【6章 助走】『教育』

「治療の順番を変えて欲しい?」

 じいさんは、不敵な笑みを崩さずに語尾を上げた。

「あぁ」

 おれは頷いた。

 今は、塔の治療室にいる。ヘリに乗って塔に戻ってから半日が経った。今は夜だ。

 懐かしいにおい。いかれたにおいだ。

 トナカイの衣装を脱ぎ捨てた今、おれは羊飼いのメリーでしかない。

 目の前には、仕立てのいいブレザーを着てるじいさんがいる。カフスボタンが光る。部屋の中なのに、キザったらしい革手袋をしていた。

 この国を動かす副総統サマ。豊かに蓄えた口髭を、愛おしそうに撫でている。

「話には順番があるからねぇ……。まずは、私の質問にこたえてもらおっかねぇ」

「無駄話している場合じゃないんだよ」

「そう言わないで。その話にも、関係することだし。いいだろ? 私のおかげで、Pちゃんの記憶を消すって話がお流れになったんだから」

「はは、あんたなら、なんでもできるのか?」

「できるよ。私は偉いからね。くふふ」

 副総統は、塔に戻るなり「Pには一切手を出さないように」と科学者連中に忠告をした。

 どうしてだかPを護ってくれた。おれがこの塔から出た本来の目的は、達成できちまった。

 Pを護ることだ。

 こいつは信用できないが、それでも事実、マムも科学者連中も、何もしかけてこないんだ。

 大人しくなっちまった。おれらは救われちまったんだよ。

 あぁ、すっきりしねぇ。

 解決しようとしたことが、他人の力でひょいと、簡単にどうにかなっちまったんだ。

 それも一番嫌いな、権力で。

 それでも、救われたのは事実なんだ。だから、ひとまずこのジジイ(はは、副総統サマって呼ばなきゃな?)と話をしてやることにしたんだ。

「……わかったよ。ただし、後で絶対おれの話を聞いてくれよ」

「約束しよう。腕のケガはどうだい?」

 おれの右腕はまだ疼いている。昨日の銃弾を受けた傷。

 それでも、医者が驚くほどの速度で傷は塞がりつつあるらしい。

 丈夫な身体にマムに、感謝しなきゃな。

「まだいてぇよ。生きてるって感じがするぜ」

「はは、ここの連中たちは生きた心地しなかったみたいだけどね」

 腕だから死にやしねぇと思ったが、一つ問題があった。

 回復こそ早いが、ダメージは大きかったんだ。「ほめおすたしす」を保つ薬を、しばらく投薬してなかったせいだ。そのせいで、体の機能が著しく低下していた。もう少し処置が遅れていたら、死んでいたかもしれない。

「それにしても久しぶりだね。最初会ったときとは、ずいぶんと雰囲気が変わったね?」

 おれがこの世に生を受けた瞬間。つまり、した直後。

 おれはこのじいさんに会っているらしい。

 気付かなかったが、お偉いさんの一人として、おれの完成式にいたんだ。

 なにせ、おれを作りだす計画を立てたのは、このお人なんだから。

 ついこないだまでなら、宿命の天敵として、おれはすぐにでも掴みかかっていただろう。

 そして、こう問い詰めたはずだ。

『どうしておれを作ったりなんかしたんだ!』と。

 おれは、治療のために生み出された宿命を恨んでいた。

 安易に生み出されたことに憤りを感じていた。

 でも、今はむしろおれを作ってくれたことを感謝しなきゃならねぇ。

 やらなきゃいけないことがある。

 今のおれには、目的がある。

「会ってんだろ。ついこないだよぉ」

「何のことだい?」

「……ま、秘密にするって言ったからな。キャンディに免じて、黙っといてやるよ」

 こいつはダストシュートの中でキャンディといちゃついてた。あんときゃ暗がりで顔が見えなかったけど、間違いない。いい年してお盛んだぜ。

「こんな色ボケジジイがこの国のハンドル握ってるなんてな。ゾッとするぜ」

 副総統は人のよさそうな笑みを浮かべている。

 だが、油断はできない。懐を明かすには、ちょっとばかし厄介そうな相手だ。

「いいのかよ。こんなところで? 国のVIP様が来るような場所じゃないぜ? 気の利いた菓子の一つも出せやしねぇ」

「いいのいいの、糖尿の気があるから甘いものは控えている。それに、仕事場を偵察するのも仕事のうちなんだ。

「だから、ハウスキーパーともいちゃついておこうってか?」

「ずいぶん引っ掛かるね。いいじゃないか、君はうちの娘と付き合っているんだろう? いつも娘がメリー、メリー言ってて……嫉妬しちゃうね」

「……はは」

「あの子は私が50のときの子だからねぇ。どっちかというと、孫のような感覚だけどね」

 こいつは。娘が娘なら、親父も親父だ。

「悪いけど、婚約破棄しちまったよ」

「ふぅん。うちの娘は、そんなに難しいかい?」

「あぁ、ムチャクチャな。ガキなんだよ、ヴァンパイアごっことか」

「いいじゃないか。体液の交換は究極の愛の形じゃないか?」

「……たぶん、あんたの教育が悪いんだな」

 照れたように笑いやがる。まったく、気の抜けるやつだ。

 おれが早く本題に入りたいってのがわかってて、焦らして遊んでいるみたいなんだよ。

 トトを救うためには、こいつの助けを求めるしかいなかった。

 こいつがこの機関の最高責任者だ。

 どうにか懐柔するしかない。機嫌を損ねないように。

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