【7章 ラスト・ジャンプ】『愛すべきイカレポンチども』
なんだってんだ。きのうまでのさわぎがウソみたいだ。おきるきりょくがない。血がこおったままうごかなくなったみたいだ。おれはベッドのなかにいる。ふとんはやわらかい。それだけ。あつくもさむくもない。ただ、すごくだるい。2どとおきれないきがする。マムがベッドのわきにすわっている。ふくにはいっぱい血がついてる。あまいはなのにおいがする。なんてなまえかはおもいだせない。おれにむかってわらいかける。おれはどうやってわらえばいいかわからない。まむは、おれのあたまに手をのばす。こわい。おれは、ふとんのなかにかくれる。マムはしんこくなかおして、そっとふとんをはがす。そしてしゃべる。
「ごめんなさい。頭を触られるのが怖いのね? 大丈夫よ、メリーちゃん。ママがいるわ」
「さとうは?」
おれはたずねた。めにみえるぜんぶが、ぼんやりしていた。
「佐藤君は……。いなくなったわ。この仕事をやめるそうよ」
「そうなんだ」
そうなんだ。やめるのか。いないのか。なんだ。
「大丈夫よ。大丈夫。大丈夫……」
マムはじゅもんみたいに、くりかえすんだ。だいじょうぶ。だいじょうぶ。って。でも、へんなんだ。マムは、ないてるんだ。なにかかなしいことがあったのかな。おれはわらいかけてあげたかった。でも、かおがぜんぜんうごかないんだ。
「ふぁ……」
あくびがでた。なみだがでた。マムは、またしゃべる。
「あのね、このプロジェクトは中止になる。昨日副総統と話していたのは、そのことなの」
マムはつづける。
「治療者から、再犯者が出たのよ」
マムはおれにいう。おれのほっぺたをやさしくなでる。マムの手はあったかかった。
「髪をツンツンに立てた男がお姫様をさらったんだって。ふふ。メリーちゃんのお友達ね」
かみがツンツン。トトだ。
「トトのこと?」
「ふふ、どうかしらね」
トトのやつ、うまくやったんだ。ドロシーのいもうとと、またあえたんだ。ふたりでいま、なにをしてるのかな。いつ、けっこんしきやるのかな。おれはよろこびを、のどをからしてさけびたかったけど、ちからがわかなかった。あたまのなかになにもないんだよ。
「あのジジイの企みは、全部おじゃんになったのよ。いい気味だわ」
マム。わらってる。こわれたように。
「これは、悲劇だったのかしら? 喜劇に映るかもしれない。ただ、私たちはこれから裁かれるでしょうね。私はこの国の副総統を殺した女として。メリーちゃんは、
よくわからない、むずかしいことをいう。なんのことか、わからないよ。
「なんのはなし?」
「他人に殺されるなんて、絶対いやよ」
マムはいった。
「メリーちゃん、目を閉じて」
「あんまりねむくないよ」
「『お願い』。眠って」
「うーん……わかったよ」
マムは、ゆびでおれのまぶたにふれた。おれはめをつむった。まっくらだ。マムがうたうようにしゃべる。
「羊が1匹……」
あたまのなかで、ふわふわとした毛のひつじが、さくをとびこえる。いっぴき。またいっぴき。みんなうれしそうにしている。よかった。さくをまたいっぴきがとびこえる。
また、いっぴき……。
いしきがうすらぐ。そのとき、すごくうるさい、なにかがはじけるおとがして、めをとじてまっくらだったはずのせかいが、ぱあっとあかるくなった。いっしゅんだった。あかるくなった。からだがあつくなった。それだけだった。
おれはひつじかいから、トナカイになった。そしてちりになった。
おれはこのせかいからいなくなった。
おれは世界を変えた。おれの行動で(意図していないとはいえ)この世界から、『治療』が消えたんだ。
それがいいことだったのか、それはずっと先の未来でしか、わからないことだ。
ただ、これだけははっきり言える。
おれは、正しいと思うことができたんだ。
そこのあんた。今、よく鏡を見てくれ。
そして、笑ってみてくれ。
たくさん、たくさん、笑ってくれ。ちりになる前に。
どうせ、誰もがちりになっちまうんだ。
あんたがあんたでいるうちに。この世界がいつ変わってもいいように。
その顔を、よーく憶えていてくれ。
それではさいなら、愛すべきイカレポンチども。
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