【4章 EMOTION(S)】『虫のいい話』

 マムは昼休憩中だった。ボウリングのレーンのモニターで昼ドラを見ていた。

 こっちの表情を見て、モニターから目を逸らした。

 おれは、単刀直入に訊いた。

「おれは本当にアンドロイドなのか?」

 マムは何を言っているのかよくわからないという様子で、きょとんとした。

「急ねぇ」

「いいから答えてくれ」

 気が急いていた。余計な前置きなんて、何一つ思いつかなかったんだ。

「もちろんそうよ。そうじゃなきゃ、何なのよぉ? ほら、レントゲン写真……」

 心臓がりんご型のレントゲン。

 おれはいつもそれを、自分がアンドロイドである根拠として(そして、非人間である証拠として)受け入れていた。ホントに納得していたんじゃない。

 いつも、こっから先に踏み込むのにビビってたんだ。

「写真くらいどうにだってでっちあげられる! 本当のことを教えてくれ!」

 おれが声を荒らげるとマムは驚いたが、すぐに母性的な表情に戻った。

「人間だったら、なにっていうのよ? 貴方が人間だったとしてもアンドロイドだったとしても、ママは同じように愛するわ。人間そっくりのアンドロイドと、人間。何か違うの?」

 何が違う?

 わからないよ。

「おれは治療のために作られたアンドロイドだ。だから、あのスイッチを押していいって思ってたんだ。免罪符になると……」

「わかったわ。メリーちゃん!」

 ママはおれの言葉を遮り、抱きしめる。

 イランイランの香り。おれを大人しくする香り。

「私、すごくうれしい。メリーちゃん、治療を辞めたいのね? そうなんでしょ?」

「いや、そうじゃなくて……」

「遠慮しないでいいのよ。一刻も早くやめるべきだわ。貴方の口からその言葉が出るのを待っていたのよ!」

「……おれがやめたら、どうなるんだ?」

「もちろん、Pに任せるわ。多分、佐藤君にも手伝ってもらうけど」

「Pにもやめさせてくれ。あいつは、治療なんて望んでないんだ!」

 マムは潤んだ瞳でおれの目をじいっと見た。おれは視線を逸らした。

「ママ、わかってるのよ? メリーちゃんが嘘ついてるって」

「……何のことだよ?」

「チューリングテスト。Pに何か入れ知恵してるんでしょう? すぐにわかるわよ。自分の息子の嘘が見抜けないほど、私は落ちぶれちゃいないわ」

 この世界に悪者がいてくれたら、と思う。

 きっと今、誰にも悪意がないから、うまくいかないんだ。

 アリとアリジゴクなんだよ。

「ただ、メリーちゃんが嘘をついていたことを明るみにしちゃうと、大変なことになる。明日改めてチューリングテストをするわ。そのときは、Pに入れ知恵なしでやってちょうだい。それでPの記憶をリセット……」

「それはできない!」

「ママを信じて。『お願い』」

 お願い。

 おれは抵抗できず、マムの胸に飛び込んだ。

 おれはマムの操り人形だ。頷くことしかできない。

 このみじめで、たまらなく心地いい気分はなんだ?


 おれは治療のために作られた。

 そう信じていた。

 囚人たちを虫けらのように扱っていた。被害者の気持ちなんて考えようともしなかった。

 おれは世界を変えてみたかったんだ。

 こんな悲運に生まれついた自分に与えられた、唯一の自由だと思ってたんだよ。

 おれは、悲運なアンドロイドだから。

 ただ、そんなことを免罪符にしようってのが、おかしかった。マムの言うとおりだ。

 おれが人間でもアンドロイドでも、同じだったんだ。

 罪の重さは、変わらない。


 


 明日になれば、Pはテストをされ、記憶をリセットされてしまう。

 もう、やるべきことは1つしかなかった。

 ――Pを護るために、あいつを連れてここから逃げ出すんだ。

 治療から逃げ出すんだよ。

 脱出と言っても、外に出る方法は限られている。

 考えろ。考えろ。

 すぐ思いつくのは、強行突破。

 1階のエントランスの警備員たちをぶちのめして、脱出。

 うまくいかないのは目に見えている。

 この塔から出たって、そんな騒ぎを起こしちゃ、すぐに周辺を攫われ、捕まるだろう。

 それに、塔から出るだけじゃ解決にならない。島を出なきゃなんにもならねぇ。

 そのためには、船に乗る必要がある。海を泳ぐのは、この寒さじゃまず無理だ。

 本土を往復する、月に1度の定期船。それに密航する。

 来るまではまだ2日ある。

 タイミングは悪くはないが、一日は外で見つからないように過ごさなきゃならない。それでも、不可能ではなかった。少なくとも、1ヶ月待てと言われるよりは。

 船への侵入に関しては、出たとこ勝負になる。

 ここからじゃ船の警備のレベルもわからないし、このタイミングで船のことを嗅ぎまわりでもしたら、不審がられるのは見えている。

 想像の中ですらこの塔をスムーズに出れない。

 この塔に、魂を縛られているんだ。

 最大の問題はPだ。

 Pを連れて行くなら、歩くときの音も目立つし、指示通り動けるかもわからない。

 人間が1人増えるだけでも不安なのに、しかもロボットじゃあな。

「はは、どうするよ?」

 おれは自暴自棄な調子で、Pに尋ねた。

《ナニガ?》

 ダメだ。こいつに脱出の意思はない。

 それでもPを置いていくわけにはいかない。

 置いていけば、今度はPに全て治療を押しつけることになる。それだけは、耐えられない。

 おれは完全に行きづまる。

 ふと、外を見た。

 外は、クリスマスムード一色だ。こんな島でもやってくるんだ。

 明日はクリスマス。もう、30分もすれば。

 だからなんだってんだ。

 ……そのときだった。

 窓が、激しく震え始めた。

 ――ババババババババ。

 ヘリコプターが、こっちに向かって飛んでくる。

 ドロシーが戻ってきたんだ。

 そうか。その手がある。おれは拳を握りしめる。

 ヘリなら、船の出港日も関係ない。ドロシーならここを行き来していても不自然じゃないし(気まぐれで帰ってきたと思われる程度だ)、Pを乗せて行くのにも十分だ。

 あれだけ揉めて、いきなり助けてくれなんて、虫のいい話ではある。

 でも今はそれしかない。

 ここしかないタイミング。うまくいく。これなら、うまくいく。

「おい! 行くぞ!」

《エ?》

「この島を出るんだ!」

 ?》

 ……どうするって?

 わかんねぇ。

 それでも今しかないんだ。

 今日、今行かないと、Pが。後のことなんて、今は問題じゃない。

 そう考えるしかないんだ。

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