【7章 ラスト・ジャンプ】『男の友情』
おれはPを連れてマムの元に押しかけた。寝起きのマムは、おれを怪訝そうに見つめた。
「Pを戻してくれ!」
Pは、記憶をリセットされていた。
最初に出会ったときと同じように、何の感情も持たない、治療のためだけのロボットに戻っちまってたんだよ!
「どうしたのよぉ、メリーちゃん?」
「Pの記憶が消えちまったんだ! どうなってんだよ!」
マムはしばらく黙っていたが、言いづらそうに口を開いた。
「プロテクト用のプログラムよ。マザーコンピュータはね、侵入者がいたらデータをリセットするプログラムを植え付けるようになっているの。無理に拒むよりも、わざと侵入させて、どうでもいいところだけいじらせて……」
だから、あんなにあっさりうまくいったんだ。
治療者の順番を変えるために、おれたちがあぁするのを見越してたんだ。
副総統とマムはグルだったんだ!
治療者の順番なんて、マムにとっては本当はなんだってよかったんだ。Pはそのプログラムのせいで、少しずつ記憶を蝕まれていた。だから、ずっとぼんやりしていたんだ。
「どうしてそんなことをするんだよ! チューリングテストをして、リセットするんだろ? それならいくらでも受けてやるけど、こんなのないだろ! 早く戻せ!」
「ダメよ。貴方はおかしくなっている。貴方のためにも、Pはこのままがいいのよ」
「おれのため? 嘘つけよ! マムは言ってたろ! おれに人に優しくしろって。人を想えって。そんなのキレイ事だと思ってたし、今も思っている。それでも、おれはPのおかげで色んなことに気付けたんだ!」
「ううん。貴方はやっぱり、人の気持ちがわかってない」
マムは声を震わせた。シーツの裾を握りしめた。
「悔しいのよ! わからないの? Pの存在が貴方の中で大きくなるにつれ、私の存在がどんどん小さくなっていくの。メリーちゃんに変わって欲しいって想ったのが間違いだったのかしら? メリーちゃんはPに会わなければ、ずっとママのことだけを……」
「おれはマムのものじゃない! これじゃただの都合のいい人形だ!」
マムは、呟いた。ロボットみたいな声で。
「都合のいい人形が欲しいときもあるのよ」
「……!」
「……ごめんなさい。言いすぎたわ。でも、この子のことは諦めなさい。『お願い』」
《早ク 人間ニ ナリターイ♪》
……おい。
今までのことは、全部無意味だったっていうのかよ?
部屋に戻った。
頭の中はささくれだって、何も考えがまとまらなかった。
おれはマムじゃない。マムのことはわからない。
マムはさ、大きさも形もちがう枠に、無理やり押しこもうとしているんだよ。
「……は、ははは」
笑いがこぼれてくる。
どうして、うまくいかないんだ。
今までやってきたことは取り返しがつかないことなのか?
おれを許さないのか?
トトは、おれを自由だと言った。でもそれは買い被りだ。おれは自分で羽ばたいてどこかにとんでいくことが許されないんだ。
おれはマムの人形だ。都合よく愛情を注げる、意志のない人形。
あのとき船に乗って、この島から出たって同じだったんだ。
おれは知らない土地に、絶望するんだ。自分を操る人間なしじゃ、歩くこともできないんだ。
Pは言っていた。
《出テ ドウスルンダヨ》と。
P。お前の言うとおりだ。逃避の先には、なにも待っていなかったんだよ。
おれは屋上に向かった。Pもついてきた。
あの日芽生えた気持ち。誰かのために、跳ぼうと思う気持ち。
目の前に、あのときより雪が積もったフェンスがある。これに登って、飛び下りれば、外の世界に飛んでいける。
おれは跳べるのか?
無理だ。胸の中に、もう何も残ってないんだ。
胸の腐ったりんごだけが、おれをかろうじて生かしてるだけなんだ。
寒い。
おれの血は、冷めて、冷めて、凍りついていくんだ。
「できた! できたぞ! うは、うははは。おい、メリー!」
……なんだ?
佐藤?
佐藤の声がする。
振り向くと、コートの襟を立てて、やたら着ぶくれした佐藤が高笑いしてたんだ。
おれの知ってるあいつじゃない。こんなに楽しそうに笑うのは見たことがない。
何か、やり遂げたって感じなんだよ。
ただ、だいぶプッツンしてるけどな。
「おい、返事くらいしろ。久しぶりに会ったのに! いやぁ、大変だった。周りにばれないように毎週コツコツ身の回りにあるものだけで作るのは、さすがに骨だったな……」
「……」
「うはは、見ろ! これでPちゃんと私は結ばれる!」
うはは、か。こいつはそんな笑い方するやつじゃなかったんだよ。
佐藤はボタンも外さず、前をガバッと開いたんだ。ボタンがはじけ飛ぶ。
「うはは、寒い! うははっはは! Pちゃん! 結婚してくれぇぇ!」
コートの裏には――。
細長い筒が、幾つも張り付いていたんだ。その筒の先からは、頼りない糸がひょろりと出ている。
それは。
ダイナマイトだったんだ。
「……お前、マジで作ってたのかよ!」
作ってそうだとは言ったけどよ。なにも、そんな期待にこたえなくていいんだよ。
「私はいつだってマジさ。これで、Pちゃんに結婚を……」
「しかも脅迫するつもりだったのかよ」
「お前がそうしろと言ったんだろう」
はは、本当に冗談が通じないんだ。
あぁ。佐藤のバカ騒ぎが、なんだかガラスの向こうみたいだ。
おちょくってやる気にもならない。
おれは今、絶望感よりも、投げやりなヤケクソな気持ちでいっぱいだったんだ。
どうせ、おれが何をやったってうまくいかないんだ! と。
「もう無駄だけどな」
「無駄?」
「もう、Pはいない」
「そこにいるじゃないか」
「いないんだよ!」
佐藤はおれのことなんか無視して、Pに向かってジャケットを広げた。
そして、たがの外れた声で叫んだんだ。
「Pちゃん! 私と結婚してくれ! 頼む!」
だけど、Pのこたえは。
《早ク 人間ニ ナリターイ♪》
佐藤はPの返事に驚き、口をあんぐりと開けたまま何も言わなかった。
「わかったろ。記憶がリセットされたんだ。ここにいるのは、ただのロボットだよ」
「……修復できるかもしれない。こい」
本部に戻り、佐藤はすぐに、Pをパソコンにつないだ。
佐藤はしばらくキーボードを叩き「復元は不可能だな……」と俯いて首を横に振る。
はは、大丈夫だよ。期待なんかしてねぇ。
おれが変だったんだ。
マムの言う通り。
「笑っちまうよな。よく考えたらこいつはロボットだ。どうして、こんなやつにマジになってたんだろうな。こいつがなにを言ったって、プログラム通りに動いているだけなのに」
「……ふふ。ふふふ。はははは!」
佐藤は笑った。おかしくてたまらないと言わんばかりに。
「何笑ってやがんだ! そんなにおれが滑稽かよ? ……いや、そうだよな。だっておれは散々お前のことをバカにしてた。ロボットに惚れてる、オタク野郎だって……」
「ごちゃごちゃうるさいんだよ、貴様は」
佐藤は言った。歯をくいしばり、震えている。
「なんだ? すっかり諦めモードか? 悲劇のヒーローは泣いたり笑ったり大変だな」
「お前に何がわかるんだよ!」
おれは佐藤に掴みかかる。頭が熱い。熱い。
「わからない。私はメリーじゃない。でも、お前にもなにもわからないだろう?」
「どうしてそんなに冷静なんだ!」
「貴様はバカか! バックアップがあるに決まってるだろう?」
……バックアップ?
「貴様はパソコンの1つもできないから知らんだろうが……基本だ。データをちゃんと記録して、とってあるんだよ。それを読みなおせば、元に戻るさ」
「……そんなの、聞き入れられるわけがない。データは向こうが管理しているんだ」
「交渉しに行くんだ」
佐藤はダイナマイトの一つをはぎ取り、握り締めた。
「ワンフロアくらいなら、ハゲ山に出来る威力だ」
無理に決まってる。
だっておれより力があって、おれより強くて、おれより頭のいいやつらがみんなおれを見張っているんだ。どうしようもない。
「そううまくいかねぇよ。うまくいかないようになってるんだ!」
何を言おうと佐藤はききやしないんだ。
「貴様は一人で泣いてろ。私は一人で行く。好きな女のために死ねない男なんてクズだ。人間だろうが、ロボットだろうが」
それは、おれが自分で言った言葉だ。佐藤は、おれが言ったことを覚えていたんだ。
「貴様のことは軽薄なやつだと思っていたが、ここまでだとは思わなかった。私は諦めない。私は、幸せになる。ネバーギブアップだ!」
佐藤は笑う。
ネバーギブアップ。
露出狂みたいにコートをはだけて大笑いして叫ぶ姿は、たまらなくダサくて――たまんなく、カッコよかった。トトと姿がダブる。
「はは。バカじゃねぇの」
おれは笑った。さっきの言葉を恥じた。
Pはロボットだ。プログラム通り考えて、行動している。そうかもしれない。
だからなんなんだ?
おれは馬鹿だった。機械と人間に線を引いちまった。
PをPとしてじゃなく、ただのロボットとしてみちまった。
つらい現実から逃げるために。
自分がたまらなく悩んでいたことなのに、理解して欲しいって思っていたことなのに、いざ自分のことじゃないとわかってやれなかったんだ。
P。悪かった。
人間だとかロボットだとか。そんなことは重要じゃなかったんだ。
なんだっていい。ただ、おれはお前と一緒がいい。
外の世界は、意味がわかんねぇ、バカばっかりの世界かもしれない。
ここから出たら、辛いことばかりかもしれない。
それでも、おれはお前と生きていきたいって、護ってやりたいって――思ったんだ。
寒くてうるせぇしんどい世界でも、お前となら生きていきたいんだ。
世界は変えられない。
そんなことはしなくていい。
ただ、お前と手を握っていたいんだ。
冷たくたって、構わねぇから。
「はは。おい、佐藤! なんだよ、笑ったらかわいいじゃねぇか。だはは」
トト。世界を変えるのは、とりあえず一休みだ。
今はおれが、おれ自身が、変わらなくちゃいけないんだ。
佐藤には、おれがアンドロイドってことは一生黙っておこう。
友情ごっこがごっこじゃなくなるくらい、好かれちまうかもしれねぇから。
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