第6回:魔宮遊太の副業〔前篇〕

煮売屋

 駅前の銀行に入り、バイト代の振り込みを確認した。当座の現金をおろし、財布におさめた。銀行を出て、地元の「布袋商店街」に足を向けた。屋根付きの商店街である。この屋根は開閉機能を有しており、荒天の場合を除き、今の時間(昼)は全開にされている。夕方になると、天気に関係なく、閉じられ、夜が明けるまでは、原則として開くことはない。

 布袋商店街の歴史はかなり長いが、屋根付きになったのは、比較的最近である。無論「あいつら」の侵入を防ぐために設置されたものだ。今の季節(冬)は動きが鈍るとは云うものの、活動を完全に停止するわけではない。年間を通して、備えは必要である。


 僕はその店の前で足を止めた。布袋商店街の名物店「おたま食堂」であった。暖簾をくぐり、中に入った。カウンターのみの小体な店だが、料理の味は抜群で、驚くほど値段が安い。制限が設けられているが、酒類も出す。屋号は「食堂」だが、時代劇風の表現を用いるならば「煮売屋」になるだろう。僕の感覚には、こちらの方がぴったりくる。


 壁際に置かれた蓄音機風のデザインを持つラジオから、神秘的な(としか云い様がない)歌声が流れ出していた。中村あゆみさんの代表曲『翼の折れたエンジェル』のカバーであった。歌っているのは、万能アイドルを自称する源(みなもと)シオールだ。巷間の愛称はシオたん。

 彼の両親は貴族出身と云われている。アンドロギュヌス。類い稀な美貌と美声を有するシオールは、中学卒業と同時に上京。初めて出演した紅茶のコマーシャルを契機にして、全国区のタレントにのし上がった。

 歌、舞台、ドラマ、映画、執筆、声優、ラジオのパーソナリティなど、幅広く活躍。シオールのおかげで、経営が傾きかけていた事務所が、平屋から、十階建てのビルに建て変わったという。


 時折放つ辛辣な発言が、話題になったり、物議を醸したりすることもある。ゆえに敵も少なくないが、シオール本人はまったく気にしていないらしい。天使めいた顔にそぐわぬしたたかさと図太さ。近頃珍しいビッグマウス系の芸能人でもある。

 僕も一応「芸能人」に属するが、今を時めくトップアイドルとアングラ劇団の副座長とでは「雲泥」とまでは云わないが、それに等しい「格差」があるのだった。ここまで差が大きいと、最早嫉妬の感情を覚えることもない。生来のスーパースターと僕ごときを比べること自体が間違いであろう。


「いらっしゃい」

 愛想好く僕を迎えてくれたのは、同食堂の女将兼調理人の玉子(通称おたま)さんであった。容姿は最盛期の桃井かおりさんそっくり。髪形は『サザエさん』の主人公風で、常に清潔な割烹着を身に着けている。ユーモラスな言動が心を和ませてくれる。酒飯は勿論だが、彼女を目当てにこの店を訪れる客も多い。白状すると、僕…魔宮遊太もその一人である。

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