敵役
玉子さんが持たせてくれた弁当を僕は食べた。おにぎりの握り具合、卵焼きの味加減、漬物の漬かり具合。全てが完璧だった。ひとつひとつ、丁寧に腹中におさめた。それが、彼女の厚意に対して、僕ができるほとんど唯一の行動と云えた。
僕がやっているアルバイトは「殺し合い」に属するものだ。殺し合いということは、当然、自分が殺される場合もある。ならば、これが「人生最後の食事」になる可能性もあるわけだ。
もちろん、そうならないように最大限の努力はするが、相手は凶暴な人食いの化物どもである。何が起きても不思議ではない。W大の勇者部たちと同じ運命を辿らないとは、誰にも云えない。狩っているつもりが、実はやつらに「狩られている…」という展開だって充分ありえる。
食後、部屋の角に設けられている小台所の流し台で、弁当箱を洗った。ソファーに戻り、テーブルの上に置いてある「キネマ旬報」の最新号に手を伸ばした。なぜここにキネ旬があるのかは、よくわからないが、時々見かける。バイト員の中に映画ファンがいるのかも知れない。
今号の表紙を、源シオールが飾っていた。宝石めいた光沢を帯びた長い髪。眼鏡の奥にきらめく妖艶な瞳。そして、不敵な微笑。シオールは、来月公開される予定の「邦画初の本格チェス映画」に出演しているのだ。
但し、主役ではない。主人公の好敵手の一人、異郷帰りの天才少年の役である。まさに適役だが、記事によると、このキャスティングは本人の希望だったそうだ。あえて敵役を望むあたりが、いかにもシオールらしい。衣装同様、役選びのセンスもいい。
まったく順調な仕事振りである。女装を特技とする高校生探偵の次の役が〔チェス王子〕の異名を持つ高校生棋士とはね。俳優として、羨望を超えた憧憬を覚える。シオールのライバル演技が楽しみだが、それを観るためにも、生きて帰る必要があった。
壁面の時計が「午後7時」を示していた。キネ旬を閉じざまに、席を立った。部屋を出て、階段を下った。通路を進み、突き当りの扉に(休憩室とは異なる)暗証番号を打ち込み、中に入った。
そこは「女…ではなく、武装室」と呼ばれている。僕たちバイト員が、スライム専門の殺し屋、通称〔ソードマン〕に変身するために用意された部屋であった。ここにくると、僕は「下町の銭湯」を連想する。他のメンバーもそうではないかと思う。
武装の前に、全ての服を脱がなくてはならない。脱衣スペースに行き、身に着けていたものを篭に放り込んだ。もしあれば、腕時計や装飾品などもここで外すことになる。武装の妨げになるからである。生まれたままの姿になった僕は、半透明の扉を開けて、第一装備室に入った。
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