肉豆腐

「はいっ。できたよー。ご飯が足りなかったら、云ってね」

「ありがとう」

 僕は専用の膳の上に並べられた日替わりランチを受け取ると、自分の前に置いた。主菜の肉豆腐は勿論だが、副菜のポテトサラダとタコのガーリックソテーも独自の魅力を放っていた。丼飯と具沢山の味噌汁、そして、季節野菜の漬物も嬉しい存在である。

 僕は箸立てに指先を伸ばした。僕は会話を一旦中断して、食事に専念した。今夜はかなり過酷なバイトが待っている。命懸けと表現しても、大袈裟ではないほどだ。しっかり食べて、体力をつけておく必要があるのだ。


 今やっているバイトについて、僕は玉子さんに話をしていない。もし話したら、やめなさいと云うに違いないからだ。しかし、やめるわけにはいかない。弱小劇団の運営と自分の生活を支えるためには、続ける以外に選択はなかった。内容はさておき、破格の賃金を得られるのは確かなのだ。

 他にあるとすれば、いわゆる「体を売る仕事」ぐらいだろう。実際、そちらの方面から声がかかったこともある。無論、その場で断った。僕は役者だ。男娼(男妾)じゃない。

 そういう経験も「演技の栄養」になると云う先輩も中にはいるが、僕は嫌だ。肉体だけではなく、精神(魂)まで売り払うことになりかねない。今のバイトも決して綺麗なものではないが、魂を売るよりはマシだった。


 食後に、玉子さんが愛用のサイフォンを使って、コーヒーを淹れてくれた。玉子さんは自らも飲みつつ、

「まあ、代役は冗談としてさ。遊ちゃんとシオたんが共演したら面白いと思うよ。美青年と魔少年が演技対決で火花を散らす…ってのはどうだね」

 僕は軽く首を(横に)振った。

「それも、ありえないよ。同じ芸能界でも、彼と僕とでは、属している領域が全然違うもの。それに僕は、特に美形というわけでもないし」

 玉子さんは「あははは」と笑うと、

「何を云ってるの、あんたは。自分の顔、鏡に映したことがないのかい」

「毎日映してますよ。僕も役者の端くれですから。でも、この程度の顔はざらにいます」

 今度は玉子さんが首を振った。

「いない、いない。いるもんか。遊ちゃんが最初にうちに来た時の衝撃は未だに忘れないね。おおっ、凄い。この世にこんな美麗男子がいるのか!って、さしもの私も魂消ましたよ」

「そうかな。あの頃は一番ひどかったと思うけど。粗末な服装だったし、髪の毛も伸び放題で、入店を拒否されるんじゃないかと、内心ビクビクしてたな」

「本物の男前に格好は関係ないよ。そこら辺の服で充分。華美(過美)なファッションはかえって個性を殺しちまうからね」

「そう云えば、源シオールも意外に服装はシンプルですね」

「ああ、あの子はよくわかってますよ。どうすれば、いいのか。何を着れば、自分が最も美しく見えるかってことを心得てますよ」

「……」

 僕は飲み干したコーヒーカップを皿に置き、再び口を開いた。

「おたまさん」

「なんだね」

「僕たち、さっきから、シオールのことばっかり喋ってますね」

「そうかしら」

「不思議だな。画面で見かけるだけで、会ったことも、話したこともないのに、彼を随分前から知っているような気がする」

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