龍と人、そして北の監視塔最後の平穏<前編>

 第五龍暦二千百三十年九月二十日。ジョテーヌ大陸南部を広く領有する、龍が統べる大国『龍王議会』は第五龍暦の創始以来、最大の危機を迎えていた。

 大陸西部を支配していた巨大連合『ラインハーバー連邦』が、三年前に発生した内乱によって瓦解。一年以上の戦闘の末、連邦の盟主であり龍王議会と同盟関係にあったレイヴン王国が敗北・消滅し、連邦に代わる西方巨大連合『革命同盟』が発足し、龍王議会との国境に軍を進めた。

 革命同盟が謳うのはアーシアン主義と呼ばれる“人による歴史の創始”であり、それが目指すのは、人を長きに渡って支配してきた龍を絶対の敵とみなし、その存在を抹消し、真の人の歴史を取り戻すことであった。それは龍による統治で繁栄を謳歌してきた龍王議会とは相反する思想であり、両国の緊張は高まり続けるばかりであった。

 龍王議会はアーシアン主義の台頭を察知した三年前から国境各地、特に西方国境地帯の防備を固めてきた。革命同盟軍も早くから龍王議会との国境付近に兵力を集中させ始めていたが、連邦領各地のゲリラ的な抵抗により再軍備が大幅に遅れていた。先に国境に兵力を集結させた龍王議会側から宣戦を布告する手もあったが、軍事力の大半を龍に頼る龍王議会軍は、人体拡張兵器『リム』を始めとした最新鋭に機械化された革命同盟軍を相手に勝算を見出せず、ただ国境の防備を固めるのみであった。圧倒的な体躯と飛翔能力で龍が人を圧倒していた時代は既に過去のものとなっていることを、龍王議会軍も理解はしていた。

 そうした状況の中九月十九日。龍王議会と国交のあった東方地域の最大国家である『神託国家群』からアーシアン派による反乱発生の報が届き、龍王議会は対革命同盟において孤立無援の状況に陥った。これを受け龍軍最高権力者であり龍王議会議長のリベルティーアと龍王議会人軍大将のシュタルトは、全軍に対して臨戦態勢命令を下した。西方国境に集結した兵士達の士気は上がり、決戦の時が近いことを感じさせた。

 しかし、臨戦態勢の西方国境から程遠い北の監視塔で監視任務を続ける一人の兵士と一体の龍は、その状況をまだ把握できていなかった…。


 北の監視塔は龍王議会と大陸中央地域を分かつ『大霊峰』と呼ばれる山脈、龍王議会側の麓に立っていた。第五龍暦以前から存在するというその円柱状の塔は周囲の黒い岩肌とは全く異なる白い岩のようなもので造られており、その素材は未だに解明できていない。しかし決して頑丈なものでは無く、外観には欠けている箇所も散見された。

 九月二十日の朝、その塔に務める兵士――ノルトが戻ってきた。その右手には紐で束ねられた干し肉と道中で採集した野草が入った小さな布袋が握られ、そして左腰には片刃で幅広の剣が一本差してある。彼が無造作に塔の南側の木扉を開くと、扉が開いたことを示す小さな鐘の音と、一階の木製の卓上に置いてある通信機が放つノイズ音が閉まる扉から外部へと微かに漏れ聞こえた。

 扉が閉じ切るより早く彼の手は通信機に触れ、外出中の通信記録を漁り始めた。そしてこの数時間の記録に異常が無いことを確認すると、塔内部の壁面を辿る様に続く螺旋階段を上る。二階のベッドがあるだけの寝室を通り抜け、三階の小さな食料保存庫に摘んできた野草と買ってきた干し肉を入れる。その際に干し肉を二切れと少しの野草を取り、再び階段へと向かう。

 ノルトはそのまま塔の屋上へと上り出た。塔の屋上は胸壁で囲われ、登ってきた階段の出口横には雨が内部へ入らないようにする為の木蓋が置かれている。胸壁には長銃が立て掛けられており、それ以外には武装は見当たらなかった。

 そして円形の屋上の中央には胸壁とほぼ同じ高さの台座が置かれ、その上に立つノルトの同僚――ベッコウがノルトへと声を掛けた。

「戻ったか~ノルト」

 その気の抜けた抑揚の言葉に彼は右手の干し肉を見せながら答える。

「ああ…ほら、いつもの」

 ベッコウは白い陸亀のような姿の龍である。見るからに鈍重そうな体に相応しい動きで台座の上で四本の足を使いノルトへ向けて旋回すると、その手に持つ干し肉を見て喜びの声を上げた。

「うむ!飯も無事手に入ったようで何よりじゃ」

 光と空気からエネルギーを吸収する龍は本来食事を必要としない。しかしベッコウは人と共に二千年以上生きる中で、人に合わせて食事をする術を会得していた。

 ノルトは干し肉の片方をベッコウの口へ差し出し、それが加えられるのを見ると自分の食事に入った。野草を台座――貯水タンクについている蛇口から出る水で軽く洗い、干し肉に巻いて食べる。干し肉は硬く、料理としてこの上なく簡素だが彼はこの食事を本気で美味しいと思っていた。そして彼は食事を片手に左手だけで長銃の上に付いているスコープを器用に外し、大霊峰方面の国境監視任務に入った。

 これが二人の、三年間続く日常だった。任務自体は二人で二十四時間の監視任務をこなす厳しいものだったが、二人は今日までそれを難無くこなして来た。

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