龍と人、そして北の監視塔最後の平穏<後編>

 ノルトは長銃用のスコープでの監視を続けながらベッコウへと問い掛けた。

「何か異常は無かったか?」

 その言葉に干し肉の味を噛み締めていたベッコウは、口に干し肉を頬張ったまま応える。

「のぁい(無い)…うむ、ただ何か聞こえたりはせんかの?」

 その返しにノルトは一瞬緊張感を持って聴覚に神経を集中させたが、いつも通りに風音と微かな石が山肌を転がる音が聞こえるのみだった。

「いや…特に聞こえはしないが…」

「そうかの…龍にのみ聞こえる音か、あるいはわしの聴覚が超一流なのか…」

 そう言って食事に戻る相棒に苦笑しながら彼はスコープを下ろした。そして食事を取りながら一度塔内部へ戻ると、三階の本棚から三冊の本を手に取り、再び屋上へと戻った。

 既に日はかなりの高さまで上っており、ノルトはその日差しの下で本を開いた。食事を終えて監視任務に戻っていたベッコウがその様子を見て首を傾げる。

「ノルトや、もう眠る時間じゃろ?」

 龍は、というよりもベッコウは夜目が利かない。ノルトの持つスコープはレイヴン王国製で暗視機能も付いているが、ベッコウが使うには不向きだった。その為昼の監視をベッコウが担当し、ノルトがその間に睡眠をとるのが通常だったが、今日の彼はその言葉に静かに答えた。

「昨日臨戦態勢って命令が出たばかりだからな…一応起きておくが、監視はいつも通り任せた」

 そして彼は持ってきた本に視線を下ろした。ベッコウは「そうかの…」と一言発するのみで、納得したように監視任務に戻った。

 監視塔での長期に渡る任務は従事者の精神に多大な負荷を掛ける可能性がある為、軍上層部からは常識の範囲内での娯楽の持ち込みが許可された。そしてノルトが選んだのは、数冊の本。とある人物の伝記であった。

 第五龍暦が始まる前の龍王議会に実在したという伝説の議長テュルクについて、歴史学者がその逸話を纏めた本であり、真偽はともかくその内容は彼の心を惹き付けてやまなかった。人の身でありながら龍王議会の頂点に立ち、人と龍の全てを率いて第四龍暦の終末に抗い、そして第五龍暦に人の命を繋いだとされる神話じみた物語は、例え誇張されたものであったとしても、読めば心に力が沸いてくるものだった。

 しかしテュルクを知る古くから生きる龍達は、伝記を纏めた歴史学者にその人物について尋ねられてもただこのように返したという。

「テュルクは存在した。しかしその人物について語るには、我々龍はあまりにも無知である」と。


 ノルトが三冊の本を読み終える頃には日は既に傾き、夕焼けが空陸構わず一面を橙色に染め上げていた。彼は読み終えた三冊の本を持って三階へ下り、元の場所に丁寧に戻す。何度目か分からなほど繰り返されたその行動で、本の下部は劣化が始まっていた。ボロボロになり始めたその姿に微かに溜息を吐いて食糧庫から夜食を取り出して屋上へ戻ると、彼は相棒に話し掛けた。

「交代の時間だ、寝てていいぞ」

 ベッコウは三年間、ほぼ屋上の台座の上で過ごしてきた。龍は食事もしなければ排泄もせず、仮にベッコウのように食事をしたとしても、体内に入れられた食物はエネルギーになるまで分解され続ける。任務と食事、睡眠が今のベッコウにとっての全てであった

 しかしベッコウは首を横に振った。

「今日はわしも起きておこうかと思っての…臨戦態勢じゃ~!」

 ベッコウはそう言うと、意気揚々とその場で旋回し始めた。龍なりに身振りで感情を表しているのだが、ノルト以外の人に通用した試しはない。

「夜は何も見えないだろうに…」

 そう言いつつもノルトは相棒の心意気を否定せず、そして久々に二人で迎える夜の監視任務に少しばかりの安堵を覚えていた。それからしばらくすると日は東の果てに沈み、星と月の光と共に夜が訪れた。

 ベッコウは久々の夜に高揚しているのか、星空を見上げながら任務中であることを忘れてノルトに話し掛け続けていた。真面目な彼はスコープを覗きながら半ば聞き流しつつ返事をしていたが、突如空から響いた飛龍の咆哮に驚き、視線を空へと向けた。

 彼の視線の先、東の遥か上空を一匹の飛龍が夜空の明かりをその鱗で反射しながら飛行しているのが確認できた。

「今のは…コガネの声じゃな…?」

 ベッコウがその飛龍の名を呟いた。採掘都市アハトの守護神として、そして龍の中でも永く生きる者としてノルトもその名と姿を知ってはいたが、飛龍の声を聞き分ける術は持ち合わせていなかった。それを見上げながら彼は思わず呟く。

「コガネがこの時間に飛んでいるのは珍しいな…」

「じゃな…東から戻ってきたようじゃが、飛龍議場にでも行っておったのかの?」

 ベッコウの言葉にノルトは答えることが出来ない。しかしコガネはそのままアハト方面へ向かって進路を変え、二人が見上げる塔から離れていった。

 ノルトはしばらくその姿と鱗が反射する美しい光を見つめていたが、はっと我に返ると再びスコープを覗き、国境側の監視任務を再開した。

 監視任務に戻った彼の背後でベッコウはゆっくりと彼に向き直り、胸中に引っかかっている事、昼にも話した事を再び尋ねた。

「…ノルトや、お主には本当に聞こえぬのか?」

 その声音はいつもの気楽な調子ではなく、真剣であり返事にもそれを要求していることが感じ取れた。

 だからこそノルトは正直に、そして本当のことを答えた。

「…本当に何も聞こえないんだ、その言い方は今も聞こえてるんだろ?」

 そう言って振り返るとこちらを向いた相棒が静かに頷く姿が見えた。ノルトは物音を立てないように屋上を素早く歩き、スコープを外した長銃を拾い上げた。そしてスコープを素早く装着し直すと、ベッコウは頷いた。

「警戒するに越したことは無かろう…恐らくコガネも何かを感じ取っておる」

 相棒の言葉にノルトも頷き、長銃を構えながらの監視任務に入った。

 日付は変わり第五龍暦二千百三十年九月二十一日。今日も大霊峰から、塔とアハトの街を覆う様に北風が吹き始めた。

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