【4章 EMOTION(S)】『チューリングテスト』

 スピーカー越しにマムの声がする。

 おれはテーブルに頬づえをつき、その声に耳を傾けた。

『貴方は砂漠を歩いているの……。そうするとアリが歩いている。そのアリは、アリ地獄にはまってしまった。貴方ならどうするかしら? それじゃあ……まず「A」。答えて』

 ここは「A」の部屋。いるのはおれだけ。埃臭い、物置みたいな部屋だ。

 おれはマイクに向かって答える。

「もちろんアリを助ける。かわいそうだから」

 おれの声はボイスチェンジャーによって変えられ、別室のマムの元に届いているはずだ。

『じゃあ、「B」。答えなさい』

 「B」の部屋にいるのはP。(はは、ややこしいな)

 Pも、おれと同じように何か答えを返したはずだ。

 Pの答えは、おれの部屋には伝わらない。

 ただきっと、《知ッタコッチャネー あり地獄、至極全ウ》なんて、意味のないデタラメを答えたに違いない。

 

 おれとPが今現在受けているのは、チューリングテストだ。実質はPだけのためで、おれはテストに協力しているという形だが。

 このテストは、以下の形式を取っている。

 おれ(人間役)と、P(ロボット・人工知能)に、それぞれ同じ質問をする。

 そして、答えを比べて、どちらが人間か判断する。その判断基準は、文法や会話の整合性に依っているわけだが……最終的には、人間的な倫理観を問うことに目的を置いている。

 それはあくまで世間における常識の範囲内で、だけれど。

 このテストを受けているのには、もちろん理由がある。

 覚えているだろうか。おれがマムと、ボウリング場で話していたことを。

『もしこの子に、人間そっくりの感情……もちろん、実際の感情じゃなくてだけど……が芽生えたと判断したときは、データを消去しましょう』

 マムはそう言っていた。そのとき、おれも戸惑いながらもそれを望んでいた。

 邪魔なこいつがいなくなって、平穏な生活が戻ってくると信じていたんだ。

 Pはこの一月で激しく成長した。

 おれだってときどき、ロボットと話しているということを忘れそうになる。

 マムは、Pが人間と同様の知能を得るのは、時間の問題だと感じたようだ。

 おれは焦った。

 おかしい。こいつがいなくなるのを一番望んでいたのは、おれじゃないか。

 にもかかわらずPが処分されるのを、今はすごく恐れていた。

 こいつに愛着を持っちまったんだろうか?

 それとも、自分のせいで何かが死んでしまうのが後ろめたいだけなんだろうか?

 わからない。

 先送りだとは分かってる。それでも、おれはPに命令せざるを得なかった。

 ――バカ無能なふりをしろ、と。

 Pが科学者たちから「無能」と思われている間は、一緒にいられるはずだ。

 おれの作戦には、2つの勝算があった。

 まず一つは、Pがバカなふりができるほど成長しているとまでは、思っていないだろうということ。(佐藤の努力は、科学者連中の予想をはるかに上回る成果を結んだんだ)

 もう一つ――これがもっとも大切なことだが――科学者連中は、おれがPのことをかばおうとしているなんて、夢にも思ってないはずだ。

 おれは、意識してPへの不満をマムや科学者どもにぶつけるようにした。きっと、おれが一刻も早くPが処分されることを望んでいると考えているだろう。その間は、大丈夫だ。

 おれ(たち)はその後も、似たような意味があるようなないような質問を幾つかされた。

 たとえば、「貴方は始まりの人類、イブ。貴方なら、知恵の木の実を食べるかしら?」

 そんな質問に、おれは「食べない」と答えた。

 Pは《タラフク 喰ウワ》と答えた。

 テストを3つ4つして、テストは終わった。手元には、2つのランプ。

『human』と『un human』だ。

 そして、おれの手もとのランプが点灯した。

『human』。

 つまり、このテストでおれが人間だと判断された。Pは人間ではないと判断された。

 今日もうまくだまし通せた。

『人間は、「A」ね。お疲れ様、テストは終わりよ』

 おれはにやりと笑い、部屋を出る。

 たまんねぇ、腐ったりんごみたいな臭いの部屋。何かを試そうとする人間の汚いにおいだ。

 おれはPと合流した。

 Pは知脳を獲得した結果、おれから離れても暴れまわることはなくなった。

『おあずけ』を覚えた犬みたいなもんだ。

「うまくいったな」

《チョロイゼ》

 Pは言った。

 こうして会話ができるようになったのはいいんだが、言葉づかいが悪ぃんだ。おれとずっと話していたせいで、言葉がすっかりうつっちまったらしい。

 声はとびきり色っぽいのに、おれと同じように喋るんだ。

「よし、仕事行くぞ」

 こんなことをしても、いずれはこいつは処分される。それも、おれが愛着を持って接すれば接するだけ可能性は高くなる。

 ……はは、まったく残酷だね。


 治療に向かった。

 こればっかりは、やめるわけにもいかない。おれがおれであるために。

 今日の患者は、若い男だった。ありふれた小さな犯罪を繰りかえした男。

 それだけ。

 今までの囚人と同じだ。

《オレガ 治療スル》

 Pは言った。こいつは自分を「オレ」って呼ぶようになったんだ。

「いいよ」

 おれは制した。Pは何も言わない。

 おれは男に同意書を書かせて外に出た。スイッチを押して、男の絶叫。聞きたくもない。

 治療完了。

 それだけ。

 ドロシーと、こいつら、囚人を笑っていた日々が懐かしい。

 おれはPに治療をさせたくなかった。

 どうしてだろう。ただ、Pが電気ショックをしているのを見ると、胸がチクチクするんだ。

 なんだろうな、この気持ちは。

 絶叫。聞きたくない。逃げるように、去っていくしかなかった。

 おれは、この治療のために生まれた。

 なのに、今はこの治療がたまんなく憂鬱だ。矛盾している。

 糞を転がさないフンコロガシは、名前がない虫だ。ただの虫。野垂れ死ぬ虫。

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