第3話 ネクトーム
カーテンの開いた病室に日の光が惜しみなく注ぎ込まれる。
白を基調とした室内は外からの光を最大限に取り込み、反射させ、増幅させていた。
神々しいほどの光の祝福、その中心に一人の少女が座り込んでいる。
私はここへ来た目的も忘れて息をのんだ。
なにせ陽だまりの中、天使のような少女が山のような菓子を一心不乱に貪り食っているのだから。
「はちみつケーキだよ。どうしても他の食べ物は受け付けないんだ。もう、かれこれ三日間は食べ続けている」
少年姿の医師が肩をすくめる。
前回エテルノにヒアリングしてから、一週間が経っていた。
経過が順調であるなら、予定では今頃、彼女は軽い運動程度ならできるくらいに回復しているはずだった。しかしこの様子では、下手をしたら歩行すらままならない状態かもしれない。
「こちらの声は届いているし人格も残っている。本人にも、どうしようもないらしいんだ。ケーキを取り上げれば暴れて自傷するし。困ったよ」
困った、と言いながらも声の調子に困ったという様子は感じられない。
医師はさてと言ってにっこり微笑むと、私に問う。
「で、どうする? 今日もヒアリング、していくかい?」
「……いえ」
明らかにそれどころではないだろう。
この会話をしている間も、エテルノはずっとはちみつケーキを口に押し込み続けている。
「あの、エテルノさんは、大丈夫なのでしょうか?」
「まあ、大丈夫ではないね」
のんびりとした口調を変えずに、医師が断言した。
大丈夫ではないのはわかるが、何がどう大丈夫ではないのか。そもそも今、彼女に何が起こっているのか。質問したいことはちゃんとあるのに、病室の異様な空気に気圧されて、うまく言葉に成らない。
もの言いたげな私の様子を察したのか、医師が言葉を足した。
「彼女の電子データに異常は見られないから、おそらくクローン体の方に何らかの欠陥があったんだ。ああ、せっかく今までは順調だったのに、これじゃあ『延命処置』そのものの正確なデータが取れないよ」
この状況でエテルノの心配ではなく治験データの心配か。私が眉をひそめると、少年は慌ててさらに言葉を足した。
「もう一度、今度は今まで以上に厳しい基準をクリアした個体を使って『処置』をするから。だから問題ないよ」
ざらりとした感触が胸に残る。
医者が問題ないと言っているのだから、医者でも何でもないただの学生の出る幕ではないのだろう。
問題ない。たとえ問題があったとしても、これは彼女が決め、彼女が選んだ行動の結果だ。私はただ見て、話しを聞いて、それをレポートにまとめるだけ。それだけでいいし、それ以上のことなど出来はしない。
準備をするから、ヒアリングしないならそろそろ退出してくれないかい? と少年が言う。笑顔でのんびりとした口調の少年に対し、ざらりとした感触が強くなった。
「先ほど、クローンに欠陥があったと仰いましたが……彼女に限らず、過去に『処置』をした後、似通った症例があったのですか?」
「いや、どうだろうね」
医師は首をひねる。
「今までされてきた『延命処置』全ての経過や症例を知っているわけではないからね。ただ、『処置』後に軽い過食の症状が出た症例はいくつか知っているよ。なにせ体をまるごと入れ替えるわけだからね。どうしたってストレスは避けられない」
エテルノの動きが止まる。
側に控えていた看護師が素早くバケツを彼女に近づけると、エテルノはバケツに顔を突っ込むようにしてリバースした。
「……これ以上の『処置』をしてしまって、彼女は大丈夫なのですか?」
「このまま放置するか前代未聞の七回目の『処置』をするか、この二つのどちらか選ぶとすれば、圧倒的に『処置』の方がいいよ。理論上は問題ないことだしね」
「……」
「これで質問は全てかな? じゃあ、エテルノのヒアリングを続行するつもりなら、三日後にまた来るといい」
ざらりとした感触はまだ消えない。
しかし、これ以上何を質問すればこの感触が解消されるのかわからない。
煮え切らない態度の私に、医師はもう付き合わなかった。食べ続ける彼女に軽く声をかけ、看護師にテキパキと指示を出し始める。
これ以上ここに居ても、私に出来ることはない。
唐突にそう悟った私は、黙って病室を後にした。
〇〇〇
三日後。
通常であれば、意識が回復してすぐのヒアリングは私一人でやらせてもらっていた。だが、さすがに今回は違う。
『処置』前の異常な症状に加え、限度回数三回までとされている回数を大幅に上回る七回目の『延命処置』後なのだ。逆に、そんな不安要素の多い中、今回もヒアリングをさせてもらえることが不思議でならなかった。
ベットから少し距離を置いた場所に少年姿の医師と、数名の看護師が控えていて、エテルノの目覚めを待っている。
待つこと数十分。
ふわりと花開くように、少女のまぶたが開く。
部屋にある唯一のベットに寝かされた彼女は、身じろぎもせず天井を見つめていた。が、ふいにベットサイドに立つ私を見た。
きめ細やかな肌、細くて長いまつ毛、うるんだ瞳に鮮やかな色のくちびる。
美少女、と言っても差し支えない。大げさな表現を好む者なら、彼女を天使やビーナスとでも呼びそうだ。
薄手のワンピースの下、彼女の胸元に7という数字が見えた。
「ソメイ」
人工的に作り出された美で装飾された彼女のくちびるが、柔らかに動く。
鈴を鳴らすような高く澄んだ声がほの暗い室内に満ちる。
私はまだ、答えない。
吸い込まれそうなくらい澄んだ瞳に一心に見つめられ、居心地の悪さを覚えた。
「ソメイ。お前はソメイだ。そして私は……私は?」
エテルノが目を見開く。私は震えそうになる手を力いっぱい握りしめた。
記憶の移行は失敗したのか? しかし彼女は私の名前を呼んだ。私のことがわかるのに、自身のことはわからないなんて、そんなことあるのだろうか?
「私は……これはなんだ? おい、ソメイ、これは一体どうなっているんだ?」
「どうされたんですか? 私から見ておかしなことは何もありませんが」
「違うんだ。いつもと、体の様子が……なんなんだ、これは……」
「名前は言えますか? 私ではなく、あなたの名前を」
「私の名前か? 私はエテルノだ。そんなことより……」
エテルノが困惑したように口をつぐむ。
そして言葉を探すように視線をさまよわせた。
「なんというか……こう、体中に、虫が這っているような……非常に不快な感覚があるのだが……私の体は一体どうなっている?」
虫? そんなもの、どこにもいない。
私はちらりと背後に目を向ける。ベットから少し離れた所で静観していた医師が、悩まし気に首を振った。
「幻覚の一種だろうけど、いやはや困ったね。電子データもクローン体も、問題ないはずなんだけどな」
医師はゆったりとした足取りでベットサイドまで来ると、ポケットからボールペンを取り出し、おもむろにエテルノの手の甲に軽く突き立てた。
エテルノの体が大きくビクリと痙攣する。言葉に成りきらない悲鳴が上がり、まともに動かないはずの体で暴れ始めた。控えていた看護師たちが彼女を押さえにかかる。
「なるほど。これはもうダメかな……」
小さく呟く医師の声がした。
言葉の意味がわからず、私は声の主を凝視する。
「脳の電子化は成功している。データの破損も無し。クローン体に不備もない。一つ一つはなんの問題もないけれど、記憶と体が拒絶し合っている」
「記憶と体が、拒絶……?」
「そう。実は結構なストレスなんだよね、体をとっかえひっかえするのって。最初はそれでも、新しい体にすぐ馴染むんだ。でも回数を重ねるごとにストレスが蓄積されていって、その内にどかんと爆発してしまう。そして、最後にはこうなる」
悲鳴を上げて暴れるエテルノを見ながら、医師は特になんの感情も込めずに淡々と説明した。
「脳で処理される情報が大幅にバグるんだ。その結果、ひどい幻覚が出たり、小さな刺激が勝手に増幅されて激痛になったり……」
医師が芝居かかったように腕組をする。
「うーん。身体か精神的な問題だったならまだ治療する手立てもあったんだろうけれど、これはまた別の問題だからね。自然治癒なんかもしないし。これ以上『処置』しようものなら、もっとひどい症状になるだろうし。まあ、結論としては、もうどうにもならないってことになるのかな」
ざらりとした感触が胸に起こり、それがざわざわと私を急き立てた。どうにかしなくては、どうにかしてもらわなければ。
「な……にか」
私が回らない頭で手立てを思考している間に、エテルノは歯を食いしばり悲鳴を抑え込んだ。そして、絞り出すようにして言葉を吐く。
「なにか、方法は、ないのか?」
「いやー、実は、あるにはあるんだけどそれをするにはいろいろと厄介なことがあって」
「なんでもいいから!」
にこやかに話し始める少年の言を遮って、エテルノが悲鳴に近い声を上げる。
「どんな方法でもいい……から、はやく、なんでもいいから、なんとかしてくれ……」
少年がにっこりと微笑む。
ざらりとした感触が、強くなった。
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