守護神の懐古<中編>

 夜明けが近くなった頃、コガネはアハトの広場を飛び立った。東の空から昇る日の光を浴びながら平原を遥か上空から見まわるのが彼の日課であり、ささやかな毎日の楽しみでもあった。空は透き通る様に晴れ渡り、東の空から赤く変色して行く様が美しく見えた。

 しかし彼の心に少しの雲がかかっているのも事実であった。カドと話をした革命同盟との戦の事もあるが、心に響き続ける声もその言葉の内容とは裏腹に何かの凶兆なのではないかと勘繰らずにはいられなかった。

 そして数千年という時代を生きて尚自らの知らぬ現象と出会うことに、興味よりも疑念が勝っていることに気付くと彼は自嘲気味に笑うのであった。

(カドと出会った頃はこのような不安を抱くは無かった…私も老いたということか)

 そう心の中で考えた瞬間、あの声が一際大きく聞こえ始めた。コガネはついにその声がどこから発せられたのかを感じ取ると素早くその方角、南方へ振り返り上空を見上げた。そして大気を震わせながら接近するその姿を見た。

 コガネは飛龍の中でも大型であり、始原龍ハイマートや蛇龍議場の守護神以外に自らよりも大柄な龍を知らなかった。しかしそれは龍にしか見えなかった。

(何…なのだ、あれは…龍にしては巨大すぎる…!)

 彼はあっけにとられながらも、それの進路から外れる様に東へと進路を変えつつ羽ばたきながら全速力で飛行を続けた。徐々に高度を増しながら、対照的に徐々に高度を下げてきている巨大なそれに並ぼうと飛び続け、東側からそれの側面を眺めた。

 日に照らされたそれは白く、そして柔らかく東からの日光を反射していた。それの高度が高すぎてどれほど高度を上げても見上げる事しか出来なかったが、彼はその側面の上方に微かに他の箇所とは異なる地形と輝きを見た。

(あれは…日の反射光か?金属質だが、あの形は…)

 彼は巨大なそれを観察しながらもそれに置いて行かれぬよう、時間も忘れて全速力で飛び続けた。巨大すぎるが故に遅く見えたが、それは彼の知る何よりも速力を持ったまま北進を続けていた。

(私を知ろうと努めていた彼女も、このような心持ちだったのだろうか…)

 彼はかつてない程に自らの心が躍り、全身に力がたぎるのを感じていた。観察を続けているそれは既にアハトの街上空を過ぎ去り、大霊峰に差し掛かっていた。

 コガネもそれに並進しながら大霊峰へと差し掛かったが、その時の彼は夢中になるあまり周りが見えず、そして二千年以上続く掟を忘れていた。

「そこで止まれ!議会の龍よ」


 突如空に響いた警告の直後、龍の怒りに満ちた咆哮が大霊峰に木霊した。コガネは我に返ると即座に宙返りをして前進する勢いを殺し、正面を飛ぶその声の主――黒い飛龍を見据えた。コガネにも劣らない巨体の黒龍は、口の端からブレスを溢れさせ怒りを隠そうともしなかった。

(あれに気を取られ過ぎたか…追えるのはここまでか)

 彼は名残惜しそうに、大霊峰の先へ飛び行くそれを一瞥し、正面の黒龍と向き合った。黒龍は龍王議会の龍達との交流を断ち、大陸中央を囲う大霊峰に住む孤高の種族である。第四龍暦には他の龍はおろか人とも交流があったが、第五龍暦になるとその友好的な態度を一変させた。

「…その意図は無かったとはいえ、黒龍達の領域を犯したことを謝罪する。早急に立ち去るが故、禍根を残さぬようその怒りを静めてはもらえぬか…リビンよ」

 その言葉にしばらくすると目の前の黒龍はブレスを止め、その身から怒気を捨て去った。コガネもその黒龍――リビンとは古い顔馴染みであり、第四龍暦時代はテュルクの友として交流もあった。リビンもその大きな口を開き応える。

「…テュルクの友であるお主であっても“聖地”へ向かわせることは出来ぬのだ。早々に立ち去るがよい」

 二千年以上続くこの態度をコガネは訝しんでいたが、これは好機でもあると考え再び尋ねた。遥かな過去にも尋ねたことを。

「…二千年以上の時が経てども、未だにその事情は話せぬか?」

 リビンは今でこそ大霊峰を越えようとする者達に対して敵意を剥き出しにするが、かつての彼はそうでは無く心優しい龍であった。それを知るコガネの前だからこそ彼は平静を保ったまま応じる。

「…お主を信頼せぬわけではない。だが我ら黒龍は友を…彼女を殺した“奴”を聖地に向かわせるわけにはいかぬのだ」

 コガネは驚いた。二千年以上前は頑として何も話さなかった彼が、ついにその心を見せてくれたのだ。その驚きを隠しながらコガネは続ける。

「なんと…その“奴”とは何者なのか?お主は二千年の時を経ても尚戦い続けているというのか?」

 しかしその言葉に対し、リビンは静かにコガネを見つめているのみだった。そして大気の震えが収まり始める頃、その口を開いた。

「…アハトの街へ戻るがよい、恐らく彼女がそこを訪れるだろう。我よりも彼女から話を聞く方がお主の心も晴れ渡ろう…」

 そう言うと話しは終わりだと言わんばかりに彼は聖地側へと飛び去り、コガネを警戒するかのように旋回を始めた。それを見てコガネも一声別れの咆哮を上げると羽ばたき、アハト方面へと踵を返した。巨大な飛来物を追っている間は気付かなかったが日は既に上り、空は青く変色し切っていた。

 その青空の中を優雅に飛びながら、彼はリビンの言葉について考察を巡らせていた。

(第四龍暦の終わり、私が休眠している間に聖地で何があったというのか…奴とは…彼女とは誰だ…)

 考えても答えが出ないことは分かってはいたが、半永久の時を生きる龍には時間の制約など無いに等しくそれ故に様々なことを考えるだけの余裕もあった。

 その時になって彼はようやくあることに気が付いた。空中で止まると大霊峰へと振り返り、その上空を染める青空を見つめて呟く。

「声が…消えたか…」

 この数日間彼を悩ませていたその声だったが、聞こえなくなるとあまりにも静かな自らの心の風景に気付かされた。そうしてしばらくの間、大霊峰側を呆然と眺めていたが、その視界の端、大霊峰の黒い山肌の上で複数の何かが陽光を反射し輝くのを見た。高速で移動するそれの正体に気付いた彼は思わず翼を大きく広げ、その牙を剥き出しにする。

(あれは…革命同盟軍か!)

 それは人の形をした五つの飛行型リムであった。機体は青く山肌の黒の上では目立つ色であったが、そう考えている間にも五つの機影は瞬く間に視界の下の方を突き進んでいった。そしてその進路の先にアハトの街があることを確認すると、コガネはその機影と交差するように進路を変えた。

(油断していたな…間に合えばよいが…!)

 彼はアハトへ危機を知らせる為にも咆哮を上げた。先程のリビンのものにも引けを取らぬ咆哮が平原へと響き渡る。そして更に速力を上げながら彼は急降下を開始した。

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