漂う瘴気

 湖の畔の小屋から、徒歩の旅で3日程した所にある、この近辺で1番大きな街、アーベントロート。


 森を抜けて街道沿いに、ひたすら真っ直ぐ歩いて、ようやく、街の姿が見えてきたのだが。


「え……。何だ、あの瘴気の濃さは」


 まだ街までは、幾許か歩かないと辿り着かない距離だ。

 それなのに、街一帯を覆う、ドス黒い瘴気が見えて、俺は眉を顰めた。


 風に乗って運ばれてきた、僅かな瘴気を手に取ってみる。


 と、それだけで一気にに体調が悪くなってきた。うそだろ……。


 頭痛と吐き気、目眩が襲ってきて、俺は堪らず、その場に頭を抱えながら膝をついた。


「気持ち、悪……なんだ、このタチの悪い瘴気は……」


 漂ってた瘴気に触れただけで、ここまで体調を崩させるとか、ヤバすぎる。


 道のど真ん中で、うずくまったままなのはまずいので、俺は這いずりながらも、道から抜けた。

 少し外れの所にある1本木が立っており、何とかその木の根元側まで、辿り着いた。

 木に背を預ただけでも、かなり楽になり、息を吐く。

 頭は木槌で打たれてるかのようだし、世界は重力が乱れたかのように、グニャグニャと歪んでいて、立つ事が出来ない。


「おい、そこの兄ちゃん、大丈夫か?」


 俺に向けて、声が聞こえる。

 そちらへ視線だけやれば、大柄な気の良さそうな男が1人、俺を覗き込んでいた。

 身なりや装備から、旅の行商人と言った所か。


「俺は商売物を売りに、これから街に入る所なんだが……、具合が悪いなら、良ければ馬車に乗っていくか? 教会位までなら、連れてってやるぜ」

「あぁ、いえ……お構いなく。……その……貧血を起こしただけですので……。木陰で少し休んでれば、すぐに楽になりますから」


 まさか、瘴気に触れて具合が悪くなったとか、言えるはずも無いしな。

 俺は適当な理由をつけて、丁寧に断りの言葉を返した。


 だが、俺の状態が悪いのが気になるのか、男は心配そうに、ウロウロとして立ち去ろうとしない。

 ……このご時世に、そんな人の良さで、果たして商売人としてやって行けるのか、逆に心配になる。


「お気遣い、ありがとうございます。恐らく日に当たりすぎただけだと、思いますので……静かに横になってれば、直に回復すると思います」

「そうか、馬車に揺られる方が辛いなら、ここで休んでる方がいいよな。それじゃあ、ここに水だけ置いておくから、落ち着いたら、少しは口に含んでおくといいぞ」

「……ありがとうございます」

「なに、困った時は、お互い様だからな。それじゃ、お大事にな」


 そう言って、大柄な男は、俺の傍に水の入った皮袋を置いていくと、ガタゴトと馬車に揺られながら、その姿が遠ざかって行った。


「困った時は、お互い様、か……。随分と気のいい人間だったな」


 俺は軽くフッと笑い、置いていった水を手に取ると、有難く一気に半分程飲み干した。

 相変わらず体調が悪いし、男なら吐く息の熱さから、既に発熱しかかっている。あの瘴気、凶悪にも程がないか。


「……これ……回復魔法で、治せる……よな……」


 魔族であれば、この程度の瘴気も体内に入った所で、別段何ともないのに。

 人間の体とは、本当に脆弱に出来ているんだな。


 今までも怪我や病気などとは、殆ど無縁の生活で、回復魔法系を使う機会なんて、とんと無かった。

 ここに落とされた時に、怪我を治した時に使ったのが、初めてまともに使った位だしな。


 ……怪我と病気だと、かける魔法も違うだろうか。


 俺は、自分の額に手を当てて、呪文を唱えるが、やはり怪我の時の回復魔法では、効果が出ないようで、体調に変化がない。

 もう一段階強いレベルの回復呪文を唱えてみると、こちらは効果があったのか、ようやく体が楽になり、熱も引いて行った。


「……ふー」


 体調を崩して、思ったよりも体力が無くなったのか、倦怠感を覚える。

 俺は、1度深呼吸のように息をすると、残りの水を全て飲み干した。

 脱水症状とまでは行かないが、思ってたよりも、体は水分を欲してたようだ。さっきの男には、感謝をしなくてはならないな。


 俺は木陰で休みながら、街へ向かって吹いていく風の涼しさに、目を細める。

 あぁ、涼しさが心地良い。


 漸く人心地付いた俺は、改めて街の上に漂う瘴気を見る。


 どんよりとした、その黒さは、醜悪さを体現してるかのようだ。

 触れただけで、あれだけ体調を崩させるのだから、厄介なんてレベルじゃないな。


「あの街……流行病として、街中に蔓延でもしてたりするんじゃないのか……?」


 そう呟いた所で、先程の男のことを思い出し、ハッとなる。

 あそこに、行商として向かって行った、気のいい大柄の男。

 困った時は、お互い様さと、朗らかに笑いながら、水をくれた人間。


「クソッ……!」


 少し考えれば、危険な場所に向かって行ってたのが、分かるのに。

 朦朧としてたとは言え、自分の失態に舌を打つ。

 ただの杞憂であってほしいと、そう思いながらも、俺は街へと足を走らせた。

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