降臨
俺…いや、僕は受話器を元の位置に戻した。薄情なようだが、長谷川の指示に従うことにした。戦いは既に始まっている。今から彼のオフィスに走っても到底間に合わない。たとえ間に合ったとしても、素人の僕にできることは何もないだろう。これは、本職の殺し屋同士の対決なのだ。芝居ならともかく、現実の世界で「道化」を演じるのは避けたかった。
長谷川豹馬と栗枝左門。コンビ決裂の理由についてもわからないし、左門が「殺したいほどに」長谷川を憎む理由もわからない。他人には容易に近づけない葛藤や確執を両者は抱えているようだった。そして、第一級の荒事師たる彼らは、これ以外に決着をつける方法を知らないらしい。すなわち「殺(や)るか、殺られるか」である。
僕がコガネマンに襲われ、詳細を報告したあの夜から、長谷川はこういう展開になることを予想していたような気もする。三人衆に栗枝の追跡を命じ、本陣の守りを「敢えて」薄くしたのも、宿敵を誘い込むための策だったのではないか。
なぜそんなことをするのかと云うと、栗枝の首を自分の手で刎ねたいからである。あの男のことだ。左門の息の根を止められるのは俺だけ…などと思い込んでいるに違いない。それが、大スター長谷川の思考なのだ。
僕は箪笥から、今度の芝居で着る「海賊王子の服」を取り出した。下北沢の衣装屋さんに頼んで、特別に誂えてもらったものである。王子の服に着替えた僕は、自室を離れ、布袋商店街へ向かった。
商店街の人たちは、僕の本業を知っているので、劇中人物の格好で平然と歩くことができるのだった。又、彼らに限らず、都民は総体的に「コスプレ慣れ」している。スライムハンターたちが好んで着用する「非現実的ファッション」に散々接しているからだ。それらに比べれば、海賊スーツなどは、むしろ地味と云えるだろう。
僕は商店街最大の娯楽施設「布袋演芸場」に足を進めた。まず、一階の事務所に行き、支配人に挨拶をした。同館地下の「布袋ホール」のステージを(殺陣の稽古用として)無料提供してもらっているのだ。純然たる厚意。まったくありがたいことである。
全盛時代の小松左京そっくりの支配人は、僕の顔と僕の扮装を見ざまに「おおっ、魔宮君か。相変わらず芸熱心だね。やりなさい、やりなさい。大いにやりなさい」と云ってくれた。
辞去後、控室に行き、ロッカーから、愛用の模造刀を取り出した。それを携えて、僕はホールに繋がる階段をおりた。今日は楽屋経由ではなく、客席側からステージに登るつもりであった。
「おや?」
半開きの状態になっている中央扉の奥から、何やら、神々しい光があふれ出していた。新しい照明器具の試験使用でもやっているのだろうか。そんな話は聞いていないけど……。まあ、いい。もし邪魔になるなら、今日の稽古は中止にしよう。そう考えて、僕は扉の向こうに、体を運んだ。次の瞬間、僕は肝を三つぐらい潰した。
舞台の上に「素っ裸の天使」が立っていた。
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