05 チェス

「全く気が乗らないが一応教えよう」

 そう言って先生がわたしに差し出した冊子には『戦闘魔法入門』と書かれていた。レイ先生はこう見えて暴力が嫌いだ。辛辣なことを言うのは平気のようだけれど、手が出ることはない。そのあたり母とは正反対だ。母は言葉が出ない代わりに手が出るタイプだった。

「戦闘魔法は時代遅れだ。兵器の方がずっと強いのに魔法で戦う意味はない」

 レイ先生は魔法を愛しながらもその力には限界があると感じているようで、魔法だけではいけないといつも口にしていた。

「使わない魔法として、知識として覚えておくといい。まずはチェスの駒を使う方法だな」

 冊子には戦闘に使われる魔道具がいくつも図解説明付きで並んでいた。チェスの駒を使う方法はありふれた部類のようで、過去の事例がいくつも表示されている。

「そういえばうちにもチェスありました。母の仕事部屋に。頭脳ゲームはあまり好きではないようなのにどうしてだろうって思ってはいたんですが、そういうことなんですね」

 謎が一つ解けたと喜んでいると、チッと舌打ちが聞こえた。レイ先生は暴力を嫌ってはいるが、平和を愛しているわけでも戦いのない世界を求めているわけでもない。どちらかというと好戦的なタイプだ。

「あいつ、戦闘魔法の魔具は持つなとあれほど師匠に言われていたのに」

 どうやらわたしはまた余計なことを言ってしまったらしい。思い出話を語るたび、母への印象を悪い方へと導いてしまっている気がしてならない。けれど事実しか述べていないことを考慮にいれるとなんとも複雑な気持ちになった。

「先生の師匠って母の師匠でもあるんですよね。どんな方だったんですか? 戦闘魔法がお嫌いだったんですか?」

 母とはあまり魔法の話をしたことがなかったから当然、師匠の話など聞いたことがない。わたしの問いに先生は少し黙り込んだ。あまり触れられたくなかった話題だったのかと思ってしまう程には沈黙が続いたので、てっきりこのまま会話は終わると思っていた。

「たまにはお前のお喋りに付き合うのもいいだろう。昔話をしてあげよう」

 珍しいこともあるものだ。こんな機会、今度いつあるかわかったものじゃない。先生の話をじっくりと聞きたい。それには準備が必要だ。わたしは先生に少しだけ時間をもらうと小走りに部屋を出た。台所へ向かい、昨日焼いて缶に閉じ込めておいたクッキーをまるごとトレイにのせた。それとたっぷりの温かいお茶。ぱたぱた準備をして部屋に戻る。

「いい匂いだ」

「お茶をどうぞ。先生、お師匠さんのお話聞かせてください」

 先生がわたしに自分の話をしてくれることはほとんどない。わたしの母以外の誰かのことを聞かせてもらえるのは初めてかもしれない。猫舌の先生はお茶に息を吹きかける。一口飲んでそれからゆっくりと話し始めた。

「魔女になりたいと思ったら、師事する師匠を探す、そして魔女見習いになるというのが通例だ。今のお前のようにだ」

 わたしはこくりと頷いた。素敵なお伽噺の続きを待ちわびるような気持ちで先生の話を聞いていた。

「魔女は大抵一人で一人の弟子をとる。しかし私とアンヌは二人だ。おかしいと思わないか?」

「そう言われてみればそうですね。先生のお師匠さん、二人も面倒見られるほどすごい方だったんですか?」

「すごいには違いない。だがそういう理由ではない」

 わたしは首を傾げた。 

「私たちの師匠は双子の姉妹だった。だから私たちが二人いてもおかしなことはないんだ」

 二人の師匠に、二人の弟子。なるほどそれなら数が合う。それにしても想像すらしていなかった。当たり前のように先生と母の師匠は一人だと思っていた。もしかしたらすれ違いというものは無自覚の内緒で作られていくものなのかもしれない。

 


 

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