10 誰かさん

「ずっと聞きたかったことがあるんですが」

 わたしが聞きたいこと。それはこの家で起こり続けているとある事件についてだ。 作り置きしておいたクッキーが消える。瓶の中のジャムが消える。テーブルに据え置いたキャンディーが消える。冷蔵庫の中のとっておきのチョコレートが消える。

「不思議なことに、甘いものが毎日どんどん消えていくんです」

「食べ物は消えゆく運命さだめにある。なにが不思議なものか」

「そういう自然の摂理みたいな話はしていません。先生、食べたらきちんと教えて下さい。使おうと思ったらなというのは案外困るんです。この家こんな場所にあるから街まで降りるのも大変で」

「大変か? 箒であっという間だぞ?」

「先生はそうかもしれませんけど!」

 速度も違うがコースも違う。先生は魔女と鳥くらいしか飛ばない高さをまっすぐ飛んでいけるけれど、その高さはまだわたしには難しい。風の強さや冷たさを和らげる余裕もなく、高さへの恐怖も克服できていない。

「お前が上達すればいいだけの話じゃないか」

「先生が食べたことを申告してくださればいいだけの話です」

「私が食べたわけでもないのにどうして申告できるんだ?」

 意外な返答にわたしは一度口を噤む。頭の中を整理した。

「それ先に言って下さいよ。でも、本当に先生ではないんですか?」

「私が嘘をつくように見えるか?」

 先生の冗談や屁理屈に振り回されるのも面倒で、わたしは真面目に返事をするのをやめた。

「先生を疑ったことは謝ります。ごめんなさい。それじゃ一体誰なんだろう」

 他の誰かさんがいるというのかそれとも別の理由なのか。先生が犯人であるという以外の答えは想像もしていなかったので悩ましい。

「お前、本当に素直だな」

「へ?」

 またしても意外な先生の言葉。確かに先生と比べれば誰だって素直だと思いながらも返事は控えた。そもそも急にそんなところを指摘されると思っていなかったものだから、頭の中が切り替わらない。

「アンヌの娘とは思えない」

 先生の言葉には馬鹿にしたような、からかうような響きはない。話題を変えたいわけでもきっとないのだろう。心底驚いているようだ。

 先生が時折こうして母とわたしを比べたがるが、これまではそれほど気にしてこなかった。それがこの頃、実は少々気に掛かる。胸の奥がちくりとするのだ。どうやらわたしは、母の娘という肩書きよりも、先生の弟子という肩書きを望むようになっている。

「先生。母は母、わたしはわたしです」

 ついつい溜息混じりで答えてしまい、自分の心の狭さに少しばかり落胆する。わたしの中で先生の存在が大きくなっている証拠でしかないというのに。

「そんなことはわかっているが。なんだ機嫌でも悪いのか? お前がそこまでこの食材問題を憂いていたとは思わなかった。お前の探している犯人は精霊だ」

「精霊?」

「魔女の家ではよくあることだ。 魔法をいつでも使えるよう、めぼしい精霊をいくらか家に繋いでおく。その妖精たちのいたずらだ。あいつら、甘いものが好きなんだ」

「それでなくなっていたんですね」

「どうしても盗られたくないものには魔法をかけておくといい。だが知らなかったとは気づかなかった。アンヌの家でもあったろう?」

 あまりにもあっけない結末。それにしてもと母と暮らしたあの家でのことを思い出していた。食材が消えるなどということはまるでなかったがどういうことか。

 ふと、ずっと不思議だったあの光景を思い出す。それは時々母が庭で催していた茶会のことだ。お茶よりも酒の母だったけれど、アフタヌーンティーの準備をしっかり整え季節ごとにお茶会をしていた。わたしはその時間、部屋にいるよう言いつけられ参加することはできなかったけれど、ちらりと覗いたそのお茶会で母は見えない何かと賑やかに過ごしていた。もしかしたらあれは食材を勝手に盗られないようあらかじめ精霊たちをもてなしていたのではないか。試す価値はある。


 翌日、わたしは先生に事情を話し母がしていたように精霊たちのためのお茶会を催すことにした。アンヌの真似かと最初は渋っていた先生も、ハチミツ抜きのハニートーストが食べたいですかと問い詰めると理解してくれたようで、精霊たちに声を掛けてくれた。わたしはそっと庭を見守る。あれだけ渋ったのが嘘のように先生は色とりどりのお菓子に次々手を伸ばしていた。

 もしもわたしの思い違いであれば、このお茶会は先生を喜ばせるだけで終わってしまうだろう。けれどそれでもいいかもしれないと心のどこかで思った。

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