音楽にドラッグは必要か?

ネコ エレクトゥス

第1話

 このご時世、部屋で過ごす時間が増えた。僕の場合その増えた時間はギターを弾くことに主に使われている。ただいつも同じものを弾いているせいなのか気分が乗らず、ただ惰性で指を動かしている日もある。そんな時にこんなことを思う。

「ミュージシャンたちはこんな気分の時にドラッグを使うのか。」


 1950年代、アメリカのジャズの全盛時代、多くのジャズ・ミュージシャンたちがドラッグを使っていたことが知られている。自分も楽器を弾いているからわかるのだが、ただ弾くのがうまいだけではあの演奏はできない。音に気持ちを乗せなければならない。そして音から次の音へ。非常にエネルギーを必要とする。しかも彼らは毎日それを続けなければならなかった。それを可能にしていたのは何か?やはりある種のドラッグだということになるのだろう。言ってみれば彼らは魂のわずかな残り火を毎日強制的に燃焼させていた。ドラッグの中毒で死んだミュージシャンも多かったが、それがなくても彼らは消耗して死んでいったことだろう。

 しかしそれほどまでに音楽にはドラッグが必要なのか?


 ジャズ・ミュージシャンの例を見てもわかるように、ドラッグが音楽に影響を与えうるとすればそれは興奮剤系のドラッグ、僕らの時代で言うならハッピードラッグのようなタイプだと思う。気分を高揚させてかつ集中力を持続させる。その意味では確かにドラッグの効果はあると言わなければならない。ただドラッグの使用が音楽に新たな道を開くという意味では疑問符が付く。その次の1960年代のドラッグ黄金時代、サイケデリック・ムーブメントと言われる時代の音楽には実は世間一般で信じられてるほどドラッグによる独創性の開花は存在しない。むしろビートルズなどに見られるように独創性は知的遊戯から生まれたものだった。ドラッグは僕らに非日常的な世界を与えると言うが、だからと言って突然僕らが虫やコウモリしか感知できない超音波を感じ、それを音楽にできるわけがない。ドラッグによる音楽の革新性はやはり興奮性と集中力の増加がもたらしたものと見るほうがよさそうだ。

 そうするとこういう結論に達することになる。集中力は僕ら個人の問題であり、興奮性については僕らが日々生きていることから豊かさをくみ取っていれば別にドラッグの力を借りることはない。考えても見れば歴史上の偉大な芸術家がみんなドラッグを使っていたという話は聞いたことがない。そりゃそうだよな。


 さて、ここまで書いてきて自分自身の問題に目を向けたいと思う。

「果たして僕はドラッグを使うのか?」

 そういうことはもう少しうまく弾けるようになってから考えましょう。

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