【6章 助走】『マザーコンピュータ』
真夜中だ。クリスマスも終わっちまって、街も静かに今年が終わるのを待っているみたいだ。おれは外を想いながら、開かずの間の前に立っていた。
――ひ、ひ。
中から女の啜り泣きが聞こえる。よくある下らない怪談話だとしか思ってなかった。
でも、それはどうやら本当らしい。
聞こえるんだ。扉の向こうからはっきりと。
《こえーノカ?》
Pは扉の前で立ち尽くしているおれに、からかうように声をかける。
「馬鹿言うな。あれだよ……」
《言い訳無用デ かわいいヤツ》
Pはおれから鍵を奪い、解錠する。
開かずの間と言われていた部屋は、あっさりと開いた。
女の啜り泣きは加速していく。中にマザーコンピュータがあるとして――その中で泣いているやつってのは、ちょっと思い当たらない。
本当に、幽霊……。まさか。
部屋は、おれの予想と違っていた。てっきり、壁一面にモニターやらなんやらがついていて、ロボットアニメかなんかでよく見るような作戦司令部みたいな場所を想像していたんだ。
ところがえらく殺風景で、真ん中に1台パソコンが置かれている以外は、何もありゃしない。パソコンのモニターのライトで、部屋全体が照らされている。
女の泣き声は止まない。あたりを見回すが、人の姿はない。
『……ひっく……誰ですか?』
女の声。悲壮感漂う、消え入りそうな声。
「ひぃ! どこにいんだよ!」
《「ヒィ」ダッテ かわいい~》
「うるせぇ! おい、誰だ! どこにいやがんだ!」
『ここにいますけど……』
女の声だけが響く。幽霊さえもいない。
天井に張り付いてるわけでもなく、足のない女が立っているわけでもない。
声だけがする。
そういうのが一番コエーんだよ。
《人間 ジャナイ?》
「幽霊だってのかよ! 冗談じゃねーぞ!」
『ワタシ、幽霊じゃないですよぉ……』
女が言う。Pは無言で、ずかずかと歩きだす。そして、パソコンの頭をたたいた。
「おいって! やめとけよ!」
《コッカラ 聞コエンダヨ》
『いたいって! いたい!』
うん?
『なんすか! ワタシ精密機械なんですよ? 壊れたらどうなると思ってんですか?』
《コノ程度デ 壊レルワケ ネーダロ》
……そういうことか。
『あなたたち、まさか』
声の主は、パソコンだったんだ。えらく気弱そうな、おどおどした声。
こいつが、マザーコンピュータか?
こいつに全権を預けるなんて、そんなの怖くてできねぇよ。
「ホントにお前がマザーコンピュータなのか?」
『は、はぁ……まぁ……』
《ハッキリシネェ ヤツダナ》
『はい、そうですよぉ! だからなんなんですかぁ!』
この調子なら、うまいこと懐柔できるかもしれない。
おれはトトの治療の順番のことについて話した。
『これですかね……。11592号』
「それだ。トトの順番を、一番前にしてやってくれ」
『えぇー! そんなの無理ですよぉ! 無理無理無理!』
《ナンデヤネン》
『ワタシの権限ではできませんよ!』
「なんでだよ。お前が一番偉いんだろ。他のコンピュータより」
『無理です。人間たちの指示を仰いで、ワタシがそれを処理して、管理しているだけです』
喋り方をきくに、Pよりは賢いコンピュータのようだ。
抑揚もあるし、声に表情があった。
ただ、意志はない。人間に飼いならされた、ロボットでしかない。
「人間サマには逆らえないってのか?」
《関係ネーダロ 人間トカ ろぼっとトカ》
『ありますよぉ! わかった口きかないでください! だって、ワタシは逆らえないんですよ? どんな抵抗心を持ったって、カップラーメンの汁をぶちまけられただけで、もう壊れちゃうんですよ。言うことをきくしかないんです。あなたなら、わかるでしょう? ねぇ、アンドロイドの、メリーさん?』
「……はは、おれって、有名人なのな」
『あなたのことずっと見てました。治療室の中の様子だけですけど……』
あそこには監視カメラが設置されている。音声はともかく映像だけは知っているはずだ。
『あと、こないだ、この塔から逃げ出したってことも聞きました……』
「はは、大ファンですってか? 悪いけどよ、それどこじゃねえんだ」
『あなたがなにか行動を起こすたび……。ワタシはずっと羨ましくて、ずっと憧れて……』
Pのやつ、不機嫌そうに鼻を鳴らしてやがる。
女ってのはどうしてこう疑い深いのかね?
『ずっと、憎かった。同じ機械なのに、こうも違う。ワタシの中に溜っていくのは、うらやましさでした。ワタシはここから動くこともできない。どうあがいても、物理的な暴力の前では、本当に、逆らいようもない……手も足も出ないんですから。文字通り』
《めりー コイツ 様子ガ オカシイ》
『それはそのうち、嫉妬に変わって……。激しい憎悪になりました』
青く光っていた画面は、目をさすような激しい赤一色に染まった。
赤と青の激しい点滅。目がチカチカする。
ずっと見ていると、目が染みたように痛んで、涙が自然と出てくる。
吐き気がする。
静脈と動脈。血はいく、血はかえってくる。そのくりかえし。生きてるだけ。
そんなものが、どうしてうらやましいんだ?
はは。きもちわるい。
《めりー?》
喉の奥が熱い。夢に見そうなサイケデリックなマーブル模様の水たまりが足元にできた。
画面は明滅を繰りかえす。意味のない歪んだ雑音だけが、空間を支配した。
泣いているんだ、ロボットとして。
《めりー!》
「大丈夫。それよりどうする? これじゃどうしようもねぇ。普通のパソコンならな……」
あいにく女の扱いに慣れていても、泣きわめくガキの扱いには慣れてないんだ。
《我ニ 秘策アリ》
Pは言うと、ジャージのジッパーに手をかけ始めた。
なまめかしく、スローな動きで。蛹から蝶に変わるみたいに、服を脱いでいくんだ。
「何やってんだよ?」
《すとりっぷしょー》
「何言ってんだよ、バカじゃねーの?」
Pはするすると洋服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿になった。
月の明かりに照らされる。
そのシルエットは、人間の女そのものだった。
《オレ きれい?》
「……口裂け女かよ」
はは。どうしたんだ。
触っていなくてもわかる。
人工のゴム・スキンが、ぬるくて生卵を優しく半熟にするような、エロティックな体温を持っているように思えるんだ。
《ジョーダン ホレ ココ》
Pはおれの動揺に気付かず、右腕を窮屈そうに後ろに回し、肩甲骨の間を指す。
そこには爪くらいの大きさの縦長のスリットがある。
Pは白いコードを手に、ねだるように言う。
《優シク シテネ……》
「いやいや、今そういう甘い感じいらねぇから」
そのコードは、パソコンのUSB接続に使うコードだった。両端はプラグになっている。
おれは言われるがままコードを受け取り、コードの先を背中に向ける。
《コレ 挿セヤ ずっぷり》
ずっぷり言うな。
「これでお前とマザーコンピュータを繋げろってことか?」
《ソユコト 強行策シカネーダロ ぷろぐらむニ 侵入スル》
「……わかった。お前に任せる」
おれは納得し、プラグをまずマザーコンピュータに繋げ、それからPに繋げた。
《アッ》
「……だからそういうのいらねぇから」
はは、おれってば結構ウブだ。
《ソイジャ イッテクルワ》
Pは目を閉じると、ディスクが回転するような、尖った音を上げた。
しばらく、どちらも音を上げなくなった。
静寂の中、目を瞑ったPと、激しく明滅を繰りかえすパソコンを眺めていた。
寒さで白くなる吐息でさえ、赤や青に色を染める。
「……」
しばらくすると、Pが目を開く。
「ど、どうだ? うまくいきそうか?」
《デケタ》
「え? トトの順番を変えられたってことか?」
《ソーダヨ せきゅりてぃ ゆるゆる 結構 サセ子チャン ナノナ》
「もうできたのか? 嘘だろ?」
おいおい、そんなはずないだろ。そんな簡単にうまくいくわきゃない。
《アタボウヨ ツーカ 懐カレチマッタ》
『おねーサマ……激しかったよぉ』
さっきのまでの憎悪はどこへやら、うっとりした声を上げるマザーコンピュータ。
「……ホントにか? ホントにうまくいったのか?」
《ナンダヨ 疑リ深ケーナ》
「いや、そんなあっさりいっていいもんかね……」
決死の覚悟で塔から戻ってきて、トトのためにここにきたんだ。
これじゃ緊迫感もなけりゃ、盛り上がりもない。
《ナンダヨ ジャア ドウシタラ ヨカッタンダヨ》
「……いいんだよな。無理に困る必要はねぇ。うまくいくならそれに越したこたぁねぇな」
嫌な予感がするが、思い当たる要因は何もない。うまくいってくれたらそれでいいんだ。
『おねえさま、もういっちゃうの? ワタシ、疼いちゃって仕方ないのに!』
《フフン ミネウチダ》
とんだ茶番だ。
いいのかもしれない。現実だって、これくらい軽薄でも。
「……おれへの憎悪は、もういいのかね」
なるほど。うまくいっている。たしかに、うまくいってる。
きっと考え過ぎだ。緩んだ空気に戸惑っているんだ。これでトトを救えるじゃないか。
ここでビビってちゃ、どうにもならねぇじゃねぇか。
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