代表作

 窓際のアナログ時計が「午後4時25分」を示していた。テレビの電源を切り、身支度を整えた。4時半から、源シオール主演の『女装探偵』の再放送が始まるのだが、今日の僕にそれを観ている余裕はなかった。


 女装探偵は、シオールの代表作のひとつである。深夜枠の30分ドラマとしては、空前の視聴率を記録し、俳優シオールの評価を高めた作品である。原作は三流誌に掲載されている三流劇画だが、これほどに、役の個性と演者の個性が合致した例も稀であろう。

 主人公の女装姿が、毎回の見せ場になっているわけだが、この難役をシオールは「神懸かり的」に演じのけたのである。演技の鍛錬をほとんど積んでいない彼が、あれをやったのだから、大したものだ。迫真の芝居に、さしものマニア連中も脱帽したという。

 あの役も、僕には無理である。女装前の主人公はともかく、その後を表現する自信がない。ファンの中には、変身ヒーローもののバリエーションとして楽しんでいる者もいるらしい。

 ドラマ化をきっかけとして、原作劇画も爆発的に売れた。アニメ化も企画されており、正式には決まっていないが、主人公の声はシオールが担当するのではないかと云われている。多分そうなるだろう。あの役は、彼以外にはありえない。


 厳重な戸締り(無論、可能な範囲で)を施してから、自室を離れた。愛用の背負い袋を背負って、僕は階段を下った。袋の中には、護身道具と玉子さん特製のおにぎり弁当が入っている。

 季節によって多少変わるが、スライムの本格的な活動時間は「午後8時から、翌日の午前4時まで」である。事前の準備などもあるので、遅くとも午後7時には「支部」に着かなくてはならない。

 運動と電車代の節約を兼ねて、徒歩で移動することにした。自宅と支部の距離は案外近い。今から行けば、充分間に合う。


 その建物は、住宅街の中にある。特徴に乏しい地味な外見だが、爆弾の直撃にも耐える頑丈さを備えている。もっとも、そのことを知っているのは関係者だけだ。僕はカード形の「鍵」を取り出し、所定の位置にそれをかざした。認証後、防弾ガラス製の扉が左右に開いた。

 廊下を進み、突き当りの扉に暗証番号を打ち込んだ。扉を開け、中に入った。更衣室兼休憩室である。奥には、浴室も用意されている。殺風景だが、適温と清潔が常に保たれている。僕の他に利用者はいなかった。

 僕は休憩スペースのソファーに腰をおろすと、弁当の封を解いた。アルマイトの箱の中に、おにぎりと惣菜と漬物が整然と配置されていた。壁面に埋め込まれたデジタル時計が「午後6時」を示していた。

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