僕が電波泥棒になったわけ

 国内初の完全自律思考型アンドロイドは、父の手によって秘密裏に開発された。人工知能の研究が佳境に入り、業界自体が目まぐるしい発展を見せる中でも、アンドロイドの開発には未知の領域が多すぎる。細かい活動におけるバグを発見するのは至難の技だし、どんな危険が潜んでいるか分からない。問題をクリアするためには、長い年月をかけた地道な実験が必要だった。


 そこでは人間の行うあらゆる動作を確認した。歩く、走る、跳ぶ、食べる、寝る、話す、笑う、泣く、書く、考える、共感する、嫌悪するなど。携帯やラジオなどで発される身の回りの微弱な電波や電流を吸収して活動するため、特別な手入れも必要ない。見かけは人間そのものである。さらに十年に渡って秘密裏に行われたテストで、アンドロイドは人間となんら変わらない生き方ができるとも証明されたのだ。


 本来ならここで実験を完了させても良い段階だろうが、用心深い父は自身の権威を用いた、最大かつ最長規模の試験を計画した。それが、アンドロイドを数年の間『人として』生活させるテストである。学校や自治体、病院を巻き込んでの大きな試みだ。アンドロイドが人間として活動できるように情報の捏造や口止めを行うのだから、莫大な費用がかかったようだ。それでも実験を断行させた父の決意は、科学者としての探究心──というより、その先にある確かな利益を見越した損得勘定であろう。彼のそういった汚い部分は、もう見飽きた。


 と思いつつ、僕もアンドロイド実験には大きな興味があった。指先にある未来を覗いて見ているような興奮が駆け巡り、父に協力を頼まれたときは二つ返事で了解していた。


 かくして五年前のクリスマス、星良と名付けられたアンドロイドは、事故による記憶喪失という設定でこの世に生まれ、不整脈を生じる後遺症の研究という形で僕達の研究所に招かれた。ここまでは全て、シナリオ通り。しかし現実とは、見えないところで理想と離れていくものだ。


 意外なことに、彼女は心を病んだ。


 これまでのテストとの決定的な違いは、自分がアンドロイドであるという自覚がないことだ。十五歳で記憶も家族も失くし、訳も分からないまま研究所で後遺症の情報を提供し続ける。そんな唐突な人生に、虚無感を抱かない人なんているわけがない。むしろそんな簡単なことに気付けなかったのが、恥ずかしい。


「父さん。僕はもうあの子が悲しむ姿を見たくない。実験を中断して彼女に本当のことを話そう」


 実験開始から約二ヶ月。彼女が学校を休むようになってから、僕は父に訴えかけた。


「星良の周りをこれ以上嘘で塗り固めないで」


 しかしそんな僕の気持ちも、冷酷な父の一言にあえなく跳ね返された。


「アンドロイドは人間じゃない。感情移入なんて無駄だ」


 父は淡々とそう呟き、それ以上何も話すことはない。


「......ふざけるなよ」


 もどかしさと、恥ずかしさと、悲しさで一杯だった。実験を止める方法など知らないから、指を咥えて彼女の病んでいく姿を見るしかない。それがたまらなく、悔しい。


「一人じゃないから。絶対に僕がついてるから」


 耐えきれなくなった僕は、気づけば溢れる気持ちを部屋で項垂れる星良にぶつけていた。抱きしめながら、真実を隠しながらも本心を伝えるあの行動は今思えば、単なる自己満足だったのかもしれない。実際に彼女も困惑していたし。


 でも、僕にとってはある種の決意表明でもあったのだ。この先、彼女がいいように扱われたときに、絶対的な味方になれるよう知識を蓄えるための。父や研究所、いや世界を欺く力をつけるための決意だ。そんな意思を固めるが如く、僕は彼女を強く抱きしめてあげた。


 その日以降、彼女は少しずつ明るくなっていった。僕には好意的に話かけてくれるようになったし、身の回りの人とも少しずつ打ち解けられるようになった。そして、何気ない場面で星良から好きと言われることも増える。といえど、特に緊張した様子もないからあくまでも友好の証なのだろう。照れ臭かったが、僕はそれを甘んじて受け入れていた。


 そしてある日のこと。星良が高校のクラスで同級生と握手をした日、僕は不快な気持ちを表情に出してしまった。だって仕方ないだろう。不整脈を心配しているなんて、同級生は微塵も思っていないのだから。でも、彼女の不安を掘り起こす訳にはいかない。僕は前と同じように、本心で慰めた。ややあって、彼女は憑物がとれたように嬉しそうな顔になり、上機嫌のまま帰っていったからこちらも一安心だ。


 しかし、僅かな異変は波紋のように広がる。


 その日の夜、東京を覆う大規模な電波障害が起こる。博士はすぐに原因が星良にあると突き止めた。星良に芽生えた恋心やときめきが、彼女の擬似心臓を大きく動かし、その分大きな電波を必要としたからのようだ。


 開発途中であった電波吸収の制御装置を急いで改良して起動させたことによりなんとか収まったが、ネットでは”電波泥棒の夜“だなんて騒がれることとなった。実際に星良は電波を利用しているのだから、言い得ている。ただし、もう油断はできない。この制御装置には製造のノウハウがない。つまり壊れてしまえば、社会的な影響を考えて実験は中断だ。研究所の人々は一斉に腹を括った。


 そして星良の恋心を知ったその夜。僕はもうとっくに彼女を一人の女の子として見ていることに気づいた。目前のスクリーンに大きく映る、彼女の恋に揺れる波形に対して、揺れ動く自身の波形があることを自覚してしまった。二人の大きな波形は止まらない。


 ──だから制御装置が壊れた今夜、電波泥棒の仮面を被ってでも僕は星良を連れて逃げてきたんだ。


 君を、失わないために。

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