第25話 幽霊船
あれ以来、ルシアンには二度会った。スメタナの『我が祖国』、それからドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』。花にはなんの関係もないが、馴染みのある曲だ。彼は曲にかかわらずくるみ割り人形の格好で現れ、他愛ない話をした。
彼が失踪した頃はティーンなりの距離を置いていたが、久しぶりに会うとひどく懐かしく、わだかまりも遠慮もなく、穏やかに過ごせた。これまでずっと寂しかったのだと、再会が嬉しいのだと腑に落ちたのはつい最近のことだ。
残し残される関係といえば、自分たちもそうだ。ルシアンに花の話をしてみようか。残されたひとが残す言葉。残されたひとに残す言葉。
「花のこと、兄に相談してもいいですか? ルシアンがどう考えるのか知りたいんです」
「もちろんですとも。……くれぐれも、無理はしないでください。きみはずいぶん、お兄さんに対して我慢と遠慮をしているように見えますが」
「我慢、というか……みんなが兄の幽霊や幻影を追いかけるから、ちょっとひねくれてたんです。無理はしてません。大丈夫です」
「幽霊、ねえ。ちょっと待っててください」
そう言って納屋を出て行ったノエルは、一枚のCDを手に戻ってきた。データ保存用CDのようで、盤面にもパッケージにも何も書かれていない。
「ちょっとした
「ピアノが……三台ですか? それは迫力がありそうですね」
「いえ、ピアノ三重奏曲というのは、ピアノとヴァイオリンとチェロで奏でる室内楽曲で……うーん、第二楽章がいちばん暗くて『幽霊』らしさはありますが、私はこの曲で幽霊を想起したことはないですね。そもそもどうしてこの名で呼ばれているのかも不明のようですし、まあ気を楽にして」
CDをセットして立ち去ろうとするノエルの背に、ジリアンは声をかけた。
「あのう、失敗したって、さっき仰いましたけど……。それでも、僕はここに来て良かったと思いますし、たくさん救われました。ノエルは僕の恩人です。なんの慰めにもならないだろうけど、その、昔がなければ、いまのノエルはいないと思うから」
「……ありがとう、ジリアン。さあ、お兄さんに会っていらっしゃい」
薔薇のブローチを撫でて、ルシアンの名を唱える。『幽霊』第一楽章はおどろおどろしさのかけらもない、朗らかな曲調だ。
躍動感、船出、新天地への旅立ち。そんなことをジリアンは思う。隣に並んだくるみ割り人形が、笑顔を浮かべた。
「やあ、ジリアン。幽霊船へようこそ」
「ちっともそれっぽくないけど」
空は青く、眩しいほどの白い雲が浮かぶ。甲板の艶やかな木目、風にはためく大きな帆。紺碧の海にしぶきをたてて、帆船は
木造船に乗ったことなどないから、絵本や映画のイメージが投影されているのだろう。恐らく、『カリブの海賊』あたりではあるまいか。
「僕が乗ってるんだ、幽霊船でなきゃなんだい。……まあいいや、時化が来る前にお喋りしよう。第二楽章でこの船はぼろぼろになる」
「不吉だなあ。ええと、僕の雇い主のノエルってひとのことなんだけど」
甲板に腰を下ろし、ジリアンはこれまでの経緯をかいつまんで語った。
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