【1章 美しき労働】『おれたちは正しいことをしている』

 スチールの机の向こうに、の囚人服を着た男がぶっ倒れてる。シワだらけの首をしたしょぼくれたジジイだ。唇が震えている。カサカサ乾いたヒルみてぇな、口。

 たまんねぇ口臭がしそうだぜ、おぇ。

 換気もできねぇこの狭苦しい部屋じゃ、ちっときついわな。

 想像して欲しい。ぷんと、ニオうんだ。蠅がたかりそうだ。鳥肌がぷつぷつとたっちまう。おれってば、まったくもって繊細なのよ。

「きゃは、きゃはは!」

 ヒステリックで、鼓膜がひっくり返りそうなくらいの甲高い笑い声が響く。

 ジジイの背中を、つま先に鉄板が入ったブーツで何度も蹴りとばすドロシーの声だ。小さな体をフルに使って、激しく蹴りつける。

 折れた右腕を包帯で吊りながら、笑ってんだよ。かわいい顔を歪めてよ。

 ピアノの発表会みてぇな赤いドレス着て、こんなイカレポンチなコトやってやがるもんだから、おれもクラクラ来ちまう。

 なにがおもしれぇのか、皆目見当もつかねぇ。

 ま、悪口ばかり言ってても甲斐がない。一応、ドロシーとおれは仲間なんだ。

 さてさて、おれはおれの仕事をしねぇと。

 おれはテーブルの上の「経歴書」を手に取った。このジジイの今までの悪行の数々が、路上の小石みたいにそっけなく書いてある。

 おれはジジイに声をかける。

「なぁ、**** ***さん(はは、名前は伏せておいてやろっかね)」

 ヤツは呻き、息を漏らした。構わずおれは続けた。

「はぁー。なに、年金もらいながらセカンドライフに連続殺人魔シリアルキラーってか? お盛んだね。それとも、そんなの朝飯シリアル前ってか?」

 そうさ、この爺さんはイカれた人殺し。恐ろしい話だ。なにせ、こんなしけた爺さんがとぼとぼ街を歩いていて、人殺しだと思う人間はまずいないだろうから。

 おれは紙をめくった。

 そこには老若男女、それぞれ素性もバラバラなやつらの名前。全員、このジジイの手によってぶっ殺された人間だ。

「1、2、3……7人も殺したのか? へぇ」

 ラッキー7ってか、なはは。

「よくもまぁ、一年もつかまらなかったね。……はーん。ボケ老人の振りして過ごしてたんだろ? 見かけによらず、あったまいいじゃん」

「あったまいいじゃーん。きゃはは」

 蹴る力を一層強めるドロシー。

 こぼれんばかりの笑顔はあまーいハチミツみたいで、今すぐ抱きしめたくなっちまう。

 ジジイが激しくせき込む様子は、おれをたまらなくむかつかせた。

 おれはドロシーを手招きする。

「はーい、終わり終わり」

「えー、でもまだ吸血してないのに」

 そう、吸血。ドロシーはいつだって、血を欲しているんだ。

「そんなヨボヨボな血なんか吸っても仕方ねぇよ。おれのを吸わしてやる」

「ホント? ホントホント?」

 目を輝かせるドロシーお嬢ちゃん。あんまり眩しいと灰になっちまうぜ。

「ホント。わかったら、とりあえずおひらきにして席につきましょうね、お嬢ちゃん」

「はぁーい♪」

 ドロシー嬢ちゃんは元気いっぱいに手を上げて、こっちに戻ってきた。

 こいつはもちろん、モノホンの吸血鬼じゃあない。そんなもんいてたまるか。

 吸血鬼かぶれのイカれたお嬢ちゃんなのさ。

 血を思わせる赤いドレスや、金色のカラコンなんかも、通販で揃えたらしい。どうしてこんな真似をしやがんのか、女の子ってミステリー。

「ねぇー、メリーぃ?」

 ドロシーはホイップクリームみてぇな猫なで声で囁いて、おれの耳をはむはむと甘噛みする。

「吸血なら、あとにしてくれ」

 おれはくだらねぇと思いながらも、ドロシーの吸血ごっこに付き合ってるんだ。

「だって、メリーのこと一刻も早くあたしのにしたいんだもん♪」

 ケンゾクの意味はよくわからないが、要するに、おれのことも吸血鬼にしたいってコトらしいんだ。

 ドロシーいわく、そのためには、相当量の唾液を体内に注入する必要があるようだ。

 それも水とかに薄めると効果がなく、高い純度で注入しなくちゃならねぇ(らしいよ)。

 ま、どちらにせよ、ただのドロシーお嬢ちゃんの作り話なんだけど。

「ふふ、メリーをケンゾクにしたら、たくさんたくさん遊べるもん♪」

 ドロシーちゃん、輝かせて、「腕とか吹っ飛んでも、全然治るんだよ♪ むしろ腕だけになっても、体の一部だけあれば全身治るし? 爪の一枚でもあればね」なんてスプラッタなこと言いやがんだ。

 それはきっと、ガキがアリを踏みつぶすような感覚だ。無邪気な衝動さ。

「お前は全身吹き飛ばすような遊びを考案中なのか……」

「うん!」

 わぁ、気持ちのいい返事だこと。

「……あの」

 寝転がったままほってけぼりになったジジイが、気まずそうに視線を泳がせる。

 そんなに不安そうにするなよ、おれは優しいから大丈夫さ。

 おれは立ち上がり、ぐったりしたジジィのワキに腕を入れ、抱き起して椅子に座らせてやる。

 肘かけ付きの、とびきり上等な安楽椅子。

 椅子からは、カラフルなコードがにょろにょろと飛び出ている。

 おれはパイプ椅子に座り、ジジイと向かい合わせになる。

 やつはこっちを見つめている。落ちくぼんだシワだらけの目。

「ちょいと質問していいかい?」

 おれはジジイに訊いてやる。

「たとえばさ、アリジゴクがいるとする」

「は?」

 きょとんとしたジジイの顔ってのは、なんだかメルヘンすら感じるね。

「考えろ。砂漠を歩いているんだ。あっついあっつい、砂漠。……で、歩いてっと、とことことお散歩しているアリさんがあんたの前を横切る。しかし愚かしいアリさんは、あっさりアリジゴクにはまっちまう。アリさん、大ピンチ。あんたなら、どうする?」

 ジジイは深海生物みたいな濁った眼差しで、おれを見るんだよ。

「メリーってば、また『ブレードランナー』ごっこしてるぅ~」

 ドロシーはおれの耳に舌先を入れる。生暖かい息がかかる。

 くぐもった水音が腹の底をうずうずとさせるんだ。

 おれはドロシーの細い腰を持って引きはがし、安っちい十字架をつきつけてやる。

「やーん、こわいっち♪」

 はしゃぎながら怖がるふりをするドロシー。

 はん、『ブレードランナー』かぶれはおれだけじゃない。

 この塔の外の世界はネオンまみれ、英語日本語タガログ語、芸者サムライカウボーイ宇宙人スキヤキハンバーガーにトンコツラーメン、ロボットのストリップ、なんでもござれの、超めちゃくちゃな世界だ。

 そこから少し離れたところに、が住んでいる。そこは、看守のための歓楽街なのさ。

 もちろん、看守がいれば囚人がいる。

 街の周りをぐるりと、囚人を収容する広大な平屋が囲う。

 そこに、このジジイみたいな囚人たちが暮らしている。

 この島は、囚人が集まる島なんだ。島を作ったやつは、相当に頭がイカレてやがる。

 おれなんかよりよっぽどさ。

「うるせぇな。で、どうなんだ、ジイさん。アリか? アリジゴクか?」

「どうって……そりゃあ、アリを助けますよ。もちろん。助けます」

 前のめりになって、唾まで飛ばして力説する。おれの何倍も生きた人間が、媚びへつらって機嫌取りをしてくる。

 んで、固唾を飲んでおれの言葉を待っているんだ。こういう瞬間が一番気持ちイイ。

「ブー。はずれ」

「……え?」

 顔面蒼白、最高に馬鹿げててファンタスティック。

「そんなことしたら、アリジゴクさんが可哀想じゃねーか。アリジコクさんは餓死寸前で、3日ぶりの獲物をようやく捕まえようとしていた。そうかもしれないだろ? 違うか? もっと、

「い、いやぁ。でも」

 ダメダメ、おれってばさ、言い訳大っ嫌いなんだもん。「でも」はナシにしようぜ。

「うーん。よっしゃ、決めた」

 おれは宣告してやる。バシッとね。

「てれってー。処・刑☆」

 おれがジジイを指さしてポーズを決めると、ドロシーは手を叩いて「キャハ、メリーってば、かっくいー♪」とゲラゲラと笑った。

 ひきつけを起こしそうなほど笑いながら、こっちにハイタッチまで求めてくる。

 おれは右手で軽く手を叩いて応じる。ドロシーは、ジジイにも手をかかげる。やつは青い顔をして、膝に手を置いて震えるだけ。

 ノリ悪ぃな。

「ごめんなさいごめんなさい……」

 謝ってすむならケーサツはいらない。

 はははっ……はぁ。あー、飽きた。

 さーてと。

 おれは用紙の一番下の紙を取り、ペンと一緒に地面に放り投げる。

「拾え」

 やつは目を丸くしている。

「這いつくばって拾えって……」

 こっちが言い終える前に、ジジイは転げるように椅子から降りた。そして、地に手と膝をつき、鼻息荒く紙とペンを拾いあげた。ボールペンの尻をノックする。

――バチ。

 ジジイは慌ててペンを放り投げ、目を見開いて指先を見た。

 大丈夫だよ、そんな指が吹っ飛んだような顔するなって。

 指先に、静電気程度の電気が走っただけだ。

 いわゆるイタズラ用のどっきりペン。これがまた、誰もが面白いほどよくひっかかる。

「はは、悪ぃ。間違えた。こっちこっち」

 おれはペンを再び床に投げた。ジジイは、よく躾けられた犬みたいにそれを素早く拾う。

「それにサインしろ。もう、お前と遊ぶのは飽きた」

 これは、『治療』の同意書さ。

 え、何の治療かって?

 たまには新聞でも読みなよ。なにせ、これは今世間を騒がす一番のホットトピックス。

 どこにだって――そうさ、の靴の裏にだって書いてあるぜ。

 ジジイは嬉々として同意書を読み始める。舐めるように、一行、一文字も漏らさぬよう。

「そんな律儀に読むなよ。そんなに信用できないか? 『ぼくはこの治療を自ら希望しましたよ~』ってのと『治療したことで何が起きても文句言いませんよ~』ってことが、持って回った言葉で書いてあるだけさ。オトナの事情でね」

「……は、はひ」

「お前、治療受けたいんだろ? おれの勘違いかね?」

「そんなことありません! 受けたいです!」

「ならとっととサインしろ。早くしねぇと……」

 おれはジジイの手から紙を攫い、破る仕草をして見せた。するとやっこさん、血相変えておれに飛び付き、涙を流しながら汚ねぇ字でサインをしやがった。

 ジジイはむせび泣き、立ち上がろうともせず肩を震わせた。

 勝利の涙ってのは、ウツクシイもんだね、畜生。

 おれはジジイを再び抱きかかえ、安楽椅子に腰かけさせた。

 両手足を革のベルトで拘束し、「あーん」と口を開けさせる。

 意思もなく従いやがるんだよ。まるでお人形ちゃんだぜ。

 おれはヤニで黄ばんだ歯に顔をしかめつつ、マウスピースをつけてやる。ほんで、備え付けの透明のヘルメットをつけてやるんだ。宇宙飛行士みてぇなさ。

 おれは同意書を上着のポケットに突っ込む。

 オッケー、準備かんりょー。

「ほんじゃあ、さいなら。愛してるぜ、イカレポンチ」

 ジジイに向かって言った。

 はは、また不安そうな顔しちゃって。

 おれは席を立ち、退室する。おれのジャケットの裾を掴み、ドロシーも後に続いた。

 扉を閉めて鍵をかけた。指さし確認、オッケー。


 さてさて、部屋のすぐ外に、赤くてスイッチがある。

 これは治療のためのスイッチ。

 押せば今日のお仕事、おっしまーい。(まだ三時のおやつの時間にすらなってない。働き方改革も不必要さ)

 今日は、ドロシーが押すだ。

 さっさと押せばいいのに、何やらぶつぶつと呟き、上の空。

 おれは、そっと耳を傾けてみる。どうやらこう言ってるんだよ。

「えっとぉ、『その一、カンイン……』なんだっけ?」

 傍から見たら、不可解な独り言。でも、おれにはすぐにわかった。

 なるほど。あれね。

 このボタンを押すのには、ちょっとした前置きの言葉がいる。一応、治療を受ける人間に対して敬意っつうか、祈りをささげるっつうか……いや、そんなのハラショー。

 なんかわかんねーけど『その1ぃ~その2ぃ~』ってのがあるんだ。偏差値が円周率並みのドロシーちゃんには、ちょっとムズカシイわな。

「カンイン……カンイン……」

「嫁入り前のお嬢ちゃんが、『カンインカンイン』言ってちゃいけねぇだろうよ」

「つーか、カンインってなに?」

 そうだよな。ラーメンに入ったシナチクを「変な肉」と思ってたこいつに、「カンイン」のなんたるかが、わかるはずねーんだ。

「適当でいいんだよ。問題は。それ、ポチっとな」

 おれはデコピンで、スイッチをはじいてやる。

 治療、開始。

 ――押した直後。

『あぶ、あぶだ、あぶるあ!』

 はは、きもちわりぃ。擦り切れそうな叫び声。

 さっきのジジイのだ。扉越しに、くぐもった音が聞こえる。水で薄めたような遠い音。

 ドアの窓から中の様子を見てみる。

 ジジイが、ヨダレやハナミズを垂らして、びくん、びくんと体を痙攣させているのさ。

 電気ショックだ。さっきのおもちゃとは訳が違う。

 体中を鋭い電流が走って、脳の一部を(ゼントーヨー、だっけか?)バチバチと焼いちまうんだ。ドロシーもその様子を覗き込み、「きゃははは」と笑った。

 誤解しないでほしいのは、別に道楽でこんなことやってるんじゃねーってこと。

 おれだって、ジジイが悶えるとこなんか見たくもないさ。

 これはおれの希望じゃなくて、こういうシステムなんだってことだよ。

 お咎めなしさ、アーメン。

 要するにね、こういうこと。

【おれたちは正しいことをしている】

 世界中のママさんたち、クソガキにくだんねぇ昔話してる場合じゃないですよ。

 まずはおれみたいな役回りの人間もいるっつう、世界の悲劇(喜劇、じゃあるめぇな?)を教えてやって欲しいもんだ。

 そしたら、おれたちだって影で「クズ」なんて言われないわな。

 ジジイを見て笑ったおれを、ドロシーは自分を棚に上げて非難めいた顔で見る。

「メリーってばサイテー。ゲスーイ。プッツンパッパラパー」

 でも、そんな遊びは十秒ともたないんだ。ドロシーはだらしなく破顔した。

「……でも、そーいうとこがカックイー♪ メリー、ちゅきー♡」

 らしいね。

 こいつは、おれが人でなしだってことが、たまんなく嬉しいんだって。そりゃあおれだって、別に自分が聖人君子だとは言わねぇ。

 でもそりゃあないんじゃない?

 もっとも、ドロシーはおれ以上のプッツン女で、この仕事をすっかり楽しんじゃってるってわけ。こいつの父親はおれの上司でもあり、国のナンバー2、国のVIPでとってもお偉い副総統サマなんだ。

 ドロシーのやつ、働く必要なんかホントはないんだよ。

 あー、それにしても腹へった。そろそろ三時だもんな。

 おれってば、おやつの時間だけはきちんと守るいい子なんだよ。

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