【3章 ホメオスタシス】『さっき最後のネジを締めたばっかりのロボット』
翌日。治療室ん中。おれはドロシーも佐藤も連れず、1人で来ていた。あの2人は関係ない。Pだけが後ろに立っていた。
こっちが何か言う前に、へらへらと笑うシフォンの母親。おれの表情がシリアスなのが、たまんなく滑稽なんだろう。
「なに? もう話すことなんかないわよ?」
「……自分の娘を殺したんだ。どうとも思わないのか?」
「母親ってのはどこかで娘を憎いと思っている。娘も、母親をどこかで憎んでいる。最も身近にいる女同士ね。親子には多かれ少なかれ、憎しみがある。それに気付くか気付かないか。……なにこれ、取り調べごっこ?」
「それが理由になると思ってんのかよ? そんなくだらねぇ嫉妬がよ!」
「並んで立ってるだけで笑われるのよ。で、必ず『かわいい娘さんですね』って付け足すの。『娘はかわいいのになんだこの親は』って顔される。わかる? どれだけみじめか」
「自分のガキが褒められるのをどうして喜べない?」
「私が褒められたわけじゃないし。あの子だって、私のこと見下してたのよ。ブスだって」
おれは無意識に立ちあがってたんだ。
それだけは言っちゃいけねぇ。シフォンは、お前みたいなクズでも母親として見てたんだよ。
女の首に手を伸ばす。質の悪いビーフジャーキーみたいに筋だらけの、喉。
生暖かい。こんなやつにも、血が通ってやがるんだ。
はは、冗談じゃねぇ。
絞める力を強める。女が口から空気が抜ける音がする。粘ついた涎を垂らす。
『メリーちゃん!』
頭のてっぺんから、マムの声がする。幻聴じゃない。どっかにスピーカーがありやがんだ。
つうことは、監視カメラもどっかにあるのか。
おれはこの部屋にいるとき、ずっと見張られてたのか?
そんなことすら、初めて知ったんだ。全員でおれのことをバカにしてるんだよ。
《し歯ふぉえフィぁ輪実でぃ!》
後ろからPの声がして、おれは動けなくなる。Pがおれの腕を抑え込んで、離さない。
P。お前も、おれが間違ってると思うのか?
女は唾を激しく飛ばしながらむせて、それでもなお、おれの顔を覗き込んで目を見開き、狂ったように笑うんだ。
「あはははははははあははははははははっは!」
間髪いれず科学者どもや警備員が入ってきて、狭い部屋はあっという間に満員電車みたいになっちまう。怒声と笑い声が混ざり合って、マーブル模様を描く。
誰かが、おれとPを引きはがした。おれは男たちに這いつくばらされた。
みんなのっぺらぼうみたいで、Pだけが顔を持っているようだった。
――がしゃん。
「へぺっ」
Pが動く音がしたかと思うと、おれを押さえつけた男の間抜けな声が響く。Pが男を殴りつけたんだ。Pは拳を固く握り、別の男に向かって一気に距離を詰めた。
「やめなさい!」
マムはリモコンのような装置をPに向けた。その瞬間、Pはがくんと膝から落ち、そのままうつ伏せに倒れちまった。
電源を落とされたんだ。
おれは再び男たちに囲まれ、地面に這いつくばらされた。
マムがヒステリックに、おれを問い詰める。
「メリーちゃん! どうしたのよ!?」
ここんとこ、みんなが「どうした?」って訊いてくるんだ。そんなのおれが知りてぇよ。
「マム、わざとやったのか?」
「わざと?」
「マムはこいつがシフォンを殺したやつだって知ってて、おれに治療しろって言ったのかよ!」
「偶然よ! 貴方の記憶の中にいるシフォンと、今回の『S』は無関係。それに、治療を受ける人間を決めるのは私たちじゃないわ。全てが偶然なのよ」
マムの言うことは正しいのかもしれないが、おれがやっていることが間違えているとも思えない。おれの人生は、こんな偶然が起きちまうくらい、ありふれたもんなのか?
「本物だろうが、偽物だろうが、こいつは自分の娘を殺したんだ! くだらねぇ理由で!」
「メリーちゃん、落ち着きなさい!」
「こいつはのうのうと生きていい人間じゃないんだ!」
科学者の1人が資料をぱらぱら見て、落ち着き払った様子でおれを見下ろす。
「彼女は……1人殺しただけじゃないか」
「なにいってやがんだよ! 自分の子どもを殺したんだ!」
「今まで君は、もっと凶悪な犯人も治療しただろ。彼らは、社会で立派に働いているぞ」
立派に? この女みたいなやつが?
そんなはずない。こいつら頭がおかしいんだ。
いや、こいつらだけじゃない。この国のやつら全員だ。
女はおれに尋ねる。
「……あんた、私たちの間でなんて呼ばれているか知ってる?」
「黙れ!」
「救世主よ。犯罪者たちの、希望の光。おめでたい救世主よね。あはは、はは」
「黙れって言ってるんだよ!」
暴れるおれを、でっけぇ野郎どもが地面に押しつけるんだ。
女は笑い続ける。おれの無力さと愚かさを餌にして、これからも生きていくんだ。
おれはさ、正しいことをしているつもりだったんだよ。
おれは独房に入れられた。3日間、ここにいなきゃいけない。
「こうしておけば、上のやつらも納得するわ。メリーちゃんを傷つけないためには、これしかないのよ」とマムは言った。
そして、「ただ眠っているだけでいいわ」と笑いかけ、去って行った。
3日も眠るなんて、羊が何匹いたって足りやしないよ。
そうだろ、マム?
独房といっても、小汚いビジネスホテルってとこだ。居心地は悪くない。ここで一日過ごすと、もやもやは少しだけ薄れていた。今はこの退屈に、身を任せたかったんだ。
目を瞑ると昨日の映像がフラッシュバックする。それはもう、何年も前に起きたことみたいに感じられるんだ。
Pは、女の首を絞めたおれを止めた。
Pは、科学者に抑えつけられたおれを、助けようとした。
おれのための行動だ。あいつの中に、何かが芽生え始めているのか?
いや。きっと、佐藤がボコされたときみたいな暴走だ。
おれが視界から離れるのを、機械のシステムとして拒んだだけなんだ。
ため息をつく。一つの疑問が、頭にべったりとこびりついて離れない。
――おれは、本当にアンドロイドなんだろうか?
あの日から、おれのモノクロの記憶に、色とにおいが付き始めているんだ。
おれは同じことを、何度も反芻し自分に問う。
記憶は全て本物で、おれにはマムとはまったく別の血の繋がった母親がいて、本土で育って、ここに雇われて……。そんな25年間が実在して……。
何より、おれが本当は人間だとしたら?
『そんなことわからなくなるやつがいるか?』って思うだろ?
自分が生きてきたこれまでのことが、ウソかホントかわかんなくなるなんて。
でもよく考えてくれ。
たとえばあんたの記憶が出来合いの作りもんで、ホントはさっき最後のネジを締めたばっかりのロボットだって言われたら、絶対違うって言い切れるか?
鏡に映ったあんたは、昨日までのあんたと同じ人間か?
ガキのときの記憶や、昨日喰った晩飯の味さえも、誰かが適当に拵えたありもしない記憶だったら……。その可能性を、どう否定するんだ。
おれは人間か?
アンドロイドか?
今となっちゃ、わからないんだ。
窓を少しだけ開けた。冷たい空気が熱っぽい頭に心地よかった。
ただ、この島の冬は寒い。真冬になると雪が膝まで積もる。(らしいんだよ)
しばらくは静かだったが、なにやら外が騒がしい。
けたたましいサイレンや怒鳴り声が聞こえる。
窓の外を見下ろす。低い階にあるから、下界の様子がよくわかるんだ。
そこでは、髪をツンツンにした囚人の野郎が、看守に追われて逃げ回ってる。大捕物さ。
男はすばしっこくて、びゅんびゅん走って金網やら、壁やらをすいすい乗り越え、ビルを跳び移る。アクション映画みたいなんだ。
ただ、長くは続かない。
ワラワラ、数え切れないほどの看守どもが集まってきて徐々に身動きが取れなくなる。でも男は不敵に笑って人間を飛び越える。猿みたいに身軽なんだ。
だが、跳び上がった瞬間力なく倒れちまう。
狙撃されちまったんだ。どっかにスナイパーがいるんだ。
麻酔銃だから、眠らされてまた収容所に逆戻りってだけだろうが。
しかし、あんな風に逃げ出そうとするやつもいるんだな。
治療しちまえば、すぐ出れんのに。ま、元の人格には戻れなくなるけどな。
三日間は、あっという間に過ぎていった。毎日ただ眠ったんだ。
眠れば眠るほど強い睡魔に襲われ、感覚は鈍くなる。
自分のことが、擦りガラス越しのような、薄ボケた他人事に感じる。
治療された人間ってのは、こういう気分なのかね?
おれがここを出る直前、定期船の汽笛が聞こえた。治療者を本土から連れてくるための船なんだ。そして治療を終えた人間を、本土に運ぶために帰っていく。
あの女はどうしただろう。
治療は先送りになったのか? それともあの船に乗って……。
でも、それよりおれの頭に浮かぶのはPのことだ。
あいつは今、どうしてるのかな。
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