第2話 クローン

 クローン利用についてはずっと違和感があった。

 一般に、クローンは培養液の中のみで生成される。外界とは一切かかわりを持たせず、自我が芽生えないようにするためだ。

 魂、心、自我、ゴースト。

 生きているということの定義は、それら漠然としてとらえきれていないものの有無による。有れば生き物、無ければ物。

 だからクローン体は、物。心臓が鼓動し傷つければ温かい血を流すが、それだけ。生き物ではない。……ということにされている。

 しかし、私にはそれがこじつけとしか思えなかった。

「根拠はあるのか? クローンは生き物だという根拠は」

 私ははじめ、クローン体の生命倫理について研究するつもりだった。

 しかし話を聞いた教授が言ったのだ。クローンが生き物だという根拠を示せと。

 私には答えられなかった。

「君の考えはわかった。でもそのテーマは君には少しばかり重いようだ」

 教授の言葉で、クローン体の生命倫理についてというテーマから、『延命処置』の有用性と危険性という漠然とした研究テーマに鞍替えした私に、教授は『延命処置』を受ける患者、受けた患者と面会し、ヒアリングをするよう勧め、この病院を紹介してくれた。


 ヒアリングを開始してわかったことが一つある。

 考えてみれば当然なことなのだが、たいていの患者や治験者は私に対し好意的な反応は示さないのだ。

 『延命処置』の粗探しをする、『処置』の必要ない若者というのが、まさにその『処置』を必要としている者から好かれるわけがない。

 そんな中で、なぜかエテルノだけは違っていた。

 彼女の中にあるのは嫌悪ではなく好奇心といたずら心と老婆心だ。

 いっそ憎んでくれた方がまだましだとさえ思う。そうすれば、ただ憎み返すことができるから。もしくは、相手はただの研究対象だからとあきらめることもできただろうに。


「やあ、精が出るね」

 エテルノの病室を出ると、待ち構えていたかのようなタイミングで少年に声をかけられた。この病院の医師だ。私よりもずっと年下に見えるが、もちろん私よりもずっと年上で、今回の治験の担当者でもある。

「お世話になっています」

 私が頭を下げると、医師は朗らかに笑って肩を叩いてくる。

「そんな堅苦しいのはいいよ。研究は進んでいるかい?」

「はい、おかげさまで」

「それはよかったよ。ここは確か、一番順調に進んでる治験者の部屋だったね。治験者、様子はどう?」

「……いつもと変わりはありませんでした」

「ほうほう。つまり、君はまたしても彼女に言いくるめられたわけだ?」

「……」

 見た目と実年齢に相違のある人は多いが、医者という立場でここまで大幅に肉体の年齢を低くする人は珍しい。年齢が低いと、処置後に長く継続して体を使うことが出来るというメリットがあるにはあるのだが、見た目の威厳がなくなることや侮蔑の対象になりやすいこと、なにより、子どもの小さく非力で未発達な身体はいろいろな面で不便があるため、あえて子どものクローンを選ぶ人は少ない。

 その少数派であるこの医師は、自身の見た目に引きずられているのか、無駄に若々しいというか、かなりフランクな性格をしている。

「まあそう怒るなって」

「いえ、別に怒っているわけでは」

「それはそうと、コーヒーでもどう? 奢るよ」

「いえ、せっかくのお誘いなのに申し訳ないのですが……」

「まあまあ、そう言わないで。独り身のさみしいおっさんに少し付き合ってよ。若い子の新鮮なお話聞かせてほしいなー、なんて。ね?」

「……はあ」

 私よりもずっと見た目の若い医師から若い子などと言われると、なんとも言えない気分になる。彼は戸惑う私に頓着せず、半ば強引に近場の喫茶店へと私を誘い出した。


 煙草の煙が充満した空間で、私は少年と向かい合って座る。

「いいかな?」

 少年が煙草の箱を軽く振った。私がどうぞと答えれば、少年は嬉しそうに煙草を一本箱から抜き、慣れた手つきで火を点けてうまそうに吸う。店内にはまばらに客がいるが、誰も彼を咎めない。

 煙草とお酒は二十歳からとされているが、彼はどう見ても十代中頃だ。中身の年齢がいくつであっても、肉体年齢が二十歳以下なら、法で禁じられていることに変わりはない。だが、そんな法律を把握している日本人が、今の時代どれだけいるのだろうか。なにせ、体の調子が悪くなれば、すぐに取り換えてしまえばいいだけなのだから。

 窓の外に目を向ける。

 道行く人はみな、同じような働き盛りの年齢で、同じような仕事用の恰好をして、同じような疲労がべったりと張り付いた顔をしていた。

 いつも通りの光景だ。

 外で子どもや老人、特に老人は滅多に見かけることはない。

「なにか面白いものでも見えるかい?」

 少年のような無邪気な笑みで彼が尋ねてくる。

 ふと、この人は見た目が若いから態度や行動もフランクなのではなく、中身が実年齢よりも幼いからこの年齢の身体を選んだのではないか、という考えがよぎった。

「いえ、特にこれといったものは、なにも」

「そう? あ、きたきた」

 ウェイトレスが注文した品を運んでくる。私には紅茶を、彼にはカフェオレとプリンアラモードを。

 近くの席に座っていた客が、チラリとこちらを一瞥して、顔を歪めた。どうやら彼のことを、正真正銘の子どもだと思ったようだ。

 

 不老長寿社会において、老人はほぼ存在しない。なぜなら、『延命処置』は国民の権利であり、同時に義務でもあるからだ。

 『若返り』がなされていた時代には、まだ義務にはなっていなかったそうだ。しかし、年金制度もなくなり社会保障も薄く、老いた体で働き続けるのにも限度があった。『若返り』の処置を受けるだけのお金がなく、働くこともままならなくなった者から順にホームレス化や自殺する者が出始める。果ては自暴自棄になった者の犯罪が急増したことで、とうとう国が動くこととなった。

 国は『延命処置』を国民の義務とし、『処置』を無償で受けられるよう保障したのだ。さらに権利として、追加料金を支払えばオプションも付けられるようになり、年齢や体系、顔の造作、体質などに多少の手を加えることも可能となった。

 個人差はあるものの、たいていの人は体の不調や衰えを感じた時点ですぐに『処置』をするし、どんなに遅くとも50歳を迎えるまでには『処置』を受けなければならない、と規定されている。それを超えると脳を電子化する際の負担に身体が耐え切れず、『処置』が出来なくなるからだ。

 だから、今の日本に肉体の年齢が50歳を超える人はほぼいない。


 また、数は激減したものの、子どもは存在している。ただ、結婚率の低下やクローン体の出産規制などがあり、子どもという存在はかなり希少だった。

 クローン体の出産規制がある関係で、夫婦が子を持とうとする時、一般的には代理出産の制度を利用することとなる。その費用はかなりの金額で、出産後の子育て費用はそれ以上に高額だ。今では子どもという存在は金持ちの道楽として認識され、その存在は家族というよりもブランド品や血統書付きのペットに近い。


「品のない趣味見せびらかしに来やがって……」

 近くの席に座っていた客がこちらに聞こえるように悪態をつき、舌打ちをする。

 居心地悪く医師を見るが、彼は我関せずを貫きプリンを一口食べると、無邪気を装って正面に座る私に言った。

「やっぱり、プリンは喫茶店のものに限るよね、お父さん?」

 がたん。

 悪態をついていたのとは別の客が乱暴に席を立ち、会計を済ませて店を出て行く。私はあっけにとられていた。いくらなんでも、悪戯が過ぎるだろう。店内の空気はかなり険悪なものになっていた。

 しかし、空気を悪くした元凶の少年はどこ吹く風で「おいしいおいしい」と言いながらプリンアラモードをぱくぱく口に運ぶ。あっという間に完食すると、思い出したかのようにぽつりと言った。

「そういえば、君はもともと、クローン体の生命倫理について研究するつもりだったんだってね」

「……それがなにか?」

「いやね、実のところ、僕も嫌いなんだよ。クローンってやつが」

 早く帰ることばかりを考えていた私は、はっとして医師を見る。にこにこと微笑んではいるが、目が笑っていない。

「クローンの生命倫理に関しては詳しくない。だけど、クローンを利用した『延命処置』が生み出している現状に関しては、快く思っていないんだよ、実のところね」

 射るような眼差しを正面から受け、身体が硬直する。

 なぜ、今、そんな話を私にするのか。

 クローンに対するスタンスが同じ者と出会えた喜びよりも、唐突な話への戸惑いの方が強く、私は何と答えるべきかわからなかった。

「でも、日本が生き残るには、もうこの技術に頼るしかないんだろうな、とも思っている」

 どこかあきらめを含んだ眼差しで、少年は私から目を反らし、窓の外に視線を飛ばす。

「僕にはわからない。なにが正しくて何が悪いのか。だからこそ、若い子が今後何を考え、どう動くのか、少し期待もしているんだ」

 少年につられるように、私も窓の外へ視線を飛ばす。

 そこには、正しさも悪さもない、いつも通りの日常の光景があるだけだった。

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