第2-6話 正体を知りたい

 宿舎の扉を開けようと手をかけ、力を込めると、扉が逃げるような感覚がして、勢いよく開いた。それに驚きつつも、目の前に人がいることに気がつく。どうやら、扉を開けたのが同じタイミングだったらしい。


「あ、えっと……悪かったわね」

「……いや、こちらこそ、すまない」


 青いサファイアのような髪に、マホガニーの木のような茶色の瞳の男。髪は肩の辺りまで伸びており、前髪は鬱陶しそうに流してある。その奥に覗く肌は病的に白い。


 私が道を譲ると、その男も同時に道を譲った。


「先に通りなさい」


 そう言うと、男はぺこっと頭を下げて、うつむきがちに歩いていった。その間、一度も目が合わなかった。


「今のは?」

「多分、ハイガルくんだね。ハイガル・ウーベルデンくん。一階の真ん中の部屋に住んでるよ」

「へえ……」


 ふらふらと歩くその背中を、私はなんとなく、じっと見ていた。彼の隣で猫が茂みを揺らすと、過剰に驚き、後ろに下がった。むしろ、猫の方がそれに驚いたようで、フーッと威嚇していた。ハイガルはそれにペコッと頭を下げる。


「どうかした?」

「……いいえ。なんでもないわ」


 少しだけ、頭が疼くような感覚があったが、気のせいだと振り払い、あかりと私の部屋に入った。まゆは先に帰っていたらしく、寝ていた。しかも、私のベッドで。


「そういえば、言ったっけ?」

「何を?」

「僕が人に触られるのが無理だって話」

「……今聞いたわ」


 つまり、先ほどの発作は、私が腕を触ったせいだということか。明らかに普通ではない様子だったため、何か相当なトラウマがあると思われる。まあ、わざわざ聞かないけれど。


「ま、人とか、触る場所にも寄るんだけどね。まなちゃんは完全に無理」

「完全に無理」


 とはいえ、出会って二ヶ月ほどの付き合いなのでそんなものだろう。私にはトラウマというものはよく分からないけれど。傷つく必要はない。うん。大丈夫だ。


「これからは気をつけるわ。──とりあえず、マナを魔力探知で探してみて」

「はいはい」


 魔力探知では、どのような視界になるかというと、全部、白黒で見えるらしい。そう本に書いてあった。魔力のより強いところがより黒く、ないところはより白く見える。つまり、マナを見つけるといっても、シルエットとか、魔力の濃さとか、そういうもので判断しなくてはならないらしい。マナが強いのは何となく分かるが、魔力は使い果たしたと思われるため、見つけられない可能性は高い。


「やっぱり、分からないなあ」

「そう。まあ、元から期待してなかったわ」

「酷っ……!」

「その人、何か特徴はなかったの?」


 あかりはマナが連れ去られるところを見たらしい。つまり、相手を見ているということだが、


「なーんか、見たことあるんだけど、誰か思い出せないんだよねえ」

「その頼りない記憶に頼るしかなさそうね……」


 見覚えがあるというのなら、さっさと思い出してくれればいいものを。なぜ思い出さないのだろうか。まったく。本当にマナを取り返す気があるのか。


「そもそも、あんたってそこそこ強いんでしょ?」

「ん? そうだけど?」

「それでも逃げられたってことは、あんたより強いってことなんじゃないの?」

「……はっ! 確かに! 僕より強い人なんて、この世にいないのに、絶対おかしいって!」

「その自信はどっから来るのか知らないけど……。見当はついた?」


 あかりは口を手のひらで覆い、必死に頭を働かせているようだった。そして、五秒後、


「沸騰する……!」

「はあ……。たった五秒でしょ。脳が焼き切れても思い出しなさいよ」

「だって、僕より強い人なんていないし」

「でも、いくら魔法が得意でも、さすがに負けたことくらいあるでしょ?」


 あかりは私の顔を真っ直ぐ見て、切れ長の瞳をパチパチさせる。まさか、ないなんて言わないだろう──、


「あるよ」

「……そう、よね。さすがにあるわよね」

「軽く千回以上は」

「そう──って、千!?」

「うん。これは嘘じゃなくてほんと」

「それ、全然強くなくない?」

「いやいや、僕、その二人にしか負けてないし、最後にどっちにも一回ずつ勝てたし、僕が最強っていう事実は変わらないよ」

「しかも二人」


 そこまでいくと、勝てたのはまぐれではないだろうか。そして、二人で千回とは。よく心が折れなかったものだ。さすが、負けず嫌い。


「それで、その二人って?」


 あかりは言いづらそうに、躊躇っていた。そのどちらかが犯人かもしれないからだろう。そして、それを、あかりは疑いたくないのだろう。


「一人はアイちゃんだよ」

「なんとなく、そんな気はしてたわ。だって、強そうだし。……それで、もう一人は?」

「もう一人は──レックス」


 それは、知らない男の名前だった。

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