはケタケタ笑っていた。ここにマナがいてくれたら、少しは心配してくれたかもしれない。マナが恋しくなってきた。
「レックスー。僕だよ僕、開けてえ」
「だから、名乗りなさいって」
「レックスさーん! わたしだよわたしー」
「お姉ちゃんは知り合いじゃないでしょ……?」
その声に応えて、スライド式の木製扉が内側からぎいっと開かれ、中から中年の男が姿を見せる。燃えるような赤髪に、紅葉する前の山のような緑瞳。
「おお、あかり。久しぶりぃっ──!?」
男が手を上げて、挨拶しようとした瞬間、急に内側に吹き飛んだ。いや、
「マナはどこ? ねえ?」
あかりに容赦なく、顔面を殴られたのだ。しかも、自分が痛くないように、あかりは手に土のグローブをはめている。私は言葉を失った。
「し、知らん」
「嘘だね。レックスは後ろめたいことがあると、反応速度が遅くなるから」
「殴って確認するなよ! あいててて……どっこいしょっと」
膝に手をつき、まるっきり、おっさんの動きで立ち上がった。赤黒く腫れていた頬は、知らない間にすっかり治っていた。彼も魔法が得意らしい。
「後ろめたいこと、あるよね? ねえ?」
あかりは怒ると語尾が、ねえ? になるらしい。鬱陶しい。
「あー……まさか、こんなに早く来るとはな」
「ん? 何? 僕のすっからかんの脳ミソじゃ、レックスのことなんてもう忘れてると思ったの? ねえ?」
事実、忘れていたと思うのだが。あかりは、さも、覚えていた風にレックスを責める。
「すっからかんとは思っとらんよ。だがまあ、確かに、あと三日は辿り着かんだろうと、高を括ってはいたが……」
「そんなことどうでもいいから、マナはどこ? ねえ?」
「あーもう! ねえねえねえねえうるさいわ!」
「ぐえっ!」
今まで蓄積された分に耐えかねて、私はあかりの長い髪を引っ張った。今の話し方だけでなく、空に無理やり連れていかれたこととか、話を聞く気がないところとか、その他もろもろのストレス分だ。まゆは、他人の家だというのに、我が物顔でその辺のソファに寝ているし。まったく。
「あなたも、早く答えてもらえます? あたしたち、今日が休日だから来てるんですよ。明後日から学校なんですよ。あかりに宿題やらせなきゃいけないんですよ、危うく単位落としかけてるんですよ! 分かります!?」
「単位に関してはオレは悪くない!」
今のは完全な八つ当たりだ。「やばっ、忘れてた」とあかりの顔には書いてあった。十回連続で忘れて、一時間も指導されておいて、よくもまあ、忘れられるものだ。ティカ先生に報告してやろうか。
「マナはここにいるんですか?」
「だから、知らんって」
「知ってるでしょ? ねえ?」
そうして、あかりに問い詰められたレックスは、長いため息をついて、両手を上げた。
「そこまで確信してるんならお手上げだ。降参降参。どうせ、トイスに聞いたんだろ?」
「そうだけど? ねえ?」
「ねえねえうるせえなあ……ねえ? とにかく、順を追って説明するから、その辺に座れ。茶淹れてくる」
「そんなのいらないから早く──」
突如、パタンとあかりが横になった。まるで、突然、人形になってしまったかのように、なんの前触れもなく。
「ちょっと、あかり──」
と、体を揺すろうとして、先の一件を思いだし、私は手を引っ込める。
「あら? 嬢ちゃん、寝ないのな」
おそらく、魔法の眠り薬だろう。魔力に働きかけることで、眠りを促すものだ。目の前の男は、風でマスクでもしているのだろう。知っていれば防ぎようもある薬だ。そもそも、私には効かないけれど。
「鍛え方が違うのよ」
はっきりと分かった。彼は敵だ。それならば、敬う必要もない。
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