「私さ、両親と暮らしてるって言ったじゃん」私は呟いた。明確に、しっかりと呟いた。




 「うん。そう言ってたな」




 できる限り遠くにいこうと、来たのは市街地の見渡せる山の上だった。路面電車とロープウェイを乗り継いでやって来たのだ。時刻は21時を少し越えた頃だったが、まだまだ人が沢山いた。だから、市街地より少し外れた方向を向いた人気の無い場所に二人で腰をおろしたのだ。横目に広がる街並みは、さっきの観覧車より遥か遠くを見渡せた。そして真正面を見ると、そこにはもう光など無かった。




 「私さ、実は昨日家から逃げてきたんだ」




 「逃げた?」彼は少し驚いた様子だったが「そうなんだ」とだけ呟いた。




 「あんまり驚かないね」




 「さっきも言ったけど、かなちゃん今朝からなんか変わってたっていったしょ。だから、なんか事情があるんだなって分かったよ」




 「そうなんだ。私さ。もうぶっちゃけちゃうけど、実は両親の料理を作ったり買ったりしてるんだ。一人立ちしようとするといつも『今までの恩を捨てるつもりか』といってどやされていたんだ」




 「え、マジで」




 「マジで」私はそう言うと、ふうっと溜め息を着いた。




 隼人も静かにため息をつくと、ちょっと待ってろといって立ち上がった。




 それからちょっとして、隼人は缶コーヒーを2つ持って帰ってきた。




 「気付いたら寒い。もう10月の終わりだからな」そう言ってひとつを渡してきた。




 「それに夜で山の上だしね。ああ、ありがとう」




 「かなちゃん、まあ、ゆっくりと話そう」そう言うと、隼人はかしゅっと缶コーヒーを開ける。私もそれに習う。野外蛍光灯の下、モヤモヤと白い煙があがっていった。




 「うん……。それでさ、最近両親のことをさメチャクチャだって思うようになったの。自分のお金を自分の為に使えないんだから。けれども、やっぱり今まで育ててくれた人だから、裏切りたくないって思ってしまって」




 「……」




そう言っていると、スマホがなった。見るまでもないが私はスマホを見る。案の定のメールが来ていたので、私はその画面を隼人に見せた。




 「『悠希、餓死してしまうわ。早く帰ってこい』か」そう言うと隼人はひでえな、と言った。




 「ずっとこんなが続いていた。けれども、最近さ、隼人とかとご飯を食べたりしているうちに、なんかふと思うようになったんだ。これは違うって」




 「俺とか?」




 「うん。みんなさ、強制じゃなくて順々に、遠慮しながらご飯代を払ってるじゃない。それに、誰もが尊厳しながら生きている。部長なんていつも弁当を食べてるけど、『母さんが意地でも作るから、俺はそれをありがたく食べる。それだけで良いんだ』なんて言ってカッコつけてるじゃん。それが素直に羨ましいな、って思うようになった」




 「まあ、部長の世代は『俺が稼いでるくせに』とかいって母さんいじる輩が多いからな。そう考えると素直に尊敬できるけどな」




 「そう。だからさ。一回困ってもらおうって思うんだ。両親に」そう言うと私はふっと息をつく。




 「縁を切りたいんじゃなくて、あくまでも一旦凝らしめてやろうって魂胆なのか」




 「出方によるよ。もし反省もしてくれないなら、もう縁なんて切ってやる」そう言うと手をぱきぱきと鳴らした。




 「……お前って優しいよな」そう言うと隼人はにっこりと笑った。




 「え?」




 「いや。本当にそう思うよ」そう言うと隼人は小さく下を向いた。「だからいつも心配なんだけどさ」




 「そんな」私はちょっと反応に困ってしまった。




 「それでさ。観覧車での質問だけどさ。まあ、答えたくなかったら答えなくていいけど。その足首の傷はなんなんだ?」




 私はびくりとした。だけど、ここまで真剣に話してる隼人に嘘を言うのは申し訳ない。私は意を喫して話した。




 「昨日、父から理不尽に怒られた。理性の糸がさ、昨日はプチっときれてしまって。父が飲んでた酒瓶をおもいっきり床に叩きつけちゃったの。そしたら破片がさ、私の足首を掠めてって。こうなったの」




 そう言うと私はズボンを捲った。そしてそこに巻いていたタオルをはぐと、かさぶたがかった切り傷があった。




 「うわ。思ったより深いじゃないか。痛くないの?」




 「痛くはないよ。けれども、なんか馬鹿みたいだなって思うよね」




 「馬鹿みたいだ。そんななら親父の頭に一発かましてやりゃよかったのに」




 「言えてる。ホントにそう思う」そう言うと私はけらけらと笑った。




 「だけどさ。ホントに。そんな辛い状況にあったかなちゃんに気がつけなかった俺も、馬鹿みたいだな」そう言うと隼人はくくっと笑った。




 流石に、私はそれは違うと思って反抗した。




 「違うよ隼人。隼人は気付かなかったか知らないけど、隼人が私に気付かせてくれた。だから、全く関係ないよ」




 そう言うと私は自然に隼人の手を握ってしまった。




 「うわ!変態!」思わず叫んでしまった。




 「なんだそれ!当たり屋じゃないか!ドキドキぞんじゃないか!」




 「え?」




 「え?」




 私と隼人はきょとんとして互いに見つめあった。




 「ドキドキ、したの?」




 「え、うん。まあ」隼人はそう言うと、ちぐはぐに空を見上げた。そして呟いた。




 「かなちゃんのことは、いつも心配しちゃうくらい、好きな人だからさ」




そう言うと、隼人はフフっと笑った。だから私もフフっと笑った。




 「そうなんだ。……ありがとう」




 そう言うと、私はもう一度、ゆっくりと隼人の手に自分の手を重ねた。




 今度は故意的に、しっかりと。




 ふとスマホを見る。時刻は22時近くになっていた。私は思いきってスマホの電源を切る。一旦、今までの自分をシャットダウンしてみよう。そう思った。




 「ところでさ。さっき言ってた隼人が付き合ってほしいことってなに?」




 「ああ。それね。それはとりあえず朝になったらにしようぜ。麓に小さなホテルがあったはずだ。今日はそこに泊まろう。どうせ明日は日曜だし」




 そう言うと彼はスマホを取り出した。そしてアプリからパパっとホテルを二部屋予約した。




 「別に部屋ひとつでよかったのに」私がそう言うと彼は笑った。




 「寝れなきゃ意味ないの」




 その言葉の指す意味は、深く察しないことにした。




 そうこうしていると、ロープウェイは間もなく営業終了とのことだった。ラストとなったロープウェイに二人だけで乗り込むと、なぜだかその空間は今までと違うような感じがした。




 けれども、私は随一にこう思ってた。




 隼人と出会えて良かったな、と。

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