04 琴

 レイ先生の朝は遅い。わたしが朝食を終え家事をすっかり終えてしまった頃にようやく起きてくる。昼と言っても差し支えない。今日は自鳴琴オルゴールを鳴らしながら昼食のためのシチューの準備を始めた頃に起きてきた。魔女という自由業。夜の仕事が多いとはいえ昨日はわたしよりも早く寝室に戻ったはずなのだが。

「おはようございます先生。いい音だと思いません?」

 欠伸をし目をこすりながら台所にやってきた先生にコップ一杯の水を差し出す。普段の神経質で厳しい、魔女然とした佇まいからは想像もつかない隙だらけの姿。水を一気に飲み干すと多少目が覚めたようで、音のするほうをじっと見つめた。

「お前の大切なものにはこんなものも含まれていたのか」

「宝物なので」

「いい音だな」

「母が大切にしていたものなんです」

「よくない音だな」

「先生。子供ですか」

 この自鳴琴オルゴールはわたしが幼い頃、歌に自信のない母が子守歌代わりに流してくれていたものだ。ずいぶん古い物で、「あんたよりも年上よ」と教えてもらったことがある。

「なるほどこれを子守歌にね。確かにあいつの歌は聞けたもんじゃなかった」

 先生はそう言いながら自鳴琴オルゴールの蓋の複雑な模様を撫でる。

「触ってもいいですけど壊さないでくださいね」

「壊すまでもなく壊れているじゃないか」

 まるで気づかなかった。驚いてじっくり観察する。けれど古びた部分はあれど、壊れた部分は見つからない。

「違う、音の方だ」

 今度は耳を澄まして音に集中する。この自鳴琴オルゴールでしか聴いたことのない曲ということもあってどこが違うのかまるでわからない。

「直してもいいなら直すが」

「ならお願いします」

 わたしにはわからなくとも、先生が言うならそうなのだろう。すんなりとそう思う。出会ってそれほど経たないというのに、わたしは先生を限りなく信頼していた。

 先生はどこからともなく工具を取り出しテーブルの上に並べる。それから椅子に座り、ぼさぼさの髪の毛をぐちゃぐちゃのままくくった。折角の美しい黒髪が台無しだ。それから銀色の眼鏡を掛ける。

「魔法で直すんじゃないんですね」

「魔法でなくとも直せるからな」

 先生は自鳴琴オルゴールを裏返し蓋を開けた。

「これからは魔法だけでは駄目なんだ」

「なのにわたしを魔女に勧誘したんですか?」

「私は魔法だけでは駄目だと言っているんだ。魔女も魔法も素晴らしい道だ。だがそれだけでは駄目だ。世界は変化しているのだから、魔女も変わっていくべきだ」

 魔女はどんどん減っている。それは魔女というものが時代にそぐわないから、というのが先生の弁だ。時代に合った魔女が増えたら魔法はまだまだ生き残れると先生はいつもわたしに言う。

「魔法は借り物の力だ。自分一人の力じゃない。精霊たちがそっぽを向いたらおしまいだ。その点、技術や科学は強い。精霊たちへのお伺いやご機嫌取りは一切必要ない」

 自鳴琴オルゴールが再び音楽を奏で始めた。よく聴くと先ほどまでとは違う音がある。壊れた物に長年親しんできたものだからとんでもない違和感。直ったというこの状態が間違いのようにすら感じていた。

「先生はこの曲、ご存じだったんですね」

「ああ知っているよ。よく知っている。これを贈ったのは私だからな」

 思いがけない言葉にわたしは驚いた。先生はどうしてこういつもいつも唐突なのだろう。

「これは昔、ずいぶん昔に私がアンヌに贈った物だ。贈り物を壊すなんてあいつは本当に乱暴だな」

 先生が母に送ったこの自鳴琴オルゴールが子守歌を奏で、安らぎを与え続けてくれていたと知り、驚き、そして嬉しくなった。

「先生、昔から優しかったんですね」

「何を酔狂なことを言ってるんだ。そろそろ食事にしてくれ」

 野菜はすでに煮込まれている。バターを溶かしてルーを作ろう。今日のシチューはいつもよりきっと温かくて、いつもよりきっと、ずっと美味しい。


 

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