【4章 EMOTION(S)】『ブリキの心』
エレベーターの中でおれは深く息をつく。唯一、心休まる場所かもしれない。
「今日は寒ぃな」と、おれは手をすり合わせる。
今日も雪が降っている。虫が眠るだろう。名前があるかないかは、関係なく眠る。
《ン》
Pは手を伸ばし、おれの手を握った。
ドロシーのことを思い出した。
あの日、エレベーターの中でおれの手を握りかえさなかったドロシー。あのときから、まだ1ヶ月くらいしかたっていない。
全てが変わった。
そう、思えたんだ。
冬はつい、感傷的になる。おれは記憶の中では、何度もの冬を越している。
けど、実際は生まれて初めて冬を迎えるんだ。冬を越すと、きっと何かが変わる。
人間が代謝し、細胞が毎日少しずつ生まれ変わるみたいに。(細胞が生まれ変わるなら、全てが新しい細胞になったとき、おれはおれでなくなるのか? 同じ人間か?)
Pの手は冷たかった。
当たり前だ、ブリキだから。
Pの身体には体温がないんだから。
おれはPの手を振りほどいた。なんだか気恥ずかしいんだ。
「お前、手ぇつめてーよ」
《ツメテート スコブル ダメ?》
ムチャクチャな言葉におれは笑う。
Pは笑わない。まだ、笑えないんだ。
「あぁ、ダメだね。こういう日はやっぱ、柔らかいモチモチの人肌で温めてもらわねぇと」
《不純異性交遊 ジャネ》
「いいんだよ。おれはもう、大人なんだから」
……ま、正確には0歳児なんだけどさ。
《ドウシタラ モチモチノ人肌 ナンダイ?》
「そら人間にならねぇとな。この島から出て、神さまにでも探して頼んでみろ。いや、まずお前はもっと賢くならねぇと探しにも行けないわな。最初の村も出れずゲームオーバー」
《賢クナレル 方法ッテエト?》
お前は十分賢くなった。それ以上ならなくていい。感情なんかないほうがいいんだ。
感情を得れば、きっとおれを軽蔑する。だから、そのままでいい。
「しらねぇよ。おれも馬鹿だから。頭ん中に藁でもつまってんじゃねーかな」
《ワラ????????》
「『オズの魔法使い』。佐藤が読んでただろ」
佐藤の野郎は、部屋から出てこない。飯だけは喰ってるみたいだが、引き籠る理由を「Pと結婚するための準備」としか言わないんだ。
散々っぱらフラれて、頭おかしくなったか?
……わからない。おれは誰かの気持ちになって考えることができない。
「冗談だよ。笑っとけ。人間が笑うのは、楽しいときや嬉しいときだけじゃない。それだけじゃない。辛いときだって……笑うんだよ。いつだって、笑うんだ」
《ドウヤッテ?》
「だははははっは! ……こうだよ」
おれは笑って見せた。おれは無理やり笑うことができる。
《ダハハハハ》
はは。
『ダハハハハ』って、棒読みで言ってるだけなんだ。しょうがねぇやつだな。
「だはは……」
ダメだ。感情移入するな。
こいつはいずれ、記憶を消去される。さっきみたいな誤魔化しはいつまでもきかない。
それはわかっているんだ。
「ま、お前みたいなポンコツロボットには無理だな。そんなに人間になりたいのか?」
おれは意識して、突き放すように言った。
《考エタ結果 ソウナッタ》
「考える? 無理さ。無能だか知能だか知らねぇが、関係ない。お前はデータに基づいて解析して、それらしい答えを出して……そうして考えたような気になってるだけさ」
おれは嘘をつく。おれの感情に。
こんなことを言いたいんじゃない。
じゃあ、おれは今、Pになんて言いたいんだろう?
《めりート オレハ 何ガ違ウ?》
こいつはおれを、人間だと思ってるんだろうか。
それとも
いや、そんな境なんて、こいつには存在しないんだ。ある意味では人間より賢いんだよ。
「ぜんぜんちげーよ。おれも作りものだけど、ちゃんと考えている。いい女を見るとここがムラムラとくる」
おれは左の胸をトントンと叩いた。
「ちなみにお前は全然ダメ。色気なんか全然ねぇもんな」
Pは何も言わない。毛穴からにじみ出るみたいに、言葉がこぼれていく。
「おれにまともな心なんかねぇけどな。なにせ、心臓のかわりにりんごが入ってるんだから。冷え切った知恵の木の実さ」
マム、どうしておれをこんな中途半端に作ったんだよ?
ちゃんとした人間や、ロボットにしてくれなかったんだよ?
《知恵ノ 木ノ実……》
「さっきテストで話してたろ。食うと賢くなれるんだ。.アダムとイブ……」
すると、Pはおれの胸に耳をくっつけた。
「おい!」
いや、何を焦っているんだ。まるで、人間の女に迫られたみたいな気分なんだ。
《ソレナリニ 温カク とくんとくん シテル》
「……はは。それなりに、か」
Pだけが、おれをおれとして見てくれた。
生い立ちや、いきさつなんか無視して見てくれたんだ。
おれは人でなしだけど、きちんと人間と同じ機構で動いている。
体温もある。
おれがアンドロイドじゃなく、人間だとしたら。
それをずっとしつこく考えてきた。(味が無くなったガムを、ずっと噛んでいるみたいに)
さらに、その続きだ。
おれは今まで「治療のためのアンドロイド」っつう大義名分に守られている気になってた。
治療自体が存在意義だから、倫理的にどうだろうが仕方ないと思っていた。
でもおれが人間だとしたら、そんな大義名分さえ失われてしまう。
すごく怖いんだ。
エレベーターは動かない。いつまでたっても。
そのはずだ。ボタンを押してなかった。
こいつは自分の意思で動けない。ボタンを押すのを待っていたんだ。
「待たせたな」
おれはボタンを押した。Pも、《マタセタナ》とおれの真似をした。
問題はいつだって、ボタンを押すか、押さないかなんだ。
廊下でキャンディに会った。
あの日と同じように、ダストシュートにゴミを放りこんでいた。
キャンディはおれに笑いかけた。こいつだけはあの日から変わらない。
「これ、中覗いてもいいか?」
「穴なら何でもいいの? ふふ。いいわよ?」
おれは穴に頭を突っ込んだ。気まぐれだ。
キンと冷えた風が吹きあがってくる。
緑色の非常灯が、手元をぼんやりと照らす。下は真っ暗で見えない。
ゾッとする。壊れたトースターや掃除機に生まれていたら、こっから落とされる運命だったかもしれないんだ。
「これって底はどうなってんだ?」
「ゴミ溜めがあるだけ。週に1回、回収車が来くるの。焼却施設か、収集場に持って行くのよ」
「収集場なんて聞いたことないな」
「この建物からは死角になってるけど、あるのよ。リサイクルできる家電とかはそこに集めて、リサイクル業者に任せるの」
本当に知らないことばかりだ。この塔から見えること以外、おれはなにも知らないんだ。
ダストシュートの中には、ハシゴがついていた。途方もなく続く。
闇に飲み込まれる。
「そのハシゴは逢い引き用よ。ここに掴まって、隠れてアレコレするの。ここは『エデンの園』って呼ばれてるのよ。許されざる2人が邂逅を許された、聖なるサンクチュアリ……。神のみぞ知る……。いえ、神さまさえも、知らない場所」
「……何の話だよ」
「冗談よ。メリーってば、最近うぶよね」
そう言って、おれの頬を撫でる。
キャンディの愛は誰にでも等しく注がれる。おれの求めている愛情とは何かが違う。
特別な、おれにだけ向けられた愛情が、欲しいんだ。
「ゴミが引っ掛かったときとか、メンテナンス用らしいわよ。そのために作られたんだけど……むしろ、ハシゴに引っ掛かるのよね。本末転倒よ」
そうだ。おれと同じ、本末転倒。
一度マムを問いただす必要があった。今まで、ずっと恐れていたけれど。
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