北風が追う機械人形

イシヤマ マイマイ

第一章 北風と呼ばれた男

 北風の吹く広大な草原を西からの日差しが照らし始めた。採掘都市『アハト』…その街は龍王議会領北部に広がる草原の、ほぼ中央に存在している。龍王議会では製造不可能な石金属で造られた監視塔とその間を頑強なコンクリートの城壁で囲われたその街には、二つの際立って大きな建物があった。

 一つは街の中央に立つ巨大な昇降機。そしてそれを動かす巨大な歯車と歯車に組み合ったチェーンが街のどこからも見ることが出来る。その歯車は一日中、使う人がいる限り何度でも回転し、その大きさにしてはとても静かな接触音を奏でた。

 そして二つ目は街の北側、昇降機と城壁のほぼ中間に立つ時計塔。ただの石造りの建物で、城壁や昇降機と比べればその建築様式は明らかに古く、しかし街の人々から最も愛されている建物であった。

 その時計塔から鐘の音が響いた。毎日響くその鐘の音と共に、街は本格的に動き始める…。


 アハト北門から中央へ向かう大通りに並ぶ幾つかの商店が開き始めた。早朝から大通りで待っていた採掘場や精錬場での勤務が始まる人々が、待ってましたと言わんばかりに開いたばかりの商店に群がる。簡単な食事処もあれば弁当や日常品を扱う雑貨店もあり、待ちわびていた人々は各々が必要としているものを買うと吸い寄せられるように街の中央へ向けて歩き始める。この時間に商店に来る人々は、ほとんどが中央の採掘場で交代で働く労働者達だ。気の知れた仲間と共に職場へ向かう彼らを、商店の主達は笑顔で見送りその背に声援を送る。

 その小さな雑踏の中で最も混雑しているのが大通りの最も外側、北門の目の前にある肉料理の専門店だ。『ハンナの厨房』という小さな木の看板を掲げたその商店は、恰幅の良い母とその娘が切り盛りしていた。シャッターが開くと店先がそのままレジが備え付けられたカウンターとなり、盛んな取引が始められた。

 この時間に売れるのは職場に持ち込める弁当か職場に着くまでに食べ切れるサンドウィッチで、開店の数時間前に起床して作り終えていた分が猛烈な勢いで売れていった。新鮮な肉を使った弁当もサンドウィッチもそれなりの値段ではあるが、それに勝る味と重量があり、体力勝負の採掘労働者達から絶大な人気を誇っていた。

「今日も頑張ってくるよ、お母さん」

 屋台のようなその店を訪れる常連客は会計を済ませる時にそう言った。それに対して店主の女性が満面の笑みで最後の弁当を手渡す。

「今日もがんばりんしゃい!…今日も第一波は捌けたかな?」

 常連客から親しみを込めて“お母さん”と呼ばれる店主の女性が、カウンターから身を乗り出して大通りを見渡した。母親の言葉に、店の奥で昼に始まる第二波に備えて調理している娘がほっと胸をなでおろし応えた。

「足りてよかった…じゃあこのまま昼の分作っとくね?」

 そう言いながら再び手を動かし始める。手先の器用な娘は焼かれた肉を素早く食べやすい大きさに切り分けて大きなパンにはさむと、さらにそれを半分に切り分けてサンドウィッチを完成させた。そして素早く次の商品の製作に取り掛かる。

「お願いねーあとは“北風”さんにその干し肉を売るだけだから…」

 その言葉にサンドウィッチを作っていた娘がふと手を止め、顔を上げた。視線の先に映るただの塩味の干し肉を紐で束ねただけの商品を見て呟く。

「…ノルトさんが来るの、今日だったっけ?」

 疲れを払う様に全身で背伸びをしていた母親が背伸びを終えると大きく頷いた。

「そうよ?もう前に来てから三日目だから…」

 その言葉と同時に店の外からカチャリカチャリと特徴的な足音が聞こえて来た。娘は素早く手を洗い店先に出ると、その音の主に向けて「ノルトさんいらっしゃい!いつも大変だね~」などと差し障りのない会話をしてから、干し肉の束を手に取る。そして同時に厨房から完成したてのサンドウィッチを一つ手に取り、今日こそはと思いながら言葉を続けた。

「ノルトさんずっと監視塔の任務で大変だろうから、出来立てのサンドウィッチ一つ、おまけしておきますよ!」

 気を張った声でそう言うと、干し肉と同時にさりげなくサンドウィッチも手渡そうとした。しかし男――ノルトの浅黒い大きな手が優しくサンドウィッチだけを押し返した。娘が視線を顔に向けると彼は口を開く。

「お気持ちは嬉しいのですが、軍人が民から物を受け取るわけには…前回の干し肉の紐もいつも通りお返しします」

 ノルトは若く、そして真面目な男だった。細身の体格だが、古びた、しかし重厚な鎧を苦も無く着こなしていることから、鎧の下の肉体が相当鍛え上げられていることが伺える。

 彼の返事に娘は返却された紐を受け取りながら、笑顔と小さな声で「ありがとう」と応えた。

 彼はお金と共に干し肉を束ねている紐を返却し、小さく、しかし丁寧に頭を下げてすぐに他の労働者達と反対方向、北門へ向けて去っていった。去ってゆく男を見送る娘を見て、母親は朝の仕事を終えた安堵と共に大きく息を吐いた。反面、娘はその背中を見送りながら眉尻を下げ、溜息を吐いた。

「ノルトさんも干し肉なんかじゃなくて、美味しい 北風と呼ばれた男


 北風の吹く広大な草原を西からの日差しが照らし始めた。採掘都市『アハト』…その街は龍王議会領北部に広がる草原の、ほぼ中央に存在している。龍王議会では製造不可能な石金属で造られた監視塔とその間を頑強なコンクリートの城壁で囲われたその街には、二つの際立って大きな建物があった。

 一つは街の中央に立つ巨大な昇降機。そしてそれを動かす巨大な歯車と歯車に組み合ったチェーンが街のどこからも見ることが出来る。その歯車は一日中、使う人がいる限り何度でも回転し、その大きさにしてはとても静かな接触音を奏でた。

 そして二つ目は街の北側、昇降機と城壁のほぼ中間に立つ時計塔。ただの石造りの建物で、城壁や昇降機と比べればその建築様式は明らかに古く、しかし街の人々から最も愛されている建物であった。

 その時計塔から鐘の音が響いた。毎日響くその鐘の音と共に、街は本格的に動き始める…。


 アハト北門から中央へ向かう大通りに並ぶ幾つかの商店が開き始めた。早朝から大通りで待っていた採掘場や精錬場での勤務が始まる人々が、待ってましたと言わんばかりに開いたばかりの商店に群がる。簡単な食事処もあれば弁当や日常品を扱う雑貨店もあり、待ちわびていた人々は各々が必要としているものを買うと吸い寄せられるように街の中央へ向けて歩き始める。この時間に商店に来る人々は、ほとんどが中央の採掘場で交代で働く労働者達だ。気の知れた仲間と共に職場へ向かう彼らを、商店の主達は笑顔で見送りその背に声援を送る。

 その小さな雑踏の中で最も混雑しているのが大通りの最も外側、北門の目の前にある肉料理の専門店だ。『ハンナの厨房』という小さな木の看板を掲げたその商店は、恰幅の良い母とその娘が切り盛りしていた。シャッターが開くと店先がそのままレジが備え付けられたカウンターとなり、盛んな取引が始められた。

 この時間に売れるのは職場に持ち込める弁当か職場に着くまでに食べ切れるサンドウィッチで、開店の数時間前に起床して作り終えていた分が猛烈な勢いで売れていった。新鮮な肉を使った弁当もサンドウィッチもそれなりの値段ではあるが、それに勝る味と重量があり、体力勝負の採掘労働者達から絶大な人気を誇っていた。

「今日も頑張ってくるよ、お母さん」

 屋台のようなその店を訪れる常連客は会計を済ませる時にそう言った。それに対して店主の女性が満面の笑みで最後の弁当を手渡す。

「今日もがんばりんしゃい!…今日も第一波は捌けたかな?」

 常連客から親しみを込めて“お母さん”と呼ばれる店主の女性が、カウンターから身を乗り出して大通りを見渡した。母親の言葉に、店の奥で昼に始まる第二波に備えて調理している娘がほっと胸をなでおろし応えた。

「足りてよかった…じゃあこのまま昼の分作っとくね?」

 そう言いながら再び手を動かし始める。手先の器用な娘は焼かれた肉を素早く食べやすい大きさに切り分けて大きなパンにはさむと、さらにそれを半分に切り分けてサンドウィッチを完成させた。そして素早く次の商品の製作に取り掛かる。

「お願いねーあとは“北風”さんにその干し肉を売るだけだから…」

 その言葉にサンドウィッチを作っていた娘がふと手を止め、顔を上げた。視線の先に映るただの塩味の干し肉を紐で束ねただけの商品を見て呟く。

「…ノルトさんが来るの、今日だったっけ?」

 疲れを払う様に全身で背伸びをしていた母親が背伸びを終えると大きく頷いた。

「そうよ?もう前に来てから三日目だから…」

 その言葉と同時に店の外からカチャリカチャリと特徴的な足音が聞こえて来た。娘は素早く手を洗い店先に出ると、その音の主に向けて「ノルトさんいらっしゃい!いつも大変だね~」などと差し障りのない会話をしてから、干し肉の束を手に取る。そして同時に厨房から完成したてのサンドウィッチを一つ手に取り、今日こそはと思いながら言葉を続けた。

「ノルトさんずっと監視塔の任務で大変だろうから、出来立てのサンドウィッチ一つ、おまけしておきますよ!」

 気を張った声でそう言うと、干し肉と同時にさりげなくサンドウィッチも手渡そうとした。しかし男――ノルトの浅黒い大きな手が優しくサンドウィッチだけを押し返した。娘が視線を顔に向けると彼は口を開く。

「お気持ちは嬉しいのですが、軍人が民から物を受け取るわけにはいきませんので…前回の干し肉の紐もお返しします」

 ノルトは若く、そして真面目な男だった。細身の体格だが、古びた、しかし重厚な鎧を苦も無く着こなしていることから、鎧の下の肉体が相当鍛え上げられていることが伺える。

 この母娘は彼の本当の名前を知らなかった。龍王議会で軍人は本名を隠す習わしがあり、三年前に首都から北の監視塔に派遣された彼の本当の名前を二人は知らず、しかし名前が無いのも不便なので、毎晩北の山脈から平原を吹き抜ける北風と共に来るから…という理由で北風を意味する『ノルトウィント』と呼び始めると、彼はその呼び名を気に入り、この店の常連客となった。

 彼は街にはほとんど滞在しなかったが、街の防衛兵達にも彼女達が付けた名で名乗り始めたらしく、今ではそれを縮めて“ノルト”と皆が呼ぶようになった。

 彼の返事に娘は返却された紐を受け取りながら、笑顔と小さな声で「ありがとう」と応えた。

 彼はお金と共に干し肉を束ねている紐を返却すると、小さく、しかし丁寧に頭を下げてすぐに他の労働者達と反対方向、北門へ向けて去っていった。去ってゆく男を見送る娘を見て、母親は朝の仕事を終えた安堵と共に大きく息を吐いた。反面、娘はその背中を見送りながら眉尻を下げ、溜息を吐いた。

「ノルトさんも干し肉なんかじゃなくて、美味しいお弁当かサンドウィッチ食べればいいのに…三年間ずっと一番安い干し肉ばかりで大丈夫かな…」

 娘はそう言いながら厨房へ戻り、受け取ってもらえなかったサンドウィッチを元の場所へ戻すと再び調理を始めた。母親がその言葉に相槌を打つように応える。

「まぁ監視塔での勤務だから、毎日ここに来るわけにもいかないし、日持ちするものを望むのも分かるんだけれど…たまには美味しいものも食べていいと思うんだけどね…」

 母親はしみじみと口ずさむ。娘も無言で頷き、調理に専念する。

「今じゃ日持ちする干し肉を買っていくのもあの人だけだからね…まったく、みんな裕福になっちゃったものだよ…」

 昔から、この街がここまで急速に発展する前から商店を営んでいる母親は溜息混じりにそう言うと、追加のサンドウィッチに入れる用の肉を厨房奥の専用のオーブンで焼き始めた。

「ハンナ、肉焼き始めたから焦げないように注意しといて」

「ほいほい…」

 母親の言葉に娘が適当に答え、再び店内に日常が戻ってきた。母親と娘はそれからいつも通り他愛無い会話をし、街の労働者達の為にサンドウィッチと弁当を作り続ける。外では日は少し上り、毎晩吹く北風もいつも通りに止んでいた。


 干し肉を買ったノルトは、街から北に伸びる全く舗装されていない道を歩いていた。時折道端に生えている野草で楽に調理できるものだけを左腰に差した剣を抜いて斬り取り、右腰の小さな布袋に詰め込んでゆく。それを干し肉と共に食べるのが彼の食事であり、三年間続く国境監視任務中の、唯一の楽しみでもあった。

 彼の目指す平原の北の大地には、見渡す限りの地平線を覆う黒い巨大な山脈が左右に続いている。そして道の続く先、正面の山脈の麓には小さく、そして白い一つの塔が立っていた。お弁当かサンドウィッチ食べればいいのに…三年間ずっと一番安い干し肉ばかりで大丈夫かな…」

 娘はそう言いながら厨房へ戻り、受け取ってもらえなかったサンドウィッチを元の場所へ戻すと再び調理を始めた。母親がその言葉に相槌を打つように応える。

「まぁ監視塔での勤務だから、毎日ここに来るわけにもいかないし、日持ちするものを望むのも分かるんだけれど…たまには美味しいものも食べていいと思うんだけどね…」

 母親はしみじみと口ずさむ。娘も無言で頷き、調理に専念する。

「今じゃ日持ちする干し肉を買っていくのもあの人だけだからね…まったく、みんな裕福になっちゃったものだよ…」

 昔から、この街がここまで急速に発展する前から商店を営んでいる母親は溜息混じりにそう言うと、追加のサンドウィッチに入れる用の肉を厨房奥の専用のオーブンで焼き始めた。

「ハンナ、肉焼き始めたから焦げないように注意しといて」

「ほいほい…」

 母親の言葉に娘が適当に答え、再び店内に日常が戻ってきた。母親と娘はそれからいつも通り他愛無い会話をし、街の労働者達の為にサンドウィッチと弁当を作り続ける。外では日は少し上り、毎晩吹く北風もいつも通りに止んでいた。


 干し肉を買ったノルトは、街から北に伸びる全く舗装されていない道を歩いていた。時折道端に生えている野草で楽に調理できるものだけを左腰に差した剣を抜いて斬り取り、右腰の小さな布袋に詰め込んでゆく。それを干し肉と共に食べるのが彼の食事であり、三年間続く国境監視任務中の、唯一の楽しみでもあった。

 彼の目指す平原の北の大地には、見渡す限りの地平線を覆う黒い巨大な山脈が左右に続いている。そして道の続く先、正面の山脈の麓には小さく、そして白い一つの塔が立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る